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抜粋集 - 第15巻『大地』

主人公ジャン

分別のある落ちついた物腰や、規律正しい仕事への愛や、あの母から受けついだ耕牛のような気質をもった彼は、まるで畑のために生れて来たかのようにだった。彼は最初喜びに夢中になって、百姓たちのかえって気付かぬ田園を楽しみ、感傷的なかつての読書の名残をとおして田園を味い、児童のための倫理的な小話などによくあるような、素朴とか徳性とか完全な幸福とかの諸観念を味った。
(第2部第1章、上139ページ)

ジャンの性格には、マッカール家の影響は薄い。

露骨な性描写

 「駄目だわ、助けてやらなきゃ……うまくやれなかったら、無駄になって、孕まないでしょうからね」
 何か重大な仕事にでもかかるかのように、彼女は落ちついて、注意しながら進み出た。一心になったあまりに、彼女の顔はうごかなかったが、黒い瞳はひとしを深く、赤い脣がほのかに開いた。彼女は大きな身振をして、腕をあげねばならなかった。そして牡牛の器官を掌一杯につかまえて、立て直してやった。牡牛は目ざすあたりに近づいたと思うと、力をふるい起して、わずかに腰を一ひねりして、奥深く突込んだ。それから牡は身をひいた。たとえば、一粒の種を挿しこむ種差器の早業がこれですんだのであった。牝牛は、豊沃な大地が悠然と蒔かれた種をのみこむように、びくっともしないで、牡の豊穣な放射をがっしりとうけとめた。彼女は打撃をうけながら、身震いさえしなかった。牡牛はふたたび地面をゆるがせて、早くも下におりていた。
(第1部第1章、上18-19ページ)

14歳の少女が平然と牝牛の種付けをしてのけるこの場面が作品の冒頭にきていることが、この作品が猥褻と非難される一因にもなったのだろう。

 「子供はいや……もうよして……」
 彼はだしぬけに飛びのいた。こうして、横にまぎらせ棄てられた人間の種は、地上の熟れ切った小麦の中にとび散った。地は永遠に豊沃で、あらゆる種に胸をひらいて、決してこばまないのである。
(第3部第4章、中79ページ)

たしかに、ここまで露骨に書かれるとちょっと引くけどね……。

農民たちの貪欲

 「阿呆奴! 意見などとっくに聞かせた筈だ! 脚がたつ限り、財産をうっちゃるなどとは、頓馬か意気地なしのすることよ。わしなら、たとえ短刀で斬られたって、否と言ったにちがいない。……自分のものが他人にわたるのを見るなんて、餓鬼共のために自分から裸になるなんて、ああ、否だ! 否なこった!」しかし、フーアンは反對した。
 「でも、畑仕事が出来なくなっちゃ、土地にしたところで歎くだろうよ……」
 「歎くなら歎かしとくさ! 一スチエだって手放すよりは、薊の生えるのを毎朝見に行った方がましだよ!」
(第1部第3章、上51ページ)

グランド婆さん。この作品で最も強欲な人物。

この小さいフランソワーズはきかんぼうだとの評判をとっていた。彼女は不正を我慢できなかった。彼女が一度、「これはあたしの、これはあんたの」と言った時には、たとえ短刀をつきつけられようと、言いなおすことはしなかったろう。
(第2部第3章、上173ページ)

少女フランソワーズもまた、貪欲なフーアン家の血をひいているのである。

彼女自身も、恐らく、棺桶に納まらないうちから、なぜこうして死んだ振りをしているのか、その理由を言うことが出来なかっただろう。土地と家とは、まるで旅人のように、自分の生活へ偶然顔を出したこの男のものになるべきではない。子供は一緒に死んで行くのだから、あたしはこの男には何の借りもないわけだ。財産を親族から奪って他人の手へ渡す理由は少しもない。
(第5部第4章、下81ページ)

