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抜粋集 - 第13巻『ジェルミナール』

エチエンヌ・家系と遺伝

 そう言って彼は頭をふった。ほんとにブランデーを憎んでいたのだ、それは飲んだくれの血統の最後の子供の憎しみであり、彼の肉体にとっては一滴の酒でも毒となったほど、アルコールにひたり、そのために狂った先祖全部のために苦しんでいたのだ。
(42ページ)

エチエンヌの遺伝的来歴に関する説明。彼はアントワーヌ→ジェルヴェーズという系譜の末端に位置し、しかもランチエの血も受けている。彼とこの遺伝的影響力との戦いが、この作品の背景で進行するもうひとつのドラマである。

それは彼の中に、得体の知れぬ恐怖を、遺伝の病気、一滴でもアルコールを飲めば、かならず殺人の狂気におちいる泥酔のながい遺伝へのあらゆる恐怖をかきたてた。
(342ページ)

同上。マッカール家の人々がアルコールの呪縛から解放される日は来るのであろうか。

 彼の中の忌わしい一つの声が彼の耳を聾にした。突然の殺人の狂気、血を味わおうという欲望が、腸の底から湧きおこり、鉄槌で打つように頭の中を打ちたたいた。この発作がこれほど激しく襲ったことはなかった。しかし彼は酔ってはいなかった。そして愛欲の狂気にかりたてられて暴行寸前の男が味わう絶望的な戦慄をおぼえながら、この遺伝による病とたたかった。ついに彼は自分を押えることができた。ナイフを後ろに投げすてて、かすれた声でつぶやいた。
「立て、行っちまえ!」
(371ページ)

シャバルとの第一回の決闘場面にて。このときのエチエンヌは遺伝を抑制することに成功する。

 エチエンヌは、そのとき狂気のようになった。目は赤い煙でかすみ、喉は逆流する血でふくれあがった。殺人の欲望がどうしようもない力で彼をとらえた。それは一つの生理的な欲望であり、粘膜を真っ赤に興奮させて、きまって激しい咳の発作をひきおこした。それは、遺伝的な疾患の力におされて盛り上がり、彼の意志の及ばぬところで爆発した。彼は壁の片岩をつかみ、ゆすぶって、非常に大きな重い一枚をひっぱがした。それから倍加した力で両手にとり、シャバルの頭蓋骨にたたきつけた。
(457-458ページ)

生き埋めにされた炭坑の底で、シャバルとの第二回の決闘。エチエンヌはここでシャバルを殺害してしまうが、この殺人はもはや遺伝よりも生き埋めという異常な状況によるものと見なすべきではないだろうか。

カトリーヌ

 エチエンヌは振り返ると、自分がまだカトリーヌのすぐそばに寄り添っているのがわかった。だが今度は胸の初々しい円味に気づき、突然、さきほど自分ににじみわたったあのほの暖かさの訳を理解した。
「じゃ、君は女の子だったんだな?」と彼は茫然としてつぶやいた。
 彼女は赤らみもせず、持ちまえの陽気な様子で答えた。
「そうだともさ……ほんとに! やっとわかったの!」
(36ページ)

カトリーヌを男の子と思っていたエチエンヌの誤解が解ける場面。彼女の「そうだともさ」は私を悩殺した名言中の名言である。

すると突然、この荒れ狂う怒りのただ中に、カトリーヌの姿が見えた。彼女も拳をあげ、半分にした煉瓦を振りかざして、小さな腕の力のかぎりに投げていた。なぜかは彼女にもわからなかったろうが、息をつまらせ、あらゆる人間をみな殺しにしたい欲望にとりつかれていた。この不幸な呪わしい生活は、まだ終わらないのか? 亭主に平手打ちをくらって追い出され、あたし同様死にかけている父親に一杯のスープを求めることもならず、迷子の犬みたいに泥道に行きくれるなんて、もう我慢できない。けっしてよくなることはないのだ、それどころか物心がついて以来、悪くなる一方だった。だから彼女は煉瓦を割り、ただすべてを掃きすてたいということばかり思いつめて、前に向かって投げていた。逆上して何を見ているのかもわからず、だれの顎をたたきつぶしているのかもわからなくなっていた。
(391ページ)

