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ルーゴン家の繁栄

ルーゴン・マッカール双書の幕開けを飾る記念碑的小説。
Émile Zola "La Fortune des Rougon", 1871
ゾラ『エミール・ゾラ選集 「ルーゴン=マッカール叢書」セレクション1 ルゴン家の人々』(吉江喬松訳本の友社1999年)


【1】 まず、ぜひとも言っておかねばならないことがある。それは、この本を読むのはけっこうしんどかった、ということだ。
 作品そのものが問題なのではない。翻訳がないのである。ゾラの作品は有名なものは複数の出版社から文庫で出ているが、この『ルーゴン家の繁栄』などになると、名前さえあまり知られていないため、現在では翻訳文献が非常に少ない。私が「ルーゴン・マッカール」を全巻読んでやろうという志をたてて、最初に大学の図書館で検索したところ、第一巻の翻訳としては1999年刊の上記文献だけが出てきた。このシリーズは「ルーゴン・マッカール」全20冊のうち14冊までをカバーしているようなので、しめたと思って借り出してみたら、これは昭和七年に春陽堂から世界名作文庫の一つとして刊行されたものの復刻版なのであった。この訳文がもう、ばりばりの旧漢字、旧かなづかいで書かれた代物であって、活字もかすれているし、初版当時の奥付けなどを見ると「定価金弐拾五銭」などと書いてあったりして、ともかく非常に読むのがつらいものであった。
 私はここでいったん挫折しそうになったのであるが、ほかに文献はないし、それとこの本の貸し出し手続をしたのは所蔵以来私が初めてであったようで何か因縁を感じてしまい、結局、貸し出しの延長手続までして、読み終えたのである。もっとも、内容はとても面白かったので、旧字体に慣れてきてからはそれほど読むのもつらくなくなってはきたのだが。

あらすじ
【2】 1851年12月。ルイ・ナポレオンのクーデターに対して憤った南フランスの民衆は、一揆の群集となってパリをめざす。ルーゴン家の一族が住むプラッサンの街にも、共和派の群集の一団が押し寄せようとしていた。
 プラッサンに住む二人の恋人、共和主義に熱狂する少年シルヴェールと、殺人者の父をもったために迫害されている少女ミエットが、この一揆の集団に加わる。いっぽう、保守派の小市民、シルヴェールの伯父ピエールはこの機会にプラッサンで勢力を伸ばそうともくろみ、虚栄心の権化の妻フェリシテらとともに術策をめぐらす……。
 事態が二転三転するうちに、自己の保身をはかるルーゴン家、マッカール家の人々の、それぞれの性格が発揮されていく。

【3】 「ルーゴン・マッカール双書」の第一巻である本作は、ルーゴン家、マッカール家の成り立ちと、そこに属する人々の人物像とを描写する。背景として民衆一揆の軍がプラッサンを通過していく事件があり、物語の柱としては、この事件をめぐって、ピエール・ルゴンがプラッサンで大きな勢力を手にする過程と、一揆に参加したシルヴェールとミエットの恋の結末、という二つの個別のエピソードが展開してゆく。しかし、より興味深いことは、本作が同時にルーゴン・マッカール双書の第一巻として、以下の巻でその歴史が繰り広げられてゆくこの二つの家系の、最初の紹介としての役割も担っていることである。

 第一巻である本作が1851年のクーデターから始まることが端的に示しているように、ルーゴン家およびマッカール家の人々の歴史が描かれる舞台は、第二帝政下のフランスである。物語の冒頭は清冽な冬の夜、シルヴェールと恋人ミエットとの初々しい逢い引きの場面でもって幕を開ける。だが、叙述はその後すぐに、ルーゴン家とマッカール家の発生へと重点を移していき、シルヴェールの再登場はしばらくのちのこととなる。

【4】 第一巻の主人公ともいうべきピエール・ルゴンとシルヴェール・ムーレを舞台に登場させるにあたって、ゾラは、ピエールの母でシルヴェールの祖母であるアデライード・フークの生涯まで遡って記述を始めた。このアデライードが、ルーゴン家・マッカール家の共通の源となっているからである。ゾラは、アデライードから始めて、本作ではその孫の世代までの血縁関係を、正確に網羅的に、あたかも戸籍簿を作成しようとするかのような詳細さで記録してゆく。「第二帝政期における一家族の自然的社会的歴史」(ルーゴン・マッカール双書の副題)の記述を目指したと言われるように、また、人間の正確が遺伝と環境によって決定されるとする決定論の立場をとっていたゾラらしく、実際には物語に登場しない人物まで含めて、両家の家系に属する人物がほとんど言及されているのである。
 ルーゴン家・マッカール家との間でなんらかの血縁・婚姻関係にある人物として、本作だけでも23の人名が登場する。そのうちアデライードの孫は全部で11人いるが、この世代に関しては9人までが、その正確な生年が作中から判明するようになっている。また、これらの人名と双書の各巻の題名リストとを眺めていると、先の巻で主役を演ずると思われる人物(またはその家族)が、すでにこの第一巻に登場しているらしいこともわかる(ムーレ氏やパスカル博士など)。全20巻にわたるこの双書の執筆にあたって、ゾラが詳細で綿密な計画に従っていたことを、これらのことは示しているといえよう。おそらくルーゴン・マッカール双書の続巻は、このような舞台設定を知っていることでよりいっそう興味深く読める作品なのであり、その意味で、この双書を読むことの醍醐味は、長い大河小説を読む楽しみ、または歴史を学ぶ楽しみに似ているのである。

【5】 とはいえ、この第一巻はそうした舞台設定の解説に終始するものではない。ゾラの小説は心理描写が少ないかわりに、社会的な存在として把握された人間の実態描写では他の追随を許さないものがある。老いたアデライードの無力な様子、ピエールの卑屈な俗人ぶりとがみがみ婆さんのフェリシテ、のらくら者のアントワーヌの救いのなさ、虐げられた予言者然としたパスカル博士など、見事に造形された多様な人間像が、それぞれの個性を発揮しながら一つの社会の中を動き回っている。恋する二人の若者、シルヴェールとミエットにしても、性格的には普通の健康な少年と少女にすぎないし、その恋も、どこにでもあるようなうぶで素朴なものでしかないのだが、まさにそのことが、かれらの巻き込まれる社会の混乱との際立った対照をなして、ゾラの描く世界にリアリティを与えている。それ自体としては特に美的ではないミエットの死が私たちにある種の厳粛さをもって迫ってくるのは、ゾラの筆が19世紀フランス社会を覆った幾多の悲惨をたしかに捉えることに成功しているからであり、そしてまたこの残酷な現実が、社会への視線を持つ読者にとってはそれ自体としてこの上なくドラマチックであるからにほかならない。ゾラは、平凡な人々の生と死を描くことによって、ひとつの社会の生と死、そのあからさまな動態を、描こうとしているのである。

 そして彼はこの一家一門から出る多くの者のことを想ふのだつた。この一本の根株からは諸の枝が出て、樹液はその最も遠い、そして日光と陰影との環境に応じてそれぞれ別様の捻れ方をしてゐる枝葉にまでも同一の胚種を運んで行くのだ。彼は瞬間、日光の如く、ルゴン・マカアル家の未来を、放逸な飽満せる一群の貪欲者達を、黄金と血の火災の中にちらりと見たやうに思つた。(後編225ページ、いくつかの旧漢字は新漢字に置き換えた)

ノート
字数:2900
初稿:2000/09/20
初掲:2000/09/20
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