このナナという名前、親しみやすくてだれの口からでもひとりでに出てくるこのかわいらしい名前は、まるで愛撫みたいなものだった。その名前を口にするだけで、群衆は浮き浮きし、子供っぽくなるのだ。(12ページ)
ナナという愛称はおそらく本名のアンナ(Anna)からきたのであろうが、たしかに発音しやすくて感じがいい。
ナナは、少年の腕に抱かれていると、十五歳の無邪気さを取り戻すのだった。彼の子供っぽい愛撫の下で、男に慣れ、男に嫌悪をもよおしている彼女のうちに、ふたたび恋の花が咲く思いだった。ふいに顔が赤くなったり、感動で身震いがとまらなくなったり、同時に笑いたいような泣きたいような欲求におそわれたりして、要するにおどおどした生娘らしさそのものに返り、時折、欲情が湧き起こると、それを恥ずかしく思うのだった。
(185ページ)
ナナの無邪気な恋。破滅的に美しい肉体と、意外なまでの情のもろさが同居しているのが、ナナの魅力なのである。
「あたしが知らないですって!……そういうその堅気の女たちこそ、そもそも、身持ちがよくないじゃないの? ええ、全然よくないわよ! あたしみたいにこうやって、平気ではだかでいられる堅気の女がいたら、お目にかかりたいわ……笑わせないでよ、堅気の女だなんて!」 ――ナナ(223ページ)
ミュファー伯爵に言い返して。
「なにが淫売よ! あんたの奥さんはどうなの?」 ――ナナ(239ページ)
ミュファー伯爵に言い返して。これはナナの言い分のほうが正しい。
「おかしいわね、お金持ちって、お金さえ出せばなんでも手に入れられると思ってるのね……」 ――ナナ(299ページ)
この発言はミュファー伯爵を通じてヒロインの役を奪おうとするための策略なのだが、半分はナナの本音も含んでいるに違いない。
だが小鳥みたいに単純な彼女の頭のなかで、復讐などという考えはそう長続きしなかった。怒っている時を除けば、残るのは、彼女にあっては、いつでも旺盛な浪費欲と、金を出してくれる男にたいする本来的な軽蔑、恋人たちの破滅に誇りを感じる、貪欲で浪費的な女の、絶え間のない気まぐれだった。
(316ページ)
こ、小鳥みたいに単純な頭……。
そこでナナは、さげすむみたいな手つきで特別観覧席のほうを指しながら、しゃべりつづけた。
「それに、断っとくけど、あんな連中にも、もう驚かなくなったわ!……知りすぎてるんだもの。はだかになったところが見ものよ!……尊敬なんてなくなったわ! 尊敬なんておかしくって! 世の中は上も下も汚ない人間ばかり、いつだって汚ない者同士よ……」
(363ページ)
上流階級に対する軽蔑。やはりナナの言い分が正しい。
物語の名場面のひとつである、パリ大賞レースに熱狂する群衆の描写。
いまでは先頭の一団は、雷のような地響きを立てながら、猛然とこちらへ向かってきた。その接近と、いわばその息づかいとが、一秒ごとに大きくなってゆく、はるかなどよもしのうちに感じられた。群衆がこぞって、猛烈な勢いで、柵ぎわへかけつけていた。そして馬に先がけて、底ふかいどよめきが人々の胸からほとばしり出、打ち寄せる潮騒に似た響きとともに、だんだんと近くへ伝わってきた。十万の観衆が執念に憑かれて度を失い、何百万という大金をさらってゆくこの馬たちのギャロップを追って、偶然を願うおなじ一つの気持ちに燃えあがっているという、巨大な勝負のいわばどたん場の熱狂がそこにあった。押し合いへし合いし、踏んづけあい、拳を握りしめ、ぽかんと口をあけて、めいめい自分のことだけしか考えず、めいめいが声や身振りで自分の馬に鞭をあてていた。そしてこの群衆全体の叫び声、フロックコートの下から顔を出した野獣の叫び声が、ますますはっきりと鳴りどよもした。
(381ページ)
競馬の決着がつく寸前のあの群衆の熱狂。すさまじい迫力の描写である。
ナナ! ナナ! ナナ! その叫びが燦々と輝く太陽の光のなかに立ちのぼり、金色の雨が群衆の目まいの上に降り注いでいた。