暴動にもあまり積極的に参加せず、従順な態度を示し続けてきたカトリーヌの突然の怒り。最後まで消極的だった彼女のこの振る舞いをもって、ヴォルー坑を包囲した群衆の熱狂は最高に達するのである。

炭坑

 風はあたかもたえず拡大する地平のはてから吹きつけられるかのように、突風の一吹きごとに増大してゆくように思えた。死に絶えたような空にはまだ一筋の暁光もささず、高い溶鉱炉だけが、コークス炉とともに暗黒を真紅にそめて燃えさかっていた、しかし未知なるものを照らし出してはくれなかった。ヴォルー坑は穴の底に意地のわるいけだものみたいにとぐろを巻き、さらに一段と身を沈めて、人肉の苦しい消化になやむかのように、いっそう太く長い息吹きで呼吸していた。
(14ページ)

ゾラの得意な無生物の擬人化。この作品における炭坑の擬人化は、双書全体を通じても稀有な迫力を持つものである。

 炭坑は囲みをとかれた。隊長は例の神経質な身振りで、石に裂かれた軍帽を脱ぎ、またかぶった。自分の生涯の災厄を前にして相変わらず蒼白く、断固たる態度をくずさなかった。一方、兵士たちはむっつりした顔で銃に弾をこめていた。石炭揚場の窓には、おびえたネグレルとダンセールの顔が見えた。スヴァーリンは思いつめた考えがそこに刻印されているかのような太い皺を額に刻んで、すさまじい様子で彼らの後ろにいた。この場のはずれの、高台の縁で、ボンヌモール爺さんは、片手は杖におき、片手は眼下の一族の虐殺をもっとよく見るために眉にかざして、じっと立っていた。消え残ってよごれている雪の下から見えてきた、石炭の、墨色のまだらの中に、雪どけのぬかるみにまみれ、たたきつぶされたような格好で、怪我人がわめき、死人が冷たくなっていた。そして、貧乏に痩せほそった、みじめでひどく小さい人間の死骸の真ん中に、巨大な死肉の塊、トロンペットの死骸が、貧相に痩せて横たわっていた。
(394ページ)

発砲事件の直後の描写。坑底で死んだ哀れな馬の死骸を中心に、砲弾に倒れた坑夫たちの血の海が広がる。死の演出効果を狙ったものであり、ゾラの小説家としての側面を窺わせる。

 だが、技師たちが慎重に近寄りはじめたとき、突然、大地の最後の痙攣が起こり、彼らはみんな逃げだした。巨大な大砲がいっせいに深淵を砲撃しはじめたかのような轟音が地下にとどろいた。地上では、最後にのこった建物までが転覆し、つぶれた。初め、一種の旋風が起こって、選炭場や揚場の破片を宙に舞い上げた。つづいてボイラー室の建物が裂け、姿を消した。次には排水ポンプが力つきてあえいでいた小さい櫓が、銃弾でなぎ払われた人間のように、うつぶせに倒れた。そのとき、人々はすさまじい光景を見た、台座の上でばらばらになった巻揚機械が、手足を八裂きにされながら、死と戦う姿を見たのである。それが動き、立ち上がろうとするかのように、その巨人の膝のような連接棒をのばした。しかし息絶えて、うちくだかれ、のみこまれた。ただ高さ三十メートルの煙突だけが、旋風の中の船のマストのように揺れながら立っていた。それは今にも粉々に飛び散るだろうと思われたが、突然、巨大な蝋燭のように溶け、一口に地中にのみこまれてしまった。なにひとつ、避雷針の先さえ地上に出ていなかった。それでなにもかもがおしまいだった。人肉を喉まで詰めこんで、この窪地にうずくまった邪悪なけだものは、もういつもの太く長い息を吐かなかった。今やヴォルー坑の一切は、深淵に沈んだのだ。
(…中略…)
災厄はまだ終わっていなかった。土堤がやぶれ、運河がわきかえる奔流となって地割れの中にどっと流れこんだ。それは深い谷に落ちる滝のように消えていった。炭坑はこの川をのみこみ、坑道はこれから幾年も洪水に没することとなった。まもなく噴火口はいっぱいになり、かつてヴォルー坑のあったところは、泥水の湖(うみ)となった。それは呪いをうけた都市を底に沈めた湖のようであった。恐怖にうちのめされた沈黙が生じ、大地の腸の中で落下する水のとどろく音しか聞こえなかった。
(431-432ページ)

