基礎情報 |
原題 | Poema del Cid |
区分 | 叙事詩 |
作者 | 不詳 |
刊年 | 12世紀中ごろ(1140年から1207年の間) |
準拠文献 |
『エル・シードの歌』 (長南実訳、岩波文庫、1998年) |
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概説 |
711年サラセンの侵入によってイベリア半島に覇権を確立したイスラム教勢力に対し、キリスト教諸勢力は8世紀から15世紀末の約8世紀間にわたり、カスティーリャ王国・アラゴーン王国を中心として、イスラム勢力からの失地回復運動を展開した。これが、スペイン中世史の基調をなし、スペイン王国の成立(1479)とグラナーダの陥落(1492)によって完了することとなるレコンキスタ(Reconquista)である。 このレコンキスタのさなか、イベリアにおける両勢力間の関係がイスラム教優位からキリスト教優位へと重要な転換を迎えた11世紀に、キリスト教勢力中最大の王国カスティーリャにおいて、伝説的騎士ロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバール(1043?-1099)が登場する。エル・シード(わが主君)、またはカンペアドール(闘将)と呼ばれ、キリスト教の国土回復に大きく貢献したこの英雄的騎士の武勲は、やがて12世紀の詩人たちによって吟誦により伝えられ、スペイン文学最古の武勲詩『エル・シードの歌』(Poema del Cid)を生んだ。 『エル・シードの歌』は、全三部、152の詩節で構成される約3700行の長大な叙事詩であり、武勲詩を専門に吟誦する職業的芸人フグラール(juglar)によって伝承されてきたエル・シードの栄光が、12世紀の中ごろに至って一編の叙事詩に仕上げられたものと考えられている。史実をもとにしつつも随所に詩人的演出をほどこし、粗削りで抑制された文体ながら緩急の利いた力強さを備えたこの『歌』は、スペイン文学中有数の傑作として、こんにちでも高く評価され続けている。 |
あらすじ要約 |
カスティーリャ王国に仕える名将エル・シードは政敵の謀略により王の不興をかい、国外追放の刑を受ける。しかし追放されてもなお王への忠誠心を失わないエル・シードは、カスティーリャと敵対するイスラム教モーロ人の王国を転戦しながらキリスト教勢力の拡大に努め、ついにモーロの大都バレンシアを攻略した。 エル・シードの勲功と忠誠に打たれたカスティーリャのドン・アルフォンソ王はエル・シードの罪を許し国外追放を解除する。エル・シードの二人の娘は王国の大貴族であるカリオーンの公子兄弟と結婚し、エル・シードの栄光はいや増すかに見えたが、公子たちの卑劣なふるまいにより婚姻はまもなく破綻してしまう。エル・シードは名誉の回復のために公開裁判を要求し、国王の面前で見事に屈辱を晴らすのであった。 |
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