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8巻『愛の一ページ』

Une Page d'amour, 1878 DATA:『愛の一ページ』
愛の一ページ
 双書中に4冊ある「休息と気晴らし」の作品のひとつ。穏やかな生活の中で愛に目覚める寡婦の母親と、母への愛着のあまり嫉妬に苦しむ娘との葛藤と愛憎の悲劇で、登場人物の情念の絡み合いを追究した、双書では珍しい部類の小品。アデライードから神経症を隔世遺伝した少女ジャンヌの、母に対する嫉妬、嫌疑、憎悪、残酷さの性格描写が冴える。主人公となる母娘の夢想に寄り添うようにして郊外トロカデロの高台から見下ろしたパリの遠景を叙情的に描写し、夕陽を反射するパリ、雨のパリ、嵐のパリ、夜のパリなど、躍動する都市の様々な相貌を随所に挿入した文章にも評価が高い。
舞台設定
時: 1854/02-1857/12
場所: パリ
主人公: エレーヌ
職業: 寡婦
資料と分析
プレイヤード版で298pp
525
登場人物46
抜粋集
あらすじ

 若くして夫を失った未亡人エレーヌ(30)は、病弱な神経症の娘ジャンヌ(11)とともに、パリを見下ろすトロカデロの高台で、わずかな友人とだけつき合う静かな生活を送っていた。パリのすぐ近くに住みながらパリを訪れることもほとんどなく、夢想と慈善活動のなかに、穏やかな日々が流れていく。
 ある日ジャンヌの病気を通じて知り合った隣家の医師アンリ・ドゥベルルは、エレーヌの若さと落ち着きに魅せられる。ドゥベルル家と親しい交際を始めたエレーヌの中にもアンリへの好意が生じ、抑えてきた情熱が再び芽生えるのを感じる。ドゥベルル家の仮装舞踏会の夜、興奮したアンリはエレーヌに愛を告白する。
 貞淑の観念にとらわれたエレーヌはアンリへの愛に苦しむが、ある日急病で死に瀕したジャンヌを救おうとするアンリの献身的な努力に感動して、自らも愛を告白する。アンリの妻ジュリエットにはすべてを秘したまま、二人は愛を育んでいく。だがエレーヌのこの変化を見つめる冷ややかな懐疑の眼があった。それはこれまで母の愛情を独占してきた娘のジャンヌであった。
 ある日エレーヌはジュリエットが愛人と密会しようとしていることを知り、匿名の手紙でアンリにその日時を知らせる。しかし当日になってこの行為を後悔した彼女は密会の場所へ駆けつけ、ジュリエットと愛人を逃がす。折しもそこを訪れたアンリはエレーヌが密会のために呼び出したものと早合点し、二人はそのまま情事をもつ。いっぽう、その日理由もわからずエレーヌとの同行を拒まれたジャンヌは、孤独感に打ちしずみ、窓際で雨に打たれながら、帰らぬ母を待っていた。
 雨に濡れたことが原因でジャンヌの病状は再び悪化する。母の愛情を独占してきたジャンヌは、もはやアンリのことばかり考えて自分を顧みない母を激しく憎む。ジャンヌがついに血を吐いて倒れたとき、エレーヌとアンリはようやく我に返るが、病はもう手の施しようがなく、ジャンヌは生命と愛に焦がれつつ息絶える。二年後、別の男性と再婚し平穏な生活を取り戻したエレーヌは、悔悛の情とともに、パリを見下ろすジャンヌの墓を訪れる。

主な登場人物

主要人物相関図

エレーヌ・ムーレ Hélène Mouret
 娘とともにパリ郊外に住む寡婦。帽子職人ムーレの娘でアデライードの孫にあたる。17歳のときマルセイユで結婚し、パリへ出てきた直後に夫を亡くした。平穏な生活を送るいっぽう、その胸の内には愛をもとめるひそかな情熱がくすぶっており、それがアンリという対象を得て燃え上がる。彼女の愛はアンリという男に対するよりも、一般的に愛とよろこびへ向けて解放されようとする若い女の自然な情動の現れであるように思われる。

ジャンヌ・グランジャン Jeanne Grandjean
 曾祖母アデライードから先天的神経症を隔世遺伝した11歳の少女。母の心配を一身に受けて育ったためその愛情を独占しようとするわがままな子どもらしい一面を見せるのは無理もないとして、健康なときは基本的に生への強い憧れを持っている。黒髪で、仮装舞踏会のときに日本娘に扮した姿というのはぜひ映像で見てみたいものである。ただ病のせいで精神的な成熟が早いのか、母に嫉妬したりするところはちょっと怖い。

アンリ・ドゥベルル Henri Deberle
 エレーヌの隣人の、街では名高い医師。妻子がありながらエレーヌに惚れて告白する。立場上は本作の重要人物のひとりとなるはずなのだが、どうも印象が強くないのは否めない。そもそも彼が何でエレーヌに惹かれたのかもよくわからず、単にエレーヌが美しかったからとしか思えない。要するに、本作はエレーヌの内面で進行する心理劇を扱ったものなのであり、アンリの存在はそのために必要な要素とはいえ、その人間性はさしあたって重要ではないということなのであろう。