ヴォルー坑の沈没。壮大な破滅と崩壊のシーンであり、双書中でも『ナナ』や『獣人』の結末に匹敵する名場面である。

性と生

 するとブリュレ婆さんの甲走った声が聞こえた。
「牡猫みたいにあれをひっこ抜いてやろうじゃないか!」
「そうだ! そうだ! 猫をやっつけろ! 猫をやっつけろ!……あんまりやりすぎやがったんだよ、このど助平め!」
 ルヴァクの女房が彼の脚をもちあげているあいだに、はやくもムーケットがズボンをはずして引っぱった。するとブリュレ婆さんが年寄りのひからびた手でむき出しの腿をひらき、ぐったりとしたその男性をつかんだ。彼女は十分に握り力をふるって痩せた背骨をつっぱり、長い腕をぎしぎし鳴らせながら、引き抜こうとした。柔らかい皮が抵抗し、彼女はやりなおさねばならなかった。だがようやく肉の切れっぱしをもぎ取って、その血まみれの毛むくじゃらな肉の一包みを、勝ち誇って笑いながら、うち振った
「そら、取ったぞ! 取ったぞ!」
(336ページ、強調は引用者)

この作品中、性に関わるもっとも露骨な場面。暴動が最高潮に達したときに起こった事件であり、ブリュレ婆さんが大活躍である。たしかに痛快な一場面ではあるのだが、読めばわかるように、なんと素手でひっこ抜いている。しかも「そら、取ったぞ」って……。もはや背筋が寒くなるとしか言いようがないであろう。

上流階級の徹底的に無能で愉快な紳士と婦人たち

「そう! ストライキがはじまったの」と彼女は夫から相談されると落ち着いて言った。「でもねえ! そんなことがあたしたちにどうだっていうの?……まさか食事をやめるわけじゃないでしょう?」
(179ページ)

エンヌボー夫人、その1。

 「あいつらがうちの炭坑で一日に六フランまでも稼げたことを思うと、つまりこのごろの儲けの二倍ですよねえ!」と彼は叫んだ。「だからいい暮らしをし、贅沢な趣味を身につけたんです……そこで今になって昔のつましい生活にもどるのが、奴らにつらく思えるのは当たり前ですよ」
(186ページ、強調は引用者)

エンヌボーが炭坑夫を非難する理屈は、労働者が贅沢してわがままになったというものである。ちなみに、そう言う自分は株主と会食中であるが、食卓には松露入りのかき卵と川鱒とうずらの雛の焼肉とシャンベルタン酒とロシア風のサラダとざりがにとライン産のぶどう酒とパイナップルとりんご入りプディングのぶどう酒漬けだけしか並んでいない。

だがエンヌボー夫人はモンスーの炭坑夫たちの悲惨な生活の話を聞いてびっくりした。彼らは非常に幸福ではなかったのか? 住居も燃料も与えられ、会社の費用で世話を受けている連中ではないか! こうした家畜の群れに冷淡だった彼女は、それについて教えられたことだけしか知らず、その知識で、訪問したパリの人々を感心させていたのだった。そして自分でもそれを信じこんでしまっていて、大衆の恩知らずに腹をたてていた。
(188ページ)

