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旧訳自主規制箇所 - 第14巻『制作』

 この作品には清水正和訳(1999年)があり、現在では決定訳ともいえる存在になっているが、これ以前には1923(大正12)年の井上勇訳があるのみであった。この旧訳は全訳とはいうものの、刊行当時の時代背景のため、何か所か削除されている部分がある。聚英閣から刊行された文献を参照すると、冒頭に「覚書」と称して、訳者が次のようにことわっている。

一、書中数個所譯者の私意を持ちて抹殺し、其の個所に就いて此を示せり。我國の現状に於いて叉止むを得ざる事なりと信ず。現著者、及讀者にその罪を深謝す。(旧訳6ページ、いくつかの漢字を新字体に置き換えた)

 私がざっと見たところ、削除が示されている箇所を三つ見出すことができた。三つとも性関係の描写であって、要するに露骨なので風紀を乱すものと懸念されたのであろう。以下に、清水訳を参照しながら削除された部分を特定し、その理由などを検証してみることにする。
 なお、訳文は岩波文庫版の清水訳を引用し、旧訳の削除箇所対応部分を強調で示すことにした。

その1

 削除箇所の第一は9章である。クロードは新しい大作の制作にあたって妻クリスティーヌをモデルにすることになるが、その際クリスティーヌの裸身に近寄って、体の各部分を指先でふれながら仔細に調べる、という場面である。

「うん、この左の乳の下はまったくすばらしい。静脈が青く透けて、肌になんともいえない色調を与えている。……それから、ここ、この腰のふくらみ、そしてこのくぼみの金色をおびた影の色調、ほれぼれする。……それから、このふっくらとした腹の盛り上り、そしてこの下腹部にかけての線、この先端の青みをおびた金色と赤紫(カーミン)のかすかにまざりあった色調……ああ、この腹部こそ、いつもおれを恍惚とさせるのだ! むさぼり食いたくなるのだ! 描くのにこれほど美しいものが他にあるだろうか。まさに肉体の太陽だ!」
(第9章、下86ページ)

 この部分を削除することが「我國の現状に於いて叉止むを得ざる事」だったらしい。とはいえ、これは現代人にはよくわからない理由である。「先端」に触っているからいけないのであろうか。むしろ私なんかは、乳の下に静脈が青く透けて、とかいう部分のほうがよほどエロティックな気がするのだが。要するに、この程度の表現がいかんというなら、前後の文も一緒に削除しなければあまり意味がないではないか、という気がするのである。

その2

 第二の箇所は第12章、クリスティーヌがクロードに絵のことを忘れさせるため、快楽の世界にひきこもうとする場面である。

 クリスティーヌとクロードは、手さぐりでベッドに横倒しにころがりこんだ。愛の嵐だった。二人が結ばれた頃でさえ、これほどの昂奮を味わったことがなかった。幸せだった過去がこれまでにない激しさで二人の心に甦り、狂わんばかりの恍惚感に酔い痴れていた。闇が二人のまわりで焔を上げて燃え上がっていた。彼らはその焔の翼にのり、規則正しく、不断の羽ばたきで、高く、高く、この世の外にのぼりつめて行った。彼自身、悲しみから解き放たれ、なにもかも忘れ、至福の生に新たに生まれかわったかのごとく、歓喜のさけびを発していた。彼女はといえば、官能的かつ誇らかな笑みをたたえ、なまめかしくも命令口調で、夫に罵りのことばを言わせるのであった。
(第12章、下296-297ページ)

 これもまたよくわからない。もちろん、きわどい場面なのはわかるのだが、なぜよりによってこの文章ひとつだけを削除する必然性があるのだろうか。「歓喜のさけび」をあげているからだろうか。

その3

 次の削除箇所はそのすぐ後である。

 彼女は、息がつまるほど彼を抱きしめていた。彼を所有しているのは、いまや彼女だけだった。二人は、ふたたびのぼりつめた。星々のまたたく中、天馬にまたがり、めくるめくばかりに。絶頂に達すること三たび、二人は、もはや地上をはなれ、空の果てをめざし天翔ている心地だった。なんという幸福! どうして自分はこの確固とした幸福にひたって悩みを癒すことを考えなかったのか? 妻はいまもこんなに献身的だ。自分がこれほど陶酔できるからには、もしかすれば、これから幸せに生きていけるのではなかろうか? 救われるのではなかろうか?
(第12章、297-298ページ)

 ここの削除は、三か所のなかでは最も納得がいく。この前後の場面のうちでもここがひとつのクライマックスになっているからである。とはいえ、そもそも削除するほどの記述か、という視点からみれば、やはり現代人には理解しかねるところであろう。

結論

 要するに旧訳は、描写のいちばんきわどいところだけを最小限カットしているが、その判断基準はかなり形式的であって、文脈を損なうほどのものではないことがわかった。旧訳の読者にしてみると、肝心なところへきて「……此の処二行抹殺……」などと書いてあるものだからかえってドキドキしたかもしれない位のもので、実態を見てみればどうってことはない文章なのであった。

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