ジュリエット・ドゥベルル Juliette Deberle
 アンリの妻。「とつぜん飛躍する愛情」の持ち主と評される、気紛れな女性。登場したときにはやたらと交際相手の多いのが印象的で、浮ついた感じがするが、なぜかエレーヌには特別に親切である。次々と刺激を求める飽きっぽいその性格はゾラの描く中・上流階級の女の原型をなすが、彼女は彼女なりの仕方で家族を愛しているようであり、それほど悪い人物ではない。よく考えると、彼女の不倫は未遂だが夫のほうは完遂しているわけである。

ジューヴ神父 l'abbé Jouve
 エレーヌの亡夫グランジャンの旧友で、今でもエレーヌの毎火曜の晩餐会に顔を出す神父。ゾラの描く神父は穏和な常識人かごりごりの狂信者かの両極端が多いが、ジューヴ神父は前者であろう。パリの夜景を見ながら黙って涙を流すエレーヌに向かって唐突に「あなたは愛してるんですね」と指摘するところなどは、告解に慣れた神父らしく、さすがに鋭い。

ランボー Rambaud
 ジューヴ神父の異父弟の油商。夫を失ったエレーヌに住居を手配したり、ジャンヌの壊れた機械人形を夢中で修理したりと、「いい人である」という以外に評価のしようがない、ごま塩頭の男性。それだけにエレーヌへの求婚をはぐらかされてしまう姿は気の毒だが、結局はエレーヌと結婚できたのは喜ばしい。傷心のエレーヌをしっかりと支える、現世的幸福の体現者である。

マリニョン Malignon
 ドゥベルル家に出入りする青年。株式仲買人のところで儲けているらしいが、歌手や手品師などの友人もおり、要するに何をやっているのかよくわからない。ジュリエットの妹のポーリーヌに接近しようとしているのかと思ったら、目当てはジュリエットのほうだった。少なくとも彼のほうはジュリエットとの情事にかなり真剣だったようである。なお、レアリスムが嫌いらしいことが言動から窺える。

フェテュおばさん la mère Fétu
 ゾーの路地裏に住み、他人の慈善をあてにして生活している老婆。施しをもらうために見え透いた嘘を際限もなく発明するその才能は、ある意味驚嘆に値しよう。エレーヌとアンリとの関係を勝手に勘ぐって、施しのお礼のつもりか、密会場所を提供するようなことをほのめかす。その気になればできるんだから働けばいいのに、他人の施しばかり当てにするから、物語の最後では乞食になってしまうのである。

ロザリー・ピション Rosalie Pichon
 エレーヌが使っている、料理の得意な若い女中。ジャンヌの介抱も含め家事全般を受け持っており、ゾラの作品には珍しい「善良で健康な女中」である。同郷の恋人ゼフィランが兵役でパリに来ており、二人は許可を得て毎日曜日にグランジャン家で会う。彼らは健康で将来のある愛を象徴する恋人同士であり、ジャンヌの羨望の対象となる。

双書における位置づけ

【信仰との対立に苦しむ愛・身分の違いに妨げられる夢幻的な愛】 『愛の一ページ』の雰囲気を好む読者ならば、「休息と気晴らし」の四巻を遍歴するのがよいだろう。第5巻『ムーレ神父の罪』は本作と同様、愛とその障害との相克に焦点をあてている。エレーヌにとっての母の義務に対し、『ムーレ神父の罪』のセルジュは信仰との葛藤に悩む。ちなみにセルジュはエレーヌの甥。第16巻『夢』では愛の夢想と現実との齟齬が悲劇を織りなす。静謐な環境に生きるアンジェリックの愛の物語は、本作と強い親近性をもつ。なお情景描写の美しさの点でもこれらの作品は共通する。
【死の恐怖と生の残酷さ】 本作のもうひとりの主人公ジャンヌに注目するならば、本作はまた「死の恐怖の物語」でもある。生を渇望しながら病と被遺棄感によって衰弱させられていくジャンヌの姿は悲痛だが、このような死への恐怖は第12巻『生きる喜び』のラザールにも見られる。人間の生につきまとう死の恐怖や、病や出産など生そのものにつきまとう壮絶さ・残酷さをゾラは力強く描き続けたが、本作や『生きる喜び』では、それが美しい環境を舞台に展開されるためいっそう際立っていると言えよう。
【ジャンヌの神経症の由来アデライードを追う】 ルーゴン・マッカール家系樹によると、ジャンヌは心身とも一族の源アデライード・フークに似ており、二代(ユルシュール、エレーヌ)を超える隔世遺伝だとされている。本作の悲劇の原因をなすジャンヌの神経症はアデライードに由来しているのであり、こうして本作は「第二帝政下におけるある家族の自然的……歴史」たる双書の一コマをもなしているわけである。アデライードという女性について検討すべきことは多いが、そのためには第1巻『ルーゴン家の繁栄』に立ち返らなければならない。

翻訳文献

本作は角川文庫から翻訳が出ているが、入手はきわめて困難である。訳文そのものは読みやすく、申し分ない。

訳文新・入手難 禁断の愛 (山口年臣、角川文庫、1959/10/10)
  解説

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