エンヌボー夫人、その2。

「なんだ! こんなものを見るためにわざわざやってきたのか!」とグレゴワール氏は期待を裏切られて叫んだ。  健康でばら色に輝くセシールは、こんなに清らかな空気を吸うことをうれしがり、はしゃいで冗談を言っていた。だがエンヌボー夫人は、いやらしそうなしかめ面をしてぶつぶつ言った。
ほんとのところ、ちっともきれいなところなんかありゃしない
(443ページ、強調は引用者)

沈没したヴォルー坑の廃墟で、坑夫たちが、生き埋めになった15人の救出作業に必死に取り組んでいる。すでに事故から12日が経過して被災者の生存が絶望視され始めており、救出にあたる坑夫たちの中にも死者・負傷者を出している。その現場に「見物に」やってきた婦人たちが洩らした言葉。

革命の赤い幻――正義・真理・復讐

この哀れな人間を奴らは餌食として機械に投げ与え、家畜のように坑夫町に囲っているのだ、大会社は彼らを徐々に吸収し、奴隷制度をととのえ、一国のすべての労働者を、何百万という腕を、一千人くらいの怠け者の繁栄のために軍隊みたいに組織するとおどかしているのだ。だが坑夫はもう無知ではなく、地の胎内に圧しつぶされたけだものではない。一つの軍団が、公民という収穫物が、炭坑の奥底から伸びつつある、その種は芽ぶいて、いつか太陽の輝く日に大地をはじけ飛ばすだろう。そのときには、四十年も勤務して、石炭の真っ黒な痰をはき、脚を切羽の水で腫らした六十歳の老人に、奴らがたった百五十フランの年金を、はたして大きな顔で出せるものかどうか、わかるだろう。そうだ! 労働は資本に、労働者のうかがい知らぬあの個性のない神に、弁明を求めよう、この神こそはどこかに、その神秘な神殿の中にうずくまって、そこから自分を養う食うや食わずの人々の生命を吸いとっているのだ! おれたちはそこに押しかけ、そちこちにあがる火の手の光できっとその面を見とどけて、そのけがわらしい豚野郎を、人間の肉をたらふく詰めたその奇怪な偶像を、血潮の下に沈めてやろう!
(264ページ、強調は引用者)

ストライキ突入にあたっての演説より。エチエンヌはスヴァーリンの感化により、独学ながら社会主義思想を身につけている。

 まず女房たちが現われた。その数はおよそ千人に近く、髪は駆けまわったために散らばり乱れ、ぼろぼろの着物はむきだしの肌を、食うや食わずの人間を産むのに疲れた雌の裸身をみせていた。ある女房たちは赤んぼを両腕にかかえ、もち上げて、弔いや復讐の旗のようにふりかざしていた。もっと若い別の仲間が、戦う女らしく胸を張って棒切れを振りまわせば、一方では老婆たちが、いかにもものすごい格好で、細紐みたいに痩せひからびた頸がひきちぎれるかと見えるほど力いっぱいにわめいていた。ついで男たちがころがるように急いで現われた。二千の猛り狂った、少年人夫や採炭夫や修繕夫の密集した集団で、色あせた半ズボンも、ぼろぼろの毛糸のチョッキも、おなじ土色一色の中にとけこんで見分けがつかなかったほど、きっちりと寄りあい混じりあったただ一つの塊となって進んできた。目はぎらぎら燃えていた。ただマルセイエーズを歌う真っ黒な口の穴だけが見え、歌の各節は堅い土を踏みつける木靴の響きをともなった混乱したうなり声の中に消えた。人々の頭の上、林立する鉄棒の間を、まっすぐに押し立てられた斧が通った。罷業団の軍旗のようなそのただ一本の斧は、澄みきった空にギロチンの刃のような鋭い半面を見せていた。
(中略)
 このとき太陽が沈みかかり、暗い緋色の最後の光が平野を血のように染めていた。そこで街道は血を押し流すかのように見え、女も男も屠殺最中の屠殺者のように血にまみれながら走りつづけた。
(318ページ)

