エル・シード
レコンキスタ期スペインの最高の武将。正式名はロドリーゴ・ディーアス・デ・ビバール(Rodrigo Díaz de Vivar)、1043年ごろブルゴス近郊のビバールに生まれ、1099年に没する。シード(Cid)は「主君」の意。カンペアドール(闘将)の通称で呼ばれ、ミオ・シード(わがシード)とも称される。対抗貴族の中傷に惑わされた王の猜疑心により国外追放を命じられるが、異国にあっても忠誠心を失わず、イスラム教モーロ人の国を攻め落としては戦利品を王に献上しつづける忠義一徹な英傑。戦闘では連勝不敗、行く先々の都市を次々と占領して一王国を築かんばかりの武勲をあげる。王の寵を取り戻すまで髭を刈らないことを誓い、見事な髭をなびかせて愛馬バビエーカにまたがるその姿は、まさに伝説的な栄光に満ちていると言えよう。
しかし理由はどうあれ一度は国を追放されたのに、それでも忠誠を尽くすと称して財宝を頻々と国元へ贈ってくるのも、なんとなく押しつけがましい男ではある。だいいち、国外で略奪を続けるのは自分の軍を養うためであると自分でも認めているのに(1044-1046行)、あたかもドン・アルフォンソ王のためであったかのように戦利品を王に贈ったりするのは、さんざん悪事を働いておいて責任を主君になすりつけようという魂胆なのではないかと疑いたくなる。
ドン・アルフォンソ王
カスティーリャ国王。エル・シードが変わらぬ忠誠を捧げる主君だが、もともとエル・シードはドン・アルフォンソの兄ドン・サンチョの臣下で、王位継承をめぐって兄弟が争ったといういきさつがあるため、王のほうは内心ややわだかまりがあったようである。エル・シードがとった独断専行に対して危機感を抱き、彼の国外追放を命じるが、追放されたエル・シードからの贈り物攻勢に感激し、やがてエル・シードを許す。王者の寛大さを見せたのである。
しかしよく考えてみると、追放したはずの武将が国外で奪いまくった戦利品を自分に贈ってくるということは、第三者からすれば自分とエル・シードが結託しているように見えるわけで、これを放置しておいたら、いつ誰からどんな反感をかうハメになるか、わかったもんじゃないのである。結局こういう男はなんとか飼い慣らしておく以外手の施しようがない、と彼は考えたはずであり、従ってエル・シードを赦免したのはほとんど強いられたようなものだったのではあるまいか。英雄を臣下に持った王はまことに気苦労が絶えないということなのである。
ミナーヤ・アルバル・ファニェス
エル・シードの遠征に同行した腹心の臣下。エル・シードが最も頼りにする臣下として歌の随所で活躍するが、なかでも目立つのは戦闘における側面攻撃の役割と国王への使者の役割である。エル・シードの一行は行く先々でインネンをつけたりつけられたりして、歌の中で七回ほど戦闘をおこなうが、ミナーヤが別働隊となって側面攻撃をかけるケースが多い。戦闘に先立って作戦を提案するのも大抵ミナーヤであり、エル・シードの参謀的な役割を果たしているように見える。いっぽう、獲得した戦利品の一部をカスティーリャの国王のもとへ届ける使者となるのも常にミナーヤであり、使者といえばミナーヤ、というイメージができあがっている。たぶん、エル・シード軍のなかで最も忙しい人物であろう。
遂行した主な任務
ガルシーア・オルドーニェス
ドン・アルフォンソ王の臣下の大貴族。エル・シードの仇敵であり、エル・シードの追放、宮廷会議などにおける反エル・シードの黒幕である。いちおうこの歌で随一の悪役ということになるが(カリオーンの公子兄弟では器が小さすぎる)、実際に出てくるのは宮廷会議でエル・シードに抗弁するときくらいで、あまり目立たない。全般的に『エル・シードの歌』はエル・シードの武勲ばかりに焦点があたって、魅力ある敵役に乏しいという感が否めない。
ドニャ・ヒメーナと二人の息女
『エル・シードの歌』も英雄叙事詩の例にもれず女性の存在感がきわめて乏しいのだが、数少ない登場女性がエル・シードの妻と二人の娘である。ドン・アルフォンソ王によって追放されたのはあくまでエル・シードだけだったので、この三人の女性はエル・シードの国外退去に際してサン・ペドロ修道院に預けられ、のちにエル・シードの本拠バレンシアに迎えられる。娘二人はドニャ・エルビーラとドニャ・ソルといい、カリオーンの公子の次男・三男と結婚するが、このことから、第三歌の山場のひとつであるコルペスの森の屈辱の悲劇が起こる。ドニャ・エルビーラが姉、ドニャ・ソルが妹だが、この二人は必ずセットで登場して固有の行動は一つもないので、どちらがどちらか憶えるまでもない。
カリオーンの公子三兄弟
ゴンサーロ・アンスーレスの息子で、上から順にアンスール、ディエーゴ、フェルナンド。歌の作者によると、長兄アンスールは「人騒がせな饒舌家」、下の二人は気位ばかりがひどく高い臆病者。要するに簡易明快な下っ端悪役である。ディエーゴとフェルナンドは財宝が目当てでエル・シードの婿となり、莫大な贈り物をせしめたのちコルペスの森で一方的に妻を離縁する。その卑劣なふるまいを宮廷会議で追及され、小貴族(エル・シード)の娘との身分違いの結婚は解消してこそ名誉だ、という驚天動地の珍論をぶつが、決闘裁判でエル・シードの臣下に三戦三敗して苦汁をなめる。
