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抜粋集 - 第5巻『ムーレ神父の罪』

 パスカルは荒々しく鞭を振り廻しながら、馬車から體躯を乗出して、
「何、日課経を読んでゐるつて…………いやいや呼んでこなくてもいゝ。あれの顔を見たら俺は絞殺して了ふかも知れない。俺はあれにアルビンの死んだ事を知らせにきたのだ。」

パスカル博士の怒り。

その騒動の中から、デシレの高笑ひが聞えてきた。デシレは著物の袖を二の腕まで捲りあげて、美しい頭髪を風に靡かせながら垣根の上に半身を乗り出すやうにして、
「サーヂ、サーヂ」と叫んだ。
 その時アルビンの柩は墓の底に達して、柩を下した綱が手繰上げられた。農夫の一人は鋤を取上げて、墓穴の上に土壌をかけ始めた。デシレは一層聲を張上げて、
「サーヂ、サーヂ、牛が子を産んだのよ。」と手を叩きながら叫ぶのであつた。

結語。

 「それや大勢の親類のうちには、迚も天國には行けないものがゐるよ。若し皆が交わるゝお前の許へ懺悔をしにきたら、随分お前はいろゝな事をきくだらうよ。俺の方ぢやア、懺悔などをきかなくても遠くから皆を見張つてゐて、俺は植物の標本や、醫薬の筆記帳の間に、あれ達が何をしたかといふ記録をとつておくよ。今に俺はその記録によつて非常に面白い表を製作るよ。まア、見てゐてご覧。」――パスカル博士
セルジュに語って。一家の歴史を記録に残そうとするパスカル博士の構想。これは成就せず、博士の死後、資料は燃やされてしまう(第20巻)。

「私はあの豚にマシウといふ名をつけたのよ。何故つていふと、郵便配達のマシウのやうに肥満つてゐるのですもの」――デジレ
そ、それは、郵便配達のマシウには教えないほうがいいと思うぞ。

「真実、動物共が一番いゝ、動物共は悉皆幸福で丈夫だ。だがサーヂにも困つたものだ。法衣のお庇で苦みを増し、一生をだいなしにして了つた。」――パスカル博士
生理学的人間観に連なる言葉。

「貴郎はあの朝の事を記憶えてゐるでせう。櫻ン坊の季節が過ぎて了つたので、私の唇を櫻ン坊の代りだといつて食べて了ひさうに幾度も接吻をなすつたではありませんか……あの頃私達は花の凋んでゆくのを見てさへ、悲しさを覚えました。ある日、小鳥の死骸を草原の上に見つけた時、貴郎は眞青になつて突然私を抱き締めたではありませんか。」
「貴郎は緑の海のやうな牧場を二人で歩いた事を記憶えてゐますか?あの頃私達は愛と生命の喜悦に浸つてゐました。」
「いつか夕方、夕日の射込んでゐる森の中を二人でいつ迄も彷徨歩いたゐた事を記憶えてゐらつしやるでせう。赤く染つた空が段々薄れてゆくのを見て、空が昼間の着物を脱いで夜会へゆく黒い着物に着かえてゐるのだと、二人で笑つた事がありましたね。日が暮れて四辺が暗くなつたとき、私達は空がベールを被つたのだといひましたつけね。黄昏がいつ迄も続いてゐたので、貴郎は暗くなるのを待つてゐたでせう。あの時私は貴郎の膝の上で睡つたふりをしてゐると、貴郎は私が知らないかと思つて、幾度も接吻をなすつたでせう。」
――アルビーヌ

アルビーヌの追憶。

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