街道を流れる血のような群衆たち。赤のイメージが非常に美しい。

 この世紀末の血の色をした夕べに、彼らすべてを宿命的に駆りたてていたのは、革命の赤い幻だった。そうだ、いつかある晩、民衆は解放され、手綱をとかれて、このようにそちこちの路上を駈けまわるだろう。そしてブルジョワの血にまみれ、切りとった首を引きずりまわし、たち割った金庫から黄金をまきちらすだろう。女たちはわめき立て、男たちはあの狼みたいな口を開いて噛みつくだろう。そうだ、そのときも同じぼろ着物、大きな木靴の同じ轟き、肌のよごれた吐息の臭い、同じすさまじい群衆が、野蛮人のあふれるばかりの圧力で古い世界を一掃しよう。そちこちに火事が燃え上がり、彼らは町々の一個の石もそのまま立たせてはおかないだろう。そして勝手気ままに情欲をもやし、たらふくご馳走を食べてから森の中の野蛮な生活にもどるだろうが、貧乏人たちはその一夜で女たちをくたくたにやつれさせ、金持の地下蔵を空っぽにするだろう。そこで新しい土地がたぶんふたたび芽ばえる日までは、もうなにひとつなく、財産の一かけらも、獲得する地位の一つの称号すらもなくなることだろう。そうだ、こうした事態こそが、まるで自然の力のように路上を通過し、彼らはそのものすごい風を顔に受けたのであった。
(319ページ、強調は引用者)

引き続き、赤のイメージ。とともに、性と生、芽生えなど、この作品のキー概念がことごとくこの段落に表れている。ともかく、この近辺(第五部後半)の記述は興奮なしに読むことはできない。

 だが彼は、最後の煙草を投げ捨て、あとも振り返らずに真っ暗になった夜の中に遠ざかっていった。その影は遠く小さくなり、くらがりに溶けこんだ。彼方へ、自分でもわからぬところへ向かったのである。吹き飛ばすダイナマイトのあるところならどこへでも、彼は平然と絶滅におもむくのだった。死期せまったブルジョワ階級が、一歩ごとに足もとで道の舗石がくだけるのを聞くことがあれば、それは彼の仕業であろう。
(434ページ)

ヴォルー坑の殺害者、スヴァーリン。あくまでも冷徹で非情なこの金髪の男は、ゾラの小説の中ではかなり珍しいタイプの人物類型である。とはいえ、ゾラは決して彼を否定的に描いてはいない。

「(……)こんなにたくさんかわいそうな者を殺したんじゃ、ブルジョワたちも幸せにゃなれなかろう。この罰はいつかきっと受けるだろう、だって、なにごとにも償いってものがあるんだから。あたしたちがわざわざ手を出すまでのことはあるまい。人をこきつかう工場はひとりでにふっとぶだろうし、兵隊は、労働者たちを射ったように、雇主どもを射つだろうと。そんなわけで百年を経てきた彼女のあきらめの中にも、一つの変化がすでに起こっていたのだった。それは不正はこれ以上つづきはしない、たとえもう親切な神さまなどいないとしても、貧乏人の仇を討つために、また新しい神さまが生まれるだろう、という確信であった。
(473-474ページ)

最終章、マユの女房の心情告白。この作品を通じてもっとも目覚ましい進歩をとげた彼女の思想は、ここから次のページにかけて見事に要約されている。

そこで彼女は決心し、彼の手を握った。彼は非常に感動して、鉛色の顔で、ベガン帽の縁から色あせた髪がはみだし、あまり子供を生みすぎたよい家畜のように不恰好になった体に、麻のズボンと上着を着た彼女を眺めた。この最後の握手の中にもまた、彼は仲間の握手を感じた。それは、もう一度やるときにはいっしょにやろう、と約束する無言の長い握手だった。彼には完全にわかった、彼女の目の奥には、静かな信念があった。じゃ、また近いうちにね、今度こそは大きな打撃をあたえてやろう。
(475ページ)

悲惨の底から立ち上がろうとするとき、男と女の間に芽生えるのはたしかな友情である。男女の隔離と社会的差別の欺瞞から最初に解放されるのは、資本家や中流階級ではなく、労働者たちなのだ。

