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結論

タテマエ

こんにち、エル・シードのごとき忠義と高潔さを、私たちはどれだけ目にすることができるだろう。またエル・シードのごとき偉大な事業を、いかにして成し遂げうるだろう。私たちに与えられたこの一冊の書物、『エル・シードの歌』の中には、もはや失われて久しい人類の偉大さが、燦然と光を放って輝いている。それは、はるか中世のスペインから、忠義なき現代へと伝えられた、高貴の伝承であり、衷心の賛歌である。

苦難の旅のさなか、それでも理想に殉ぜんとする勇将エル・シードの壮烈な覚悟に、私たち読者は心を震わせずにはいられないだろう。主君に捧げた忠誠を拒まれ国外追放の刑を受けてなお、その主君のため、放浪の身に鞭打って転戦を重ねるエル・シードの姿には、悲愴さではなく、むしろ壮麗さが漂うと言わなければならない。

鎖鎧を身にまとって愛馬バビエーカにまたがり、吹き渡る風に長いマントと見事な髭をたなびかせながら戦場を疾駆するエル・シードの燦然たる姿を、この力強い叙事詩を通じて想像せずにいられる者が果たしてあろうか。またその勇ましい戦いぶりに想いを馳せて感動と興奮に打ち震えずにいる者があるだろうか。

また、苦難の旅に出る主君に同行し、その手足となって戦い、働く、エル・シードの臣下のあまたの勇士たち。そこには騎士たちの苛烈な行動を律する不朽の忠義と信頼の絆がしっかりと根付いているのであり、それは今もなお私たちの憧憬を誘ってやまないだろう。

『エル・シードの歌』は、スペインが生んだ偉大な英雄エル・シード・カンペアドールの栄光を謳った中世武勲詩の傑作として、いつまでも私たちに感動を与え続けるに違いないのである。

ホンネ

その1

『エル・シードの歌』はスペインの英雄エル・シード・カンペアドールの栄光を謳った中世武勲詩であるが、そのような、学科試験の模範答案のために考え出されたような規定ではこの『歌』の本質と重要性を理解することは到底できないということは、読者諸氏もおよそ想像されているのではなかろうか。すでに「『ロランの歌』のホンネの結論」「『ニーベルンゲンの歌』のホンネの結論」といった先行論文において、わたくしはこの種のことがらを強調してきたわけであるが、それは『エル・シードの歌』についてもそのまま当てはまると言うことができる。そればかりでなく、本作『エル・シードの歌』は、わたくしたちが抱いている「英雄」の観念を根本から覆してしまうような、重要な示唆を提示しているのである。

わたくしたちは「英雄」の人物像として、普通どのようなものを考えているであろうか。

といった、どちらかというとポジティブな要素を挙げるのが通例であろう。

しかしながら、エル・シードのあげた戦果を一つひとつ検討してみるとき、わたくしたちが「英雄」という名で考えている人物像が、いま重要なパラダイム転換を迫られているということを、痛切に感じないではいられないのである。

たとえば『歌』の序盤で語られている、モーロ人の町カステホーンの攻略などがそのいい例であろう。もともとカステホーンの町はこのときエル・シードにかくべつ敵対していたわけではなく、たんにエル・シード一行の通り道にあったというだけなのだが、エル・シードは軍を養う資金を得るために、この町を攻略することを思いつくのである。すでにその動機からして相当うさんくさいのであるが、さらに重要なのは攻略の方法である。つまり町の人々がせっせと働いている時に、奇襲をかけたのである。

カステホーンの町の中には わずかの人数が残っているだけで
みんな町の外へ出て行って 城壁の門は開け放したまま。
田園で働く人びとは あちらこちらに散らばっている。
このときカンペアドールは 潜伏していた所から飛び出して
カステホーンの町を 計略どおりに急襲した。
(第一歌、461-464b行)

