フランス文学における18世紀は、哲学精神の発展と勝利の時代である。要約すれば、それは「哲学者の世紀(le siècle des philosophes)」または「啓蒙の世紀(le siècle des lumières)」にほかならなかった。
政治的には、ルイ14世の死(1715)に象徴されるように絶対王政の凋落が始まり、アーヘンの和約(1748)などでフランスは外交的失敗を重ねた。いっぽう、非キリスト教世界との接触を通じて従来の規範が動揺し、フィロゾーフ(philosophe)と呼ばれる知識人の一群が登場する。文学においても、17世紀を特色づける権威精神・絶対性・芸術的完全性に代わって、批判精神・相対性・実験的試みが力を得てくるのである。
世紀後半に至り、七年戦争(1756-1763)でプロイセンに敗北し、イギリスとの植民地競争にも敗れてインド・カナダを失ったフランスは深刻な財政難に陥る。ルイ15世の濫費やアメリカ独立戦争(1776)への支援がこれを加速し、チュルゴーやネッケルによる財政改革も、貴族階級の抵抗にあってはかばかしい成果を挙げることはできなかった。こうしてついにフランス革命(la Révolution française, 1789)を迎える。多くの文学者・哲学者たちは、この革命のイデオロギー的導火線の役割を果たした。
革命期のフランスは激しく動揺し、古い秩序を破壊しようとする異端的作家を生んだ。他方、感情優位の傾向や理性主義への反動が少しずつ芽ばえ始め、前ロマン主義とも呼べる潮流を形づくった。
なお、この時代における哲学(philosophie)とは、こんにちのような意味のそれ(形而上学)ではなく、懐疑的精神に裏打ちされた啓蒙思想を全般的に指称する語であり、むしろ自然科学との結びつきが強かったことに留意する必要がある。
啓蒙主義の発展期にあたるこの時期の文学は、(1)自由検討、(2)実証性、(3)人間性の重視、(4)相対性などの特徴をもち、思索的・哲学的な傾向が強い。またアントワーヌ・ガランによる『千一夜物語』の仏訳などをきっかけとして他国の文学への関心も高まった。スペインのピカレスク・ロマンの影響を受けたルサージュ、リチャードソンの紹介に努めたアベ・プレヴォー、ペルシア人の立場からフランスを評したモンテスキュー『ペルシア人の手紙』などにその例がうかがえるが、なかでもヴォルテールの存在が圧倒的である。最初の実証的歴史家ともされるヴォルテールは、哲学・小説・演劇の各分野で反権威主義にたつ多くの作品を残した。
他方、『マノン・レスコー』やマリヴォーの著作に見られるような、繊細な恋愛心理を主題とする作品も生まれた。18世紀前半の演劇は、悲劇のヴォルテール、喜劇のマリヴォーという二人の天才に支えられている。
哲学 | サン=シモン(公爵)(歴史)|ヴォーヴナルグ|モンテスキュー※(哲学・法律・小説)|ヴォルテール※(歴史・哲学・小説・悲劇) ※百科全書協力者 |
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小説 | プレヴォー(アベ・)|ルサージュ(演劇) |
演劇 | マリヴォー(喜劇) |
18世紀後半には、実証的知識の蓄積の飛躍的増大を背景に、ディドロを編集責任者として『百科全書』(L'Encyclopédie)の刊行という大事業が遂行される。この計画の協力者はヴォルテール、ダランベール、ドルバック、ケネーなど260名以上にのぼり、「百科全書派」と称される知識人の一派(フィロゾーフの顔ぶれとほぼ重なる)を形成した。これらの作家へ親近性を示しながらも独自の立場を守り通した特異な思想家がジャン=ジャック・ルソーであり、ベルナルダン・ド・サン=ピエールに引き継がれる感情優位、前ロマン主義的作品を残した。
また革命による旧秩序の破壊はレチフ・ド・ラ・ブルトンヌ、ラクロ、サドといった異端の作家の登場を促す。演劇の分野ではボーマルシェ、詩の分野ではシェニエが、この時期を代表する大作家である。
哲学 | ディドロ※(哲学・小説・演劇)|ビュフォン(博物学)|ルソー※(教育・哲学・小説) ※百科全書協力者 |
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革命期の小説 | ベルナルダン・ド・サン・ピエール|レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ|ラクロ|サド |
演劇 | ボーマルシェ(喜劇) |
詩 | シェニエ |
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