新しい血は、新しい社会をつくるだろう。そしてこの老衰した社会をよみがえらせる蛮人の侵入を期待する気持の中に、近い将来の革命への絶対的な信頼がまた湧いてきた。それは真の、労働者の革命であり、その炎は、今この空で血をしたたらしているこの朝日のように真紅に、今世紀の終末を燃えあがらせるであろう。
(中略)
それはたった今降りていくのが見えた仲間たちなのだ、激しい怒りをいだいて黙々として打っている、真っ黒な仲間たちなのだ。たしかに彼らは敗北した、金と命を失った、だがパリはヴォルー坑の銃火を忘れていない。帝国の血もまた、この癒しがたい傷口から流れ出るだろう。そして、産業恐慌が終わりに近づき、工場が一つ一つ再開されても、やはり永久に講和のない戦争状態は宣言されたままつづくであろう。坑夫たちは、自分らも人のうちだということを理解し、力を試し、正義の叫びで全フランスの労働者をゆり動かしたのだ。だから彼らが敗北しても、だれも安心することができないのだ。(…中略…)今度はまだ、荒廃した社会を、肩で一押ししただけだった。しかも彼らは足もとでその社会がきしむ音を聞いたし、激動がさらに次々と高まり、古い建築がゆすぶられ、ヴォルー坑のように崩壊し、のみこまれて、深淵に流れこむまで、揺れつづけるのを感じた。
(477ページ、強調は引用者)

エチエンヌの将来展望。再度、血と赤のイメージが現れる。巨大な社会変動への予感は、『ナナ』以降、次第にはっきりとゾラの作中に姿を見せる。

生命への希求

あの彼が目に浮かべた、まぶしい眼差の中のプロゴフってのはどこにあるんだ? あっちのほうだ、あっちのほうだ。この大風の夜に遠くで海がほえている。あのずっと高いところを吹く風は、きっと荒野をわたってきたのだろう。二人の女、母親と姉が立っている。吹きとばされる帽子をおさえながら、彼女たちもまた、まるで家の倅がいま何をしているか見えるかのように、長い距離をへだてた向こうからながめている。いまとなっては、彼女らは永久に待ちつづけることになろう。金持連中のために、貧乏人どもが互いに殺しあうなんて、なんといとわしいことだろう!
(377ページ)

兵士ジュールが夢に見、そしてついにかなうことのなかった帰郷の願い。そこには、自然主義作家として非難のただ中を突き進むゾラの、ロマンチックな青春の日々への憧憬が反映されているかのようだ。いつか光の中へ戻ることを夢見ながら闇を突き抜けていこうという心情は、双書のいたるところに見出すことができる。

頭を低くし、足を体につけるようにちぢめ、土の細いトンネルを大きな体でいっぱいにしながら、走りに走った。通りが次々とつづき、分かれ道が現われても、彼はためらわなかった。どこへ行くのだ? たぶんあそこだ、若いころのあの幻の地へ、スカルプ河のほとりの、彼が生まれた水車小屋へ、空中に大きなランプのように燃えている太陽のおぼろげな思い出に向かってだ。彼は生きたかった、動物のもつ記憶がよみがえり、野原の空気をもう一度吸いたいという熱望にかられて、暖かい空の下の、光の中に出る穴を見いだすまで、しゃにむに進んだ。
(中略)
最後のふんばりで何メートルか身をひきずったが、胴は通れなかったのだ、そのまま土につつまれ、おさえつけられてしまった。それでも、血のしたたる頭をのばし、かすんだ大きな目で、まだ隙間をさがし求めた。だがたちまち水につつまれ、すでに馬小屋で死んだほかの馬と同じ、長い恐ろしいあえぎ声で、最期のいななきをした。老いて打ちくだかれ、動けなくなって、日の光から遠いこの地底でもがく動物、それはすさまじい死の苦悩であった。その悲嘆の叫びは止まず、暗い潮がたてがみをひたすと、がっと大きく開いた口を突きだして、いっそうしゃがれた声で鳴いた。だが間もなく、樽がいっぱいになるときのようなぼこぼこという最期の鈍い響きが聞こえた。それからぱったりと深く静まりかえった。
(450ページ)