エル・シードの臣下たち
エル・シードの臣下としてはミナーヤ・アルバル・ファニェスが最も目立っているが、ミナーヤに割を食ったため他の臣下の活躍場面は多くない。それなりに登場はするのだが、いまひとつ印象が薄いのである。それでも、次の三名はやや重要である。
この三人は最後の決闘裁判においてカリオーンの公子三兄弟と対戦する。対戦カードはペドロ対フェルナンド、マルティーン・アントリーネス対ディエーゴ、ムニョ・グスティオース対アンスールであるが、三戦とも勝った。なお、エル・シードが獲得した二本の名剣は、ティソーンがペドロ・ベルムーデスに、コラーダがマルティーン・アントリーネスに与えられた。
この三名のその他の任務を挙げると、
ペドロ・ベルムーデス:
マルティーン・アントリーネス:
ムニョ・グスティオース:
他の臣下たちの活躍は以下のとおり。
アルバル・アルバレス:
戦闘ではミナーヤとともに側面攻撃隊に加わることが多い。
アルバル・サルバドーレス:
この人はユスフ王戦において敵に捕らわれ(1681行)、その後解放された旨の記述が見あたらないのに、エル・シードの赦免謁見の場面で唐突に姿を現す。
ガリーン・ガルシーア:
印象薄し。
フェレス・ムニョース:
一回しか活躍の場面がないが、けっこうおいしいところをもっていっている。カリオーンに向かう息女たちに付添い、コルペスの森の屈辱の直後、二人を救出する。
ドン・ヘローニモ司教:
東方からバレンシアを訪れ、エル・シードによりバレンシア教区の司祭に任命される。聖職者ではあるが、戦闘もできるようである。
マル・アンダ:
歌の終盤近く、コルテスの場面で「法の精通者」と呼ばれて登場するが、活躍の場面はない。詳細は一切わからない。
アベンガルボーン
モリーナの城主。モーロ人だがエル・シードとは同盟関係にあり、エル・シードの妻子を迎える使者が立ち寄った際、手厚いもてなしをした。のちにカリオーン公子一行がモリーナを通る時も歓待し、200騎を率いて護衛にあたる。しかし公子たちが彼の富に目がくらんで暗殺しようとしていることを知り、憤って立ち去る。
カスティーリャなどのキリスト教国対モーロ人のイスラム教国という二者対立の構図が支配する『エル・シードの歌』にあって、モーロ人ながらエル・シードと同盟関係をもつアベンガルボーンの存在は注目に値する。『ニーベルンゲンの歌』のリュエデゲールもそうだが、対立する二者の間で複雑な帰属関係をもっているこうした人物が私は好きだ。敵味方を単純に切り分けずに、おのが行動の指針をつねに問い返し吟味する姿勢をもっているからである。
バルセローナ伯
バルセローナ伯領の領主。キリスト教勢力のひとつであるがイスラム教のレリダ・モーロを保護国としている。アルカーント峠に陣を布いたエル・シードがレリダ・モーロを荒らしまくっているので、戦利品を横取りしようとしてエル・シードに戦いを挑んできた。だが、あっけなく捕らわれ、エル・シードの温情により釈放される。エル・シードの二振りの名剣のひとつ、名剣コラーダはバルセローナ伯の武器だったのをこの戦いでエル・シードが奪ったのである。
ユスフ王とブカル将軍
戦争に関する限りつねにエル・シードの快勝の感がある『歌』において、多少なりとも戦闘の見せ場をつくってくれる敵を挙げるとすれば、第二歌のユスフ王と第三歌のブカル将軍であろうか。いずれもモロッコから軍を率いてバレンシアを攻略せんと企む。とはいえ、この二戦といえども、相当にあっけなくエル・シードの勝利に終わってしまうので、やはり少々物足りない。特に、『歌』の記述をそのまま信じるとすればユスフ王は5万の兵をもってバレンシアを攻めたのに、わずか3970のエル・シード軍にあっさりやられてしまうというのはどういうことであろうか。なお、名剣ティソーンはもともとブカル将軍の所持品である。
ラケールとビダス
ブルゴスの町の金貸し。歌の冒頭で国外退去を命じられたエル・シードに対し、ブルゴスの市民は協力することを禁じられていたので、エル・シードは当座の軍資金の調達に困ることになった。このとき、頼み込まれてエル・シードに銀600マルコを用立てたのがラケールとビダスである。エル・シードは財宝が入っていると称する二つの櫃を担保としてこの借金をしたのだが、実は櫃には砂が入っていた。エル・シードに融資しておけばいずれ大儲けできると考えたわけだが、逆にエル・シードに騙されていたのである。櫃を開けたら約束は無効というエル・シードの言葉に乗せられて、砂の入った櫃とは知らずに守り続ける、ちょっと気の毒な金貸したちである。彼らはけっきょく歌の最後まで債権回収に成功していない。
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