そこでナナは、ランダウ馬車の御者台の上に、ひときわ高く突っ立って、みんなが拍手喝采しているのは自分なのだという錯覚を起こした。
(中略)
ナナは、平野全体がこだまして彼女に送り返す、自分の名前に相変わらず聞き入っていた。彼女の臣民が彼女に喝采を送っているのであり、それにたいして彼女は、日射しのなかに直立して、太陽の色の髪をなびかせ、空の色、白と青のドレスをまとって君臨しているのだ。
(383ページ)
女王もかくやと思われるほどのナナの栄光の一瞬。誇張がすぎるという意見もあるようだが、私は単純に本作でもっとも美しい場面のひとつだと思う。
教育のない娼婦タタン・ネネは、なんでも真に受けてしまうので、始終みんなからからかわれてばかりいる。物語の随所に出てくる、タタン・ネネをからかうためのほら話を集めてみた。
タタン・ネネがラボルデットの耳もとにかがみこんで、彼女の知らないそのビスマルクというのは、だれのことなのかとたずねた。するとラボルデットが、澄ました顔つきで、とんでもないでたらめを話して聞かせた。そのビスマルクという男は、肉を生で食べる。その住んでいる近くで女に出会うと、肩にかついでさらってゆく。そんなふうにして、四十歳なのにすでに三十二人の子供がいるというのである。
「四十歳で三十二人の子供ですって!」と、真に受けて唖然としたタタン・ネネが叫んだ。「年のわりにはさぞくたびれきってるんでしょうね」
みんなが爆笑し、そこで彼女は、からかわれていることを悟った。
「まあ、ひどいわ! 冗談を言ってるのかどうか、あたしにわかるわけがないじゃない!」
(107-108ページ)
ほら話、その1。ここのビスマルクというのは、むろんのちの統一ドイツ宰相となるビスマルクのことである。この男によって、じきに第二帝政は壊滅させられるのだが……。
彼はシャンペンの壜を持っていき、ピアノのなかにその中身を全部あけた。ほかの連中は、みんな腹をかかえて笑った。
「あら!」と、それを見つけたタタン・ネネが、ぽかんとしてたずねた。「あの人、どうしてピアノにシャンペンをかけているの?」
「なんだ、君、知らないのか?」と、ラボルデットが重重しい顔つきをして答えた。「シャンペンほど、ピアノにいいものはないんだぞ。音がよくなるんだ」
「あ、そう!」と、本気にしたタタン・ネネがつぶやくように言った。
そして、みんなが笑ったので、彼女は憤慨した。彼女にわかるはずがないではないか! みんなで彼女をからかってばかりいる。
(123ページ)
ほら話、その2。
先頭のマリア・ブロンは、例のタタン・ネネの薄のろをかついで、パリの牛乳屋は糊とサフラン粉をまぜて卵だと言って売るのだとなどと話していたが、それにも飽きて、いよいよ退屈しはじめていた。(196ページ)
ほら話、その3。もう、むちゃくちゃですな。
婦人方は地面にじかに膝をつき、指環をはめた手で土をひっかきまわして、とくべつ大きいじゃがいもを見つけるたびに嬌声をあげるのだった。それが彼女たちには、無性に面白く思われた! だがなんといっても得意だったのは、タタン・ネネである。若いころいやというほどじゃがいもを掘った経験があるので、無我夢中になってほかの女たちをあれこれと指図し、彼女たちを馬鹿者呼ばわりした。(189ページ)
タタン・ネネの報復。普段からかわれているうさを、ここぞとばかりに晴らしたのであろう。
上流階級を腐乱させるナナという女の所業に、ゾラはどのような意味を込めようとしたのか。手がかりとなる記述を掲げる。