フランソワーズが夫のジャンに遺産を譲らない理由。ジャンに譲らなければ、土地は自分を死なせたビュトー夫婦のものになってしまうのだが、それでもよそ者には渡したくないらしい。

イエス・キリストとトゥルイユ

彼は街道の高みから、精一杯にトゥルイユを呼び立て、うちのいたずら娘は夕食の心配もしないで、二時間も前からどこかに行ってしまっていると、喚いたり怒鳴ったりした。
 ジャンが彼の方を向いて叫んだ。
 「お前の娘っ子はねえ、柳の下でヴィクトルと一緒に月見をしてるよ」
 イエス・キリストは両手の握り拳を空にふりあげた。
 「阿魔っちょ奴! 俺に恥をかかす気か!……鞭をとってきてやろう」
 そういって、彼は駆けもどって行った。それはこうした場合のために、左手の戸口の後にかけてある大きな革の鞭であった。
(第2部第4章、上205ページ)

月見をしてるというのは、要するにえっちをしているのである。娘の貞淑にうるさいイエス・キリストと奔放なトゥルイユとの立ち回りは作中に何度か登場し、この陰惨な物語に一服のおかしみを加えている。

 「お前さんの言うことは父親らしくないよ。実の子供を見棄てるなんて、自然にそむいたことだ……一体、俺は人がいいので、そのために損してしまったんだ……お前さんに金がないんだったら、仕方がないが、立派に持ってるのに、倅に施しができねえのかね。そんならよそへ物乞いに行くよ。しかし、それじゃ、みっともないだろう、ほんとに、みっともないだろうがね」
(第3部第2章、中31ページ)

父親に金をせびるイエス・キリスト。「それじゃ、みっともないだろう」って、なんという息子であろうか。

 イエス・キリストは急にけろっとなって、何やら考えているようだったが、やがてぬけぬけと言った。
 「十五フランか、駄目だ。そいじゃあんまり寸足らずだ。それじゃ話がつけられねえ……二十といこうじゃねえか。それなら手を打ってもいい」
(第3部第2章、中33ページ)

父親が折れた直後。「それなら手を打ってもいい」って、まったく、なんという息子であろうか。

 「土地、土地と大げさな言い方をしやがって! ほんとに! そんな駄法螺をふきつづけてると、今にお前は錆びついちゃうぞ……一体、土地なんて、そんなものが世の中にあるのか。土地はお前のものであり、俺のものだが、また誰のものでもないんだ。(略)」
 「(略)……明日は俺たちが一番強くなる番だ。俺ばかりじゃねえ、餓えかつえてきゅうきゅういうのに厭きちまった貧乏な奴等全部だ。それからお前たちだってだ。自分の食うパンさえねえのに、ブルジョワどもを養ってゆくのが嫌になったら、その時こそお前たちも立ちあがるだろう! ……地主共をやっつけろ! 彼奴等をたたきつぶせば、土地は欲しい者のものになる。(略)」
(第3部第3章、中60-62ページ)

しかしイエス・キリストはフーアン家のなかで、土地に執着を持っていない稀な人物である。結局のところこれが彼の最大の魅力なのであり、無頼なのも許せてしまうのである。

その他

 「君は性急で、科学からすぐに完全な結果を要求し、必要な暗中模索に絶望するものだから、遂には既得の真理さえ疑い、すべてを否定するようになってしまうんだ」
――ロシュフォンテーヌ
(第4部第5章、中262ページ)

これとほぼ同じセリフを、『生きる喜び』でカズノーヴ先生が言っている。ロシュフォンテーヌは必ずしもゾラの代理人とは思われないが、少なくともこの発言はゾラが強調してやまないところであった。

 「冷汗が出るよ、黙ってろ、……なに、八十九年と九十三年か。あれは音楽さ。立派な嘘だ。それで俺たちの耳の鼓膜を破りやがったんだ! 今後に残されている大仕事を思うと、冗談じゃねえ、大革命なんて夢幻さ。大衆が天下をとったら、よく分るだろう。今後のはぐずぐず長引かせずに、何も彼も一時に片づけるぞ。約束しておくが、今の世紀は前の世紀よりも、遙かに素敵な終りをとげるだろう。大掃除だ。今まで見たこともないような雑巾掛けだ!」
(第4部第5章、中272ページ)