坑底で10年間、日光を浴びることなく働き続けた白馬バタイユの凄惨な最期。バタイユもヴォルー坑崩壊の際に生き埋めになり、坑道を満たしてゆく暗い水の中で必死に出口を探しているが、やがて壁に挟まれて身動きできなくなり、かさを増す水に呑まれてゆく。光への熱望がここにも現れていることに注意すべきであるが、それ以上に、バタイユの死の苦しみと、それを見ているエチエンヌとカトリーヌの恐怖感が際立つ。

 彼女は夢中で、彼の頸にしがみつき、彼の口をもとめ、はげしく自分の口をおしつけた。闇は明るくなり、また彼女は太陽を見、恋する女の静かな笑いをとりもどした。彼は上着もズボンもぼろぼろになった半分裸の肌に、じかにこうした彼女を感じて身ぶるいし、男の性を呼びさまされて、彼女をつかんだ。こうして、とうとう彼らの婚礼の夜がこの墓場の底、泥の寝床で開かれた。それは二人の幸福を手に入れるまではどうしても死にたくないという望み、生きたい、最後にもう一度生を営みたいという執拗な欲求だった。二人は、一切の望みを絶たれ、死の中で愛しあった。
(466ページ)

密かに愛し合っていたエチエンヌとカトリーヌの、死を前にしての初めての性交渉。カトリーヌにとっては、初潮の後はじめての男との関係であり、そのことが、死という状況と相俟って二人のこの一夜を崇高なものにしている。

芽生え(ジェルミナシオン)

 ところが今では坑夫も地底で目ざめ、ほんとの種みたいに泥の中で芽ぶいているのだ。やがてある朝、畑のど真ん中に芽を出すのが見られよう。きっと人間が、人間の軍団が生長して、正義を建てなおすにちがいない。
(151ページ)

「芽生え」の語は、作中の随所に出てくる。

 そして彼の足の下では、鶴嘴の底深い執拗な打撃がつづいていた。仲間はみんなそこにいるのだ。大股に一足すすむごとに、彼らが自分のあとについて来るのが聞こえる。この甜菜畑の下にいるのは、マユのかみさんじゃないだろうか? 背骨も折れそうに、あんなにぜいぜい息をきらしているのが、送風機の音とともに聞こえてくる。左にも、右にも、ずっと遠くにも、小麦や、生垣や、若木の下に、ほかの連中の吐息も聞きとれるように思えた。今や四月の太陽は中天にのぼって、堂々と輝き、みごもる大地を暖めていた。滋養に満ちた胎内から生命が吹き出し、芽はほころびて青葉となり、畑は作物の芽生えで身をふるわせていた。いたるところで、種はふくれ、のび、光と熱への欲望にかられて、平野にひびわれをこしらえていた。満ちあふれる樹液はさざめきながら流れ、新芽の音は大きな接吻の響きとなって広がった。そして、さらに、さらに、まるで地表に近づいてきたかのように、ますますはっきりと、仲間の打ちつづける音が聞こえた。この若々しい朝に、太陽の燃えるような光をあびて、田野はまさにこのざわめきをみごもっていた。人間が、復讐をもとめる真っ黒な軍勢が、芽ぶき、徐々に畝の間に芽生え、来るべき世紀に取り入れられるために生長していた。その芽生えでこの大地はやがて張り裂けようとしていた。
(結語、478-479ページ、強調は引用者)

この結末は物語の開始からちょうど一年、春、ジェルミナール(芽生え月)のことである。エチエンヌはジェルミナールにヴォルーへ来て、同じジェルミナールにヴォルーを去る。しかし物語冒頭と違うのは、ここでは朝の光が「みごもる大地を暖めて」いることだ。きたるべき世紀における正義と真理の復活を期待するこの『ジェルミナール』結語をもって、ルーゴン・マッカール双書は、反抗と希望を底に秘めた後期作品群へと決定的な転回を遂げたのである。

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