『金の蠅』と題するフォシュリーの記事は、四代か五代も大酒のみがつづいて、貧困と飲酒のながい遺伝のために血の毒された家庭に生まれたある娘の物語で、彼女にあってはその遺伝が、女としての性欲の神経症的異常という形をとったというのである。その娘は場末の、パリの石畳の上で育った。そしてたっぷり堆肥のきいた植物さながらに大柄で、美貌で、堂堂とした肉づきだった彼女は、自分がその申し子である乞食や見放された人間たちのために復讐をしている。彼女とともに、下層民の間でひとりでに醸成された腐敗菌が、貴族階級にまで達してこれを腐敗させてゆく。彼女は、自分でもそのつもりなしに、有無を言わさぬ自然の力、破壊の酵素そのものとなって、雪のように白い太腿の間でパリを腐らせ、分解させ、ちょうど女たちが、チーズをつくるために牛乳を酸敗させるのとおなじように、パリを酸敗させるというのである。そしてその記事は最後へ来て、その女を蠅にたとえていた。汚物から飛び立った日光の色をした蠅、道端に放置された動物の死体から死を吸いとり、ぶんぶんうなり飛びまわって、宝石のような輝きを発しながら宮殿の窓からはいりこみ、ただとまるだけで人間に毒を植えつける蠅。(216-217ページ)
フォシュリーがナナを「金蠅」と形容した記事。
「いやよ! あたしはごめんよ!……あたしがそんなことに向いていると思うの? ちょっとあたしを見てよ、あたしが男を背負いこんだりしたら、もうナナじゃなくなるわよ……だいいち、不潔だわ……」
彼女はつばを吐き、まるで目の前に、地上の不潔なもののありったけがさらけ出されているのを見るみたいに、嫌悪のげっぷを出してみせた。
(447ページ)
ジョルジュの求婚を拒んで。ナナのナナたる所以のものは、結婚とは相容れないのであろう。
彼女は社会なんか、その程度にしか考えていないのだ! それが彼女の復讐、血とともに彼女に伝えられた、父祖伝来の無意識的な怨みだ。
(452ページ)
本作には復讐という語がよく出てくる。
彼女の場合はそれとちがって、だれもがばかにするちょっとしたばかばかしいもの、つまりすべすべした裸体をちらつかせただけだったが、そんな恥ずべき、だが世界をも持ち上げるほどの強力な力を持ったつまらぬものだけで、彼女はたったひとりで、人夫も使わず、技師たちの考案した機械の助けもかりずに、パリを震撼させ、何人もの男の亡骸の眠るこのすばらしい財産を築いた。
(460ページ)
ナナの偉業。やはりこれは一つの偉業とみていいであろう。
「ええ、そりゃあ、わかってるわよ! どうせみんなは、やっぱりあたしのことを悪い女だって言うに決まってるわ……(中略)……そうよ、ナナをやっつけろ! あの獣をやっつけろってね……(中略)……あのけがらわしい女は、だれかれの見境なしに寝て、男たちをすっからかんにしたり、死なせたりするんだ、ずいぶん大勢の人間を苦しませるんだってね……」
(中略)
彼女の周囲に感じられるかずかずの不幸、彼女が惹き起こしたそうした悲惨が、しんみりとした感情の生温かく間断のない波に、彼女をひたすのだった。そして彼女の声は、おさない少女のひそかな哀訴の声と変わっていった。
「ああ! 苦しい! ああ! 苦しいわ……我慢できない、息がつまりそうだわ……だれからも理解されないで、みんなを敵にまわすなんて、つらすぎるわ、だってみんなのほうが強いんですもの……(中略)」
「(中略)……彼らが、勝手にあたしのスカートにへばりついて、いまになってくたばったり、乞食したりして、どいつもこいつも絶望気取りでいるんじゃないの……」
(中略)
「まったくよ! これじゃ公平じゃないわ! 社会の出来方が悪いんだわ。いろんなことを要求するのは男のくせして、女ばかりが攻撃されるのよ……そうよ、いまだからあんたに言うわ。彼らと付き合ってるときだって、わかる? ほんとはあたし、楽しくなんかなかったのよ、全然といっていいくらい。ただ、うるさかっただけよ、誓ってもいいけど!」(461-462ページ、強調は引用者)
本作のなかで非常に重要な、ナナの言い分を要約した部分。ナナという女の特異な点は、その破滅的な魅力の背後にナナ自身さえ関与していない大きな環境の力が働いていることなのである。ナナは到底「悪女」ではあり得ない。
