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抜粋集 - 第12巻『生きる喜び』

ポーリーヌ関連

 彼女は真っ赤になって、嘘をつこうとした、だがすぐ、正直にいってしまいたくなった。
「いいえ、ちがうの……あのね、扉に鍵をかけると恐いからなの。あたし、かけないわよ、いいわね。たたいたら、来てちょうだい……あんたがよ、よくって? 女中ではだめ!」
(第1章)

引き取られたシャントー家での最初の夜。初めての部屋で眠るポーリーヌの不安。

「これこそ人のために生まれたお嬢ちゃんです」と彼は診断をくだすときのあの澄んだまなざしではっきりいった。(第2章)
ポーリーヌの美徳を、カズノーヴ先生だけははっきりと見抜いていたのである。カズノーヴ先生はこののちもポーリーヌのよき相談役として活躍する。

 ついで彼女のうちにさまざまな変化がおこって彼女をなやました。それは充血したように悩ましくきざしはじめた円味だとか、暗い陰影だとか、皮膚のいちばんひそやかな感じやすいあたりのほのかな柔毛だとかの、要するに全身のゆるやかな発展だった。(第2章)
ポーリーヌの成熟。うーん、悩ましいねえ。

「意地悪の権利があるのは貧乏人だけだわ……」――ポーリーヌ(第11章)
これがポーリーヌの信条である。本当は自分だってけっこう搾り取られているのに、自分は貧乏人でないと思っているところがポーリーヌらしいところだ。

「この子の時代はたぶんもっと利口になるわ」
と彼女は突然いった、「坊やは生活をそこなうといって化学を非難することもないでしょうし、ひとはいつかは死ぬものと確信しても生きてゆけると思うでしょうよ」
(第11章)

この物語を総括するポーリーヌの名言。生きる喜びとは、死を知りつつなお生きることができるということなのである。

ラザール関連

 彼の厭世観そのものがこの苦悩の寝台の前ではくずれた。その苦悩への彼の反抗は、彼を世界の憎悪におしこむどころか、実は健康へのはげしい欲求、生命への狂熱的な愛にほかならなかった。(第4章)
ラザールの厭世観の正体。この人の信念にはたいした基礎がないのである。

 それは死の切迫をいつもなまなましく考えるために、行動するのがいやになり、生のむなしさを口実としてただ無意味にくらす均衡のくずれた男の倦怠だった。どうして騒ぎ立てるのか? 科学には限界がある、ひとはなにも阻止できないし、決定できるものでもない。そう考えた彼はその世代のひとびとに通ずる懐疑的な倦怠をもったのだった、それはもう昔の信仰を追慕して泣くウェルテルやルネのあのロマンチックな倦怠ではなくて、新しい懐疑派の英雄たちや、いっきょに蒸留器の底に生命をみつけなかったので腹をたてこの世界を無力と断定する若い化学者たちの倦怠だった。(第9章)
同上。

「(……)ああ! 君のほうが正しかったのだ、貴いのは陽気さや親切さだけだ、そのほかは単なる悪夢にすぎないのだ」
 彼女は彼の話をさえぎろうとした、だが彼はいっそう高い声でしゃべりつづけた。
「まったくみんなばかげてるよ、ああいう否定やああいうだぼら、僕が恐ろしさとみえにかられておぼれたああいう暗い考えなんか! 僕たち二人の生活でも、みんな不幸にしたのは僕だ……まったく、君だけが賢明だった。一家が上きげんで、みんながお互いに助けあってくらせば、生活などまったくやさしくなる!……もしもみんなが貧乏で倒れるとしたら、お互いに憐れみあって、少なくとも陽気に死にたいものさ!」
(第10章)

ラザールの一時の回心。ルイズの分娩の間中、部屋に閉じこもって震えていたくせに、死産になりかかった自分の子が無事出生するとコロリと信念が変わって陽気になっている。が、これも三日と長続きしないで、もとの厭世観に戻るのである。やれやれ……。