これのどこが英雄のすることであろうか。人々が働きに出ている間に手薄になった町を乗っ取るなど、まさに野盗のふるまいに等しいではないか。

しかし、エル・シードの独りよがりは実はこの程度ではない。野盗は自分のやっていることを野盗のふるまいと自覚しているが、エル・シードはそうと自覚すらしていない点で、さらに手に負えないのである。カステホーンはあまりにもカスティーリャに近くドン・アルフォンソ王との衝突が懸念されるため、エル・シードはここに滞在することを諦めることになるのだが、その際のかれのセリフこそ、天然ボケ・カンペアドールの真骨頂というべきものである。

モーロ人から町を奪ったことで あしざまに言われぬよう
捕らえてあるモーロの男女を それぞれ百人ずつ解放しようと思う。
(第一歌、534-535行)

とつぜん町に攻め込んだ時点であしざまに言われて当然だということが、なぜわからないのであろうか。町を放棄して、しかも捕虜を連れ歩くのもイヤだ(517行)というのなら、解放するのが当たり前だろうが、アホウ。

その2

エル・シードの性格が独りよがりであるのは以上の如くであるが、この点、他国の英雄たちも大同小異であると言えよう。しかしこれをもって、エル・シードを他の英雄たちと同列視するようなことがあっては断じてならない。他人の迷惑をものともしないこの傲慢さはたしかに多くの英雄に通有の特性であるが、他方で、エル・シードの行動にはそうしたステレオタイプな英雄観を超える独自の性格と行動様式が見出されるからである。

で、他の英雄たちと何が違うのかというと、エル・シードは金にがめついのである。

『歌』の読者がまず最初に仰天するのは、第一歌冒頭でエル・シードが当座の軍資金を調達するくだりであろう。国外退去を命じられたエル・シード主従一行は、当面の必要資金をブルゴスの町の金貸しであるラケールとビダスから借りようとするのだが、王の不興をかって国を出ようとしている武将に金貸しがむやみと金を融通するわけもなく、当然、担保を立てねばならないことになる。エル・シードはここで、砂を詰めた櫃を財宝が詰まっていると称して担保に供し、ラケールとビダスから銀600マルコを首尾よく借り受けるのであった。

はやい話、担保物の価値を偽って融資を受けたわけであり、明らかに詐欺である。

しかし、それだけならまだ良い(良くはないんだけど)。エル・シードもこのときは窮迫していたわけであるし、先立つものがなければ軍を養うこともできなかったのであるから、多少の不正は大目に見てもいいという気がするであろう。実際、エル・シードもこうした行いには気が進まないと言っている。

望ましい方法で何も得られぬなら 気はすすまぬが仕方あるまい。(第一歌、84行)

だが、そんなら、後にバレンシアを攻略して莫大な戦利品を得たときに、エル・シードはこの借金を返したのかというと、実は返していないのである。それどころか、大量の財宝をドン・アルフォンソ王に献上しに行った使者ミナーヤ・アルバル・ファニェスに対しラケールとビダスが返済を催促しているのに、ミナーヤは適当なことを言ってはぐらかしてしまい、けっきょく『歌』の最後まで返済はなされない。「気がすすまぬ」もなにも、最初から踏み倒すつもりだったのである。

数千マルコにものぼるような莫大な戦利品を獲得しておきながら、インチキして借りた600マルコすら返さないでしまうとは、なんというケチっぷりであろうか。かつてこれほどまでにケチな英雄があったであろうか。

この吝嗇ぶりは、また別のエピソードにも表れている。

エル・シードが、カステホーン、イタ、グアダラハーラなどの町をとつぜん急襲して占領したことは先にふれた。これは軍を養うために町の財宝に眼をつけたわけだが、町を占領してみると、金銀など分配がたやすい財物は別としても、大勢の捕虜とか、防衛に適さない町に滞在していることとか、いろいろ不都合があるわけである。そこでエル・シードがとった策というのは、およそまともな人間なら思いもつかないようなことであった。

だがこの町ではそれを売ることも さりとて贈ることもできなかったし
虜の男女らを大勢一緒に 引き連れることも望まなかった。
それでまずカステホーンの人たちと 談合のうえイタとグアダラハーラへ
使者を派遣して自分の取り分を いくらで買い取るかを訊ねさせた。
(第一歌、516-519行)