急進革命思想を吹聴する流れ者、カノン。『ジェルミナール』のスヴァーリンと同じく過激な煽動者だが、『大地』では農民の欲望は土地所有へと収斂するので暴動は起こらない。

「お前さん達はもう脈の上った人間さ。土地に対する下らない愛情が、お前さん達を食ってしまったのだ。お前さん達は何時までも猫の額のような土地の奴隷になって、頭はお蔭で鈍くなり、これんぽっちの畑争いで人殺しもしかねない有様だ。お前さん達は幾百年も前から畑を女房の積りでいるが、肝心のその女房に裏切られているじゃないか。……アメリカを見給え。耕作する者は土地の主だ。家族とか思い出とか、われわれを土地に縛りつける因縁は一つもない。畑が痩せれば、もっと遠くへ移って行く。若し三百里向うに、もっと肥えた畑地を発見したと聞けば、直ぐにテントを畳んで、移転する。アメリカ人は、機械のお蔭で、土地に命令し、土地を支配している。彼等は自由で、しかもぐんぐんお金を貯めていくんだ。それに引換え、お前さん達は土地に金縛りで、貧乏に死んでしまうじゃないか!」
――ルキュー
(第5部第4章、下105ページ)

小学校教師ルキューの見た農民たち。農民のおかれた現況を、やや高い視点から表現している。

大地

彼は耕地の中を大股に調子をつけて往き来した。種入れの麦がなくなるにつれて、彼の背後では大地が種を身ごもるのであった。
(第1部第1章、上23ページ)

大地と母胎のアナロジー。

 ジャンは二人を家の入口までとどけておいて、ただひとり平原を横切って歩いて行った。雪は止んでいた。空は明るく冴えわたって、無数の星をちりばめ、廣大な凍った空から、水晶のような透明な青い光が落ちていた。そしてボースの野は、果てもなくひろがり、氷の海のように眞白く、平らかに、じっと静まりかえっていた。遠い地平の方からはそよとの風もわたって来ず、聞えてくるものといったら、堅くなった地面をふむ自分の大きな靴の音ばかりだった。それは森とした冬の静けさであり、崇高な平和だった。
(第1部第5章、上128ページ)

大地の情景描写、その1。

初めは、大きな四角い赤土畑のつづく中に、地面すれすれに、緑がかったほのかな影がひろがっているばかりだった。この柔らかいみどりがどぎつくなり、同じような調子をおびた、幾枚もの緑のビロードの端切れとなった。やがて苗が伸びしげり、植物がそれぞれの調子をもって、とき色のうまごやしが赤々とひろがる間に、あらゆる方角に果てしなく延びた小麦の黄色っぽい緑、燕麦の青っぽい緑、さては裸麦の灰色がかった緑などが、遠くからでもそれと分った。それはボースが、単調のうちにも、一律に新鮮な春の衣装をまとって、若さに輝く季節だった。
(第3部第1章、中7ページ)

大地の情景描写、その2。

 教会のうしろに、墓地が半ば崩れた低い塀に囲まれて、拡がっていた。塀は非常に低く、墓のあいだに立っても、四方の地平線が見渡された。靄に被われた蒼白い三月の太陽が、空を白く照らしていた。靄は白絹のようになめらかで、わずかに青味をまじえていた。このなごやかな光の下に、冬の寒さにいじけたボースの平原は、まるで寝坊の女がすっかり眼をさましていながら、ひとときの怠惰を愉しむために瞬きもしまいとするように、ひたすら睡りを追うかのように見えた。遠くは茫と霞んでいて、そのためにいっそう廣くなったように見え、秋に蒔いた小麦や燕麦や裸麦の、既に緑を吹く畑を連ねていた。それに反して、裸のままの畑では、春の種蒔きがはじまっていた。到るところで、粘っこい土塊の中に、人々は、空へ飛び立とうとするような播種の身振を、絶え間なく繰りかえしながら歩いていた。一番近くにいる男の手から蒔き散らされる種は、生きた埃のように金色に光りながら、はっきりと見てとることが出来た。種を蒔く人々の姿は遠くへ行くほど小さく、果ては無限の彼方に消えていたが、種は波のように彼等を包み、遙か遠くはなれては、ただ光のきらめくようにしか見えなかった。果しもないこの平原の隅々まで、何里四方にわたって、来るべき夏の命が、太陽の下に雨と降っていたのである。
(第5部第6章、下154ページ)

