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娘とともにパリ郊外に住む寡婦。帽子職人ムーレの娘でアデライードの孫にあたる。17歳のときマルセイユで結婚し、パリへ出てきた直後に夫を亡くした。平穏な生活を送るいっぽう、その胸の内には愛をもとめるひそかな情熱がくすぶっており、それがアンリという対象を得て燃え上がる。彼女の愛はアンリという男に対するよりも、一般的に愛とよろこびへ向けて解放されようとする若い女の自然な情動の現れであるように思われる。
曾祖母アデライードから先天的神経症を隔世遺伝した11歳の少女。母の心配を一身に受けて育ったためその愛情を独占しようとするわがままな子どもらしい一面を見せるのは無理もないとして、健康なときは基本的に生への強い憧れを持っている。黒髪で、仮装舞踏会のときに日本娘に扮した姿というのはぜひ映像で見てみたいものである。ただ病のせいで精神的な成熟が早いのか、母に嫉妬したりするところはちょっと怖い。
エレーヌの隣人の、街では名高い医師。妻子がありながらエレーヌに惚れて告白する。立場上は本作の重要人物のひとりとなるはずなのだが、どうも印象が強くないのは否めない。そもそも彼が何でエレーヌに惹かれたのかもよくわからず、単にエレーヌが美しかったからとしか思えない。要するに、本作はエレーヌの内面で進行する心理劇を扱ったものなのであり、アンリの存在はそのために必要な要素とはいえ、その人間性はさしあたって重要ではないということなのであろう。
アンリの妻。「とつぜん飛躍する愛情」の持ち主と評される、気紛れな女性。登場したときにはやたらと交際相手の多いのが印象的で、浮ついた感じがするが、なぜかエレーヌには特別に親切である。次々と刺激を求める飽きっぽいその性格はゾラの描く中・上流階級の女の原型をなすが、彼女は彼女なりの仕方で家族を愛しているようであり、それほど悪い人物ではない。よく考えると、彼女の不倫は未遂だが夫のほうは完遂しているわけである。
エレーヌの亡夫グランジャンの旧友で、今でもエレーヌの毎火曜の晩餐会に顔を出す神父。ゾラの描く神父は穏和な常識人かごりごりの狂信者かの両極端が多いが、ジューヴ神父は前者であろう。パリの夜景を見ながら黙って涙を流すエレーヌに向かって唐突に「あなたは愛してるんですね」と指摘するところなどは、告解に慣れた神父らしく、さすがに鋭い。
ジューヴ神父の異父弟の油商。夫を失ったエレーヌに住居を手配したり、ジャンヌの壊れた機械人形を夢中で修理したりと、「いい人である」という以外に評価のしようがない、ごま塩頭の男性。それだけにエレーヌへの求婚をはぐらかされてしまう姿は気の毒だが、結局はエレーヌと結婚できたのは喜ばしい。傷心のエレーヌをしっかりと支える、現世的幸福の体現者である。
ドゥベルル家に出入りする青年。株式仲買人のところで儲けているらしいが、歌手や手品師などの友人もおり、要するに何をやっているのかよくわからない。ジュリエットの妹のポーリーヌに接近しようとしているのかと思ったら、目当てはジュリエットのほうだった。少なくとも彼のほうはジュリエットとの情事にかなり真剣だったようである。なお、レアリスムが嫌いらしいことが言動から窺える。
ゾーの路地裏に住み、他人の慈善をあてにして生活している老婆。施しをもらうために見え透いた嘘を際限もなく発明するその才能は、ある意味驚嘆に値しよう。エレーヌとアンリとの関係を勝手に勘ぐって、施しのお礼のつもりか、密会場所を提供するようなことをほのめかす。その気になればできるんだから働けばいいのに、他人の施しばかり当てにするから、物語の最後では乞食になってしまうのである。
エレーヌが使っている、料理の得意な若い女中。ジャンヌの介抱も含め家事全般を受け持っており、ゾラの作品には珍しい「善良で健康な女中」である。同郷の恋人ゼフィランが兵役でパリに来ており、二人は許可を得て毎日曜日にグランジャン家で会う。彼らは健康で将来のある愛を象徴する恋人同士であり、ジャンヌの羨望の対象となる。
【信仰との対立に苦しむ愛・身分の違いに妨げられる夢幻的な愛】 『愛の一ページ』の雰囲気を好む読者ならば、「休息と気晴らし」の四巻を遍歴するのがよいだろう。第5巻『ムーレ神父の罪』は本作と同様、愛とその障害との相克に焦点をあてている。エレーヌにとっての母の義務に対し、『ムーレ神父の罪』のセルジュは信仰との葛藤に悩む。ちなみにセルジュはエレーヌの甥。第16巻『夢』では愛の夢想と現実との齟齬が悲劇を織りなす。静謐な環境に生きるアンジェリックの愛の物語は、本作と強い親近性をもつ。なお情景描写の美しさの点でもこれらの作品は共通する。
【死の恐怖と生の残酷さ】 本作のもうひとりの主人公ジャンヌに注目するならば、本作はまた「死の恐怖の物語」でもある。生を渇望しながら病と被遺棄感によって衰弱させられていくジャンヌの姿は悲痛だが、このような死への恐怖は第12巻『生きる喜び』のラザールにも見られる。人間の生につきまとう死の恐怖や、病や出産など生そのものにつきまとう壮絶さ・残酷さをゾラは力強く描き続けたが、本作や『生きる喜び』では、それが美しい環境を舞台に展開されるためいっそう際立っていると言えよう。
【ジャンヌの神経症の由来アデライードを追う】 ルーゴン・マッカール家系樹によると、ジャンヌは心身とも一族の源アデライード・フークに似ており、二代(ユルシュール、エレーヌ)を超える隔世遺伝だとされている。本作の悲劇の原因をなすジャンヌの神経症はアデライードに由来しているのであり、こうして本作は「第二帝政下におけるある家族の自然的……歴史」たる双書の一コマをもなしているわけである。アデライードという女性について検討すべきことは多いが、そのためには第1巻『ルーゴン家の繁栄』に立ち返らなければならない。
本作は角川文庫から翻訳が出ているが、入手はきわめて困難である。訳文そのものは読みやすく、申し分ない。
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