自分で奪い取ったくせに、持ち運ぶのが面倒だからと言って元の持ち主に買い取らせようというのである。

要らないんなら、せめてそのまま返せよ。まるで、強盗が、奪ったものを押し売りにきたようなものではないか。こんな身勝手が許されてたまるものであろうか。

こういう金銭面でのルーズさはエル・シードひとりのものではなく、臣下たちにも伝染していたと思われる。そのいい例がミナーヤ・アルバル・ファニェスである。

ブルゴスの町を発つにあたりエル・シードは妻子をサン・ペドロ修道院に預かってもらったのであるが、そのドン・ペドロ修道院長に対しては、エル・シードは後にちゃんとお礼をしているのである。預けるにあたっての滞在費用はラケールとビダスから借りた金で払ったくせに、この対応の差はいったい何であろうという気もするが、それはもう言わぬことにしよう。問題は、エル・シードがお礼のお金を1000マルコ、使者となるミナーヤに託したということである。

(……) そしてまた一千マルコの銀も
ミナーヤにことづけたが これはサン・ペドロ・デ・カルデーニャの
僧院長ドン・ペドロに 渡すべきお金であった。
(第二歌、1284b-1286行)

ミナーヤはエル・シードの命令どおりサン・ペドロ修道院を訪れてドニャ・ヒメーナと二人の息女を引き取り、ドン・ペドロ修道院長に礼金を手渡すのであるが、読者はここでしっかりと注意を払って歌を読んでいただきたい。

ミナーヤは五百マルコを 修道院長に渡したが
あとの五百マルコをどうしたか 皆さま方にお教えいたそう。
周到の人ミナーヤは ドニャ・ヒメーナと息女たち
そばに仕える侍女たちの すべてのために心を配る。
ブルゴスで見つけられる最高の 衣裳でもって身を飾るようにし
乗用馬や騾馬なども 立派なものを手に入れて
ご婦人方が人びとに 侮られぬよう準備した。
(第二歌、1422-1428行)

1000マルコのお礼を渡すよう言付かってきたのに、なんと勝手に減額して、残りを別の用途に転用しているのである。どうせバレないとでも思ったのであろうか、まことに、この主君にしてこの臣下あり、という気がするであろう。ついでに言うと、ラケールとビダスが貸金600マルコの返済をミナーヤに懇願するのはこの直後(1431-1438行)なのだが、すでに述べたように、権威のない彼らはまともに相手にしてもらえないのである。

かくして、英雄たるものはひとたび国王の庇護を失うとここまでケチになれるということを、エル・シード主従の例は私たちに教えてくれるのである。このことは、食うに困らなかった他の多くの英雄たちの事跡からは決して読みとることのできない、貴重な発見というに値するであろう。

その3

以上の検討によって、わたくしたちは、エル・シードが他の英雄と同じように独りよがりで侵略的であるばかりでなく、たいへんな強突張りでもあるという事実を確認することができた。ところで、わたくしたちのように卑小な魂しか持たない現代人がこのような事実の表面にばかり眼を奪われていると、エル・シードのような男のどこが偉いのかがぜんぜんわからず、いったいエル・シードはそこらへんの悪党とどこが違うのか、などと一瞬は考えてしまうかもしれない。しかし、そのように速断するのが誤りであることは、エル・シードの行動を顧みればただちに了解できるはずである。なぜなら、騎士というものには守るべき崇高なる理想というものがあり、その理想のために、すべてを犠牲にしてでも戦い抜くことこそ、騎士の美徳というものだったのだからである。エル・シードは私利私欲のために略奪を繰り返したのではなく、守るべきその高邁な理想のために戦ったのであり、その偉大な理想のためには、少々の犠牲はやむを得なかったにすぎないのである。

