本書『生きる喜び』は、その表題とは裏腹に主人公ポーリーヌの「生きる苦しみ」ばかりが描かれているところにその特徴があるが、実はその苦しみの大半は、彼女のまたいとこ・ラザールの優柔不断が原因である。
この人のどこが優柔不断かというと(まあなにもかも優柔不断なのだけれども)、二人の女のうちどっちを好きなのか自分でよくわかっていない、というところであろう。いとこのポーリーヌを好きなように見えて、幼なじみのルイズの誘惑にもふらふらとなびいてしまう。で、それをポーリーヌに責められると謝りはするのだけれども、ポーリーヌとの婚約を果たすわけでもなく、ルイズを選ぶと明言するわけでもなく、なんとなくそのまま〜にしていつしか時が過ぎてゆく……。言っておくが、ラザールは「どっちも好き」という、いわゆる浮気性なのではない。どっちも嫌いではないけれど、片方を捨ててもう片方と結婚するとなると迷いが生じて、決断するよりぐずぐずと先送りにしてしまうのであり、要するに「どうでもいい」らしいのである。(救いようがありませんな……)
こういう人は本当はもう放っておけばよいのであるが、ポーリーヌもルイズもラザールに好意を抱いているらしいから困ってしまうわけである。「ラザールをめぐる恋敵」という関係に一応はなるこの二人は、色々な面で対照的な魅力があり、その点は興味深い。実際、結末を知らずに本作を読むと、どちらの愛が成就するのか、中盤に至るまでは予想がつきかねると思われる。本作は恋愛小説ではないのでこれが主要なテーマになっているわけではないが、作品前半で興味を誘う点のひとつではあろう。
ポーリーヌとルイズを比較すると次のようになる。
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どうであろうか。どちらもそれぞれに魅力的であり、たしかに男として迷う気持ちはわからんでもない、という気はする。もっとも、それぞれの特徴ははっきりしているのであるから、自分の好みを自分でわかっていれば迷うことはないのではなかろうか。ちなみに私の個人的好みは、
という感じである。なんとなくルイズ有利にも見えるが、それはできるだけ公平に評価したからであって、直感的に結論を出せと言われたら私は間違いなくポーリーヌ派である。
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