大地の情景描写、その3。

しかし、構ったことはない! 家は焼けても、地面まで焼くわけにはいかない。土地は、人間の養い親は、後に残って、種を蒔く者をはぐくむだろう。土地は空間と時間とをわが物とし、人間がより以上のものを引き出す方法を知るまで、とにかく小麦を提供してくれる。
 それは近頃吹聴されている革命の話や政治上の変動と同じことだ。人の噂では、土地が他の物の手に移り、海外の國々の収穫が入って来て、我が國の農産物を圧倒し、フランス中の畑が蕀の藪になるという。だが、そうなっても、果して土地を責めることができるだろうか。土地は矢張り誰かのものとなり、その男は餓死をしないために、耕さねばならないだろう。若しまた、何年も雑草の野と化しても、それは却って土地を休ませることになり、土地は再び若返って、豊穣な畑となるだろう。土地は気の狂った昆虫のような、われわれの相剋には入って来ない。土地は、年中仕事に精出している。あの働き者の蟻に対すると同様、人間のことにも全然関心をもたないのだ。
 また、苦痛と、流血と、涙と、人のこらえ、または反抗することども。フランソワーズが殺され、フーアンが殺され、悪党が勝利を得、村々の残酷で臭気紛々たる虫螻共が冒涜し蚕食する。だが、それは人力を以てはどうにもならないことではなかろうか。世界の進行には、麦を灼きくたす霜害と、薙ぎ倒す降雹と、押し流す雷雨とが必要であるらしいように、血と涙も必要な事柄なのではあるまいか。星辰と太陽の厖大な機構の中では、われわれ人間の不幸は、どれほどの目方があろう。慈悲の神はわれわれを問題にしてもいないのだ! われわれは惨憺たる、毎日の決闘をやって、ようやくパンを得るにすぎない。しかも、土地だけが、われわれがそこから生れ、且つ死んでから再びそこに還る母だけが、永久不滅である。われわれが罪を犯すまでに愛するこの大地、これはうかがい知るべからざる目的のために、われわれ人類の卑劣と悲惨とを以て、絶えずその生命を更新して行くのである。
 長いあいだ、このように雑駁で碌に形もなさない空想が、ジャンの頭の中を右往左往した。しかし、遠くに喇叭の音が鳴りひびいた。それはバゾッシュ・ル・ドワイヤンの消防組が、遅れ馳せに駆けつけて来たのだった。ジャンは、そのりゅうりょうたる響きを聞くと、すっくとばかり立ち上った。戦争が、軍馬と大砲と殺戮の叫喚とが、煙の中を駆けて行く心地がしたのである。感動が喉を絞めつけた。ああ! よし! 俺にはもう土地を耕す気持はないのだから、せめては武器を執って擁護しよう、この古いフランスの土地を!
 彼は立ち去り際に、もう一度、眼をめぐらして、いまだ草も生えない二つの塚から種蒔きの群れが絶え間ない動作を繰りかえしているボース平野のひろびろとした畑を見渡した。屍骸と種子、そしてパンは大地から生れでるのだ。
(第5部第6章、結語、下176ページ)

人間の欲望も、社会の変転も、すべての現世的なるものを超えて存続しつづける「大地」への信仰告白ともいうべき結語。

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