「お父ちゃんは病院にいるし、お祖父ちゃんは働いていてけがをしたし、お母ちゃんは外に出る着物がないの……かわいそうだと思ってちょうだい、お姉ちゃん……」
「うるさいったら、いいかげんにしろ、この嘘つきめ!」とラザールが腹をたてて叫んだ、
「おまえの親爺は密輸入で監獄にいってるんだし、じじいはロックボワーズのかきの養殖場を荒らして手首をくじいたんじゃないか。それからお袋は着物なんかなくったって、畑荒らしにはシュミーズでゆけるはずだ、(……)」(第7章、368ページ)

しかしラザールの発言の中でこれだけはヒットであろう。嘘を突いて食べ物を恵んでもらおうとした少女に対する突っ込みが見事にツボにはまっている。

厭世思想、神について、そして生きる喜び

「だれだってそこにいるから、そこにいるんですよ、旦那……とにかくどこかで暮らさなきゃならないんですからな」――プルワーヌ(第1章)
ボンヌヴィルの漁師プルワーヌが、なぜこんな海辺の危険な村に住んでいるのか、と訊ねられて応える言葉。いっけん保守的に見える民衆の、自然と共存しようとする知恵を感じさせる。

「どなたでもそれぞれの考えにしたがって、身をまっとうすればよろしいのです」――オルトゥール師(第4章)
田舎司祭のオルトゥール師は、宗教上の儀式についてもあまりうるさく言わないのである。

「わたしが神を信じないとだれがいいましたか?……神はありえないわけじゃない、世の中にはいろんなおかしな物があるから!……要するにだれにもわからないのです」――カズノーヴ(第6章)
神についてのカズノーヴ先生の見解。しかし神のことを「いろんなおかしな物」って……。

「ああ! わたしはそこに今日の青年をみとめるね。彼らは科学をかじって、そのために病気になっている。つまり乳母のお乳といっしょにすった絶対の古い観念をそこで満たせなかったからさ。君たちは科学のうちに一挙に束にしてあらゆる真実をみたがっている。われわれはようやく科学がわかりはじめたばっかりで、科学はおそらくどこまでいっても果てしのない探究にすぎないだろうにね。そこで君たちは科学を否定し、もう君たちをあてにしない信仰にとびこみ、けっきょく厭世観におちこむのだ……たしかに、これは世紀末の病気だよ、君たちは裏がえしのウェルテルなのさ」――カズノーヴ(第7章)
厭世思想に対するカズノーヴ先生の見解。これはまぎれもなく作者ゾラの代弁である。

 彼女は小さいポールをゆすぶりながら、いっそう朗らかに笑い、従兄のおかげで大聖者ショーペンハウエルに改宗した、世界の救済につくすためにいつまでも娘でいるつもりだとふざけた。じじつ、彼女は自己放棄、他人への愛、邪悪な人間の上にひろげた親切そのものだった。太陽がはるかな海にしずみかかり、色あせた空から清爽な気配がひろがり、はてしない水、はてしない空気が、美しい日の暮れ方のあの感動的な静けさをたたえていた。小さい白帆だけがはるか遠くで、まだ一点の火となって輝いていたが、太陽が一本のまっすぐな単純な大きな水平線の下におりると、それも消えた。それからはもう薄闇がうごかない潮の上にしだいに濃くたれこめるばかりだった。ポーリーヌは夕闇に青んだテラスのまんなかで、しおれかえった従兄とぼやきつづける伯父のあいだに立って、元気よく笑いながら子供をゆすぶりつづけた。彼女はなにもかも剥ぎとられたが、その朗らかな笑い声はいかにも幸せそうだった。(第11章)
私のみるところ、本書で最も美しい場面描写である。

「自殺するとは、ばかなやつだ!」――シャントー(第11章)
結語。

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