彼女はただひとりで、この屋敷の山と積まれた財宝の真ん中に突っ立っていたが、その足もとには、無数の打ち倒された男たちが横たわっていたのだ。骸骨で埋まったおそろしい領地に住んでいたという、その昔の怪物たちと同じように、彼女の足は髑髏を踏みすえていた。そしてさまざまの悲惨な結末がそのまわりを取り巻いていたのだ。(中略)彼女の破壊と死の事業は達成されたのだ。場末の汚物から飛び立った蠅が、社会を腐敗させる菌を運んで、ただその上にちょっととまるだけで、こうした男たちを毒したのだった。それでいいのだ、正当なことなのだ、彼女は乞食や見捨てられた人たち、自分の世界の人間たちのために復讐してやったのだ。そして殺戮の野を照らす朝日のように、彼女の女の業が栄光に包まれて立ちのぼり、累々として横たわる犠牲たちの屍を照らすときにも、彼女はおのれのなせる業を知らず、依然として気立てのいい、美しい野獣としての闊達さを保っていた。(中略)そして、サタンに最後の接吻をしに行くために、盛装して出かけたが、その姿は清楚で、頑健で、いかにもみずみずしく、まるで一度もからだを使ったことなど、ないかのようなのだった。
(第13章結語、463-464ページ)
これも物語全体を要約するかのような、美しい描写だと思う。
フォンタンは、彼女が『ええ』と言ったからといってはなぐり、『いいえ』と言ったからといってはなぐった。彼女も、慣れっこになって、それを甘受した。(250ページ)
フォンタンの暴力、その1。
だが彼は、それ以上つべこべ議論はしなかった。テーブルごしに、彼女に力いっぱいびんたを食らわせて、言った。
「もう一回言ってみろ!」
ナナがなぐられてもひるまずに、もう一度言ったので、彼は彼女におどりかかって、なぐる、蹴るの乱暴の限りをつくした。間もなく、彼女をぐうの音も出ないような状態にしたので、とうとう彼女も、いつものように、服を脱いで泣きながらベッドへはいった。
(263ページ)
フォンタンの暴力、その2。ここらへんは母親(ジェルヴェーズ)の生涯を彷彿とさせるものがある。
「なあに、女のあるところ、つねにびんたありって言うからな。そう言ったのは、たしかナポレオンだ……」 ――ボスク(265ページ)
うそをつくんじゃない、うそを。
場末の酔っぱらいたちの世界では、腐敗した家族は、陰惨な貧乏、パンのない食器戸棚、財布を空っぽにするアルコール中毒といった形で滅びてゆく。ところがここでは、一挙に積みあげられ火をつけられた財宝のがらがらと崩れ落ちる上に、ワルツが由緒ある名門を惜しむ弔鐘を鳴りひびかせるのであり、その間も目に見えぬナナの幻が、そのしなやかな肢態で舞踏会の上にひろがり、音楽の下卑たリズムに乗って、この人間たちを解体させ、暑い空気のなかに漂う彼女の匂いという酵素をしみこませてゆくのだ。(413ページ)
上流階級の崩壊。ミュファー家の没落はその典型として、『居酒屋』のクーポー家の崩壊と一対をなしているわけである。
そしてこの虚無をおおう、おそろしくもグロテスクな仮面の上に、髪の毛だけが、あの美しい髪の毛だけが、太陽の輝きを失わず、黄金の川となって流れていた。ヴィーナスが腐爛してゆくのだ。まるで彼女自身が、溝泥のなかに放り出されている屍肉から拾ってきたあの病菌、それで大勢の男たちに毒をふりまいてきたあの腐敗菌が、彼女の顔にまでのぼってきて、腐らせてしまったとでもいうみたいに。
部屋のなかはがらんとしていた。がむしゃらな絶叫の息吹きが大通りから沸き起こって、カーテンをふくらませた。
「ベルリンへ! ベルリンへ! ベルリンへ!」
(483ページ)
ナナの遺体と遠くに聞こえる群衆の叫びとの対照が冴える結語。
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