ではその理想とはいったい何であるのか、などと尋ねるのは『歌』をまともに読み込んでいない者の言うことであろう。エル・シードの行動をつねに支配しているその理想、無害な都市を一方的に略奪し借金を踏み倒してまで、エル・シードが守らねばならなかったものの存在は、『歌』を通じて一貫して表れており、一読すれば疑問の余地などないからである。このような初歩的なことがらは、あまりにも自明の知識であるのでわざわざ言及するまでもないと思われるが、念のため解説しておく。

エル・シードにとっての最高の価値。いうまでもなく、それはである。

カリオーンの公子たちから加えられた屈辱に対して報復を要求するコルテス(宮廷会議)の場において、エル・シードにとってのこの最高規範が高らかに宣せられているのを、わたくしたちは見ることができよう。

カリオーンの公子の不義なふるまいを厳しく追及するエル・シードに対し、反エル・シードの頭領ともいうべきドン・ガルシーア伯は、次のように応酬した。

このような宮廷会議に手慣れている ミオ・シードは抜かりなく準備を始め
鬚髯の手入れをことさら怠り あのように長く伸ばしたものだから
人によっては威圧を感じたり 恐れおののく者もいるほどです。
(第三歌、3272-3274行)

ドン・ガルシーア伯はこうしてまず「あんなむさ苦しい髭面にビビることはないぞ」と訴えてエル・シードの風貌が与える威圧感を抑制することを試み、しかるのち、エル・シードの主張に対する弁駁を述べてゆく。その主張のおもなポイントは次のとおりである。

『歌』の第二歌によれば、カリオーンの公子たちがドン・アルフォンソ王に仲介を頼んでエル・シードの娘たちとの婚礼を望んだのであるから、ドン・ガルシーア伯のこの言い分には事実関係の点でかなりの難点があるわけだが、ともかくエル・シードに対する抗弁の体裁は整えているということができよう。

しかし、このような言い分はエル・シードにとってはむろん到底認められるものではない。ドン・ガルシーア伯の長い弁論のあとで、エル・シードは憤然として反駁に立つ。その裂帛の気合に満ちた反撃は、要約すれば「わしの髭にケチをつけると許さんぞ」という点に尽きる。

天と地を統べたもう神に 感謝をささげたてまつる!
大事に手入れをしたからこそ これほどまでに長く伸びたのだ。
(第三歌、3281-3282行)

神に感謝をささげてから言うほどたいしたことだろうか、というような疑問はさておいて、以下にエル・シードの反駁の要旨を見てみよう。

以上がエル・シードの反駁の一部始終である。

なんとなく論点がずれてるような気がするとか、娘の名誉はどうなったんだとか、そういうことを言い出すと大変なことになってしまうので、断じて気にしてはならない。要するにすべてのプライドは髭にかかっており、髭さえ守れればそれでいいわけである。

髭に対するこの偏執的なまでの愛着のなかに、わたくしたちは、英雄の名誉に対する熱烈な情熱が脈打っていることを看取しなければならない。髭こそが、英雄エル・シードが決して等閑に付することのできない最高の価値だったのであり、そのような崇高な理想のためにこそ、エル・シードは、前述のような少しばかり乱暴で強欲なふるまいをもあえて辞さないこととなったのである。

ふさふさと伸びた見事な髭の栄誉を守り抜くために、またそのついでに国王とキリスト教のために、イスパーニャの広大な沃地を転戦し続けた中世スペイン最高の闘将エル・シードの武勲は、かくしてこの壮大な武勲詩の中に永遠に姿をとどめることとなった。『エル・シードの歌』は、髭に誇りをかけた一人の英雄の偉大なる武勲の叙事詩として、これからも末永く読者の感動を誘い続けるに違いない。

たぶん。

むすび

以上の考察により、わたくしたちは、「英雄」に対するわたくしたち自身の常識的イメージを根本から修正する必要に迫られていることを理解できるであろう。強いことや勇敢であることは、実は英雄の本質ではなく、きわめて些細なことがらに過ぎない。こうして、『エル・シードの歌』の読解を通じて、わたくしたちは、英雄の条件とは以下の三つであることを認識するに至ったと、確言することができるのである。

結論:英雄の条件

おわり

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