あらすじ
【1】 ル・アーヴルに住むロラン夫妻には二人の息子がいた。医師で激情家の兄ピエールと、法学士で温厚な性格の五つ年下の弟ジャン。二人は心の内にかすかな対抗意識を秘めながらも、表面的には仲良く暮らしていた。しかしある日、両親の旧友マレシャル氏の死の知らせが一家に届く。奇妙なことに、マレシャル氏は弟のジャンにその全財産を与える遺言を残していた。
ピエールはこの奇妙な遺言を不審に思い、やがて母とマレシャル氏との間に過去に過ちがあったのではという疑惑を持つに至る。マレシャル氏とジャンが似ていることや、ロラン夫人の落ち着かない振る舞いに気づいたピエールは、遠まわしにロラン夫人を問い詰め、疑惑を確信に変えた。しかし、何も知らずに喜んでいる父やジャンの姿を見るにつけ、嫉妬や、一家の平和を壊したくない思いが彼の中で渦巻き、ピエールはひとり苦悩する。
兄の苦悩をよそに、美しい未亡人ロゼミリ夫人との結婚、弁護士開業のための部屋の借受けなど、ジャンの周りではあらゆることが順調に運んでいた。しかしただひとつ、自分に対するピエールの態度が辛辣になっていくことに気づいたジャンは、ある日兄と口論になる。口論の激しい興奮のなかで、ピエールは母に関する疑惑について口走ってしまい、ジャンを驚愕させる。たまたま口論を聞いてしまったロラン夫人からことの真相を聞きだし、ジャンは母とともに深く悲しむのであった。
ピエールもまた打ちのめされ、大西洋通いの船に船医として乗り組んでル・アーヴルを去る決心をする。兄弟の別れを前に、父ロラン氏だけは、何も知らずに陽気でいた。
【2】 この作品はフランスの自然主義作家モーパッサンの長編であるが、読後感は意外にも短編を読んだときのそれに近い。というのも、その単純素朴な筋の運びと見事に描き分けられた人物の魅力に引き込まれて、一気に最後まで読了させてしまう力をこの作品は持っているからである。夏目漱石は本作を絶賛し「Une Vieノ比ニアラズ」と書いたそうであるが、たしかに、読者を引き込む力の点では『女の一生』を上回っているように思われる。もっとも、私個人は、ひとりの人間の生涯にわたる夢の破産を描いた『女の一生』のほうに、より興味を覚えるのではあるが。
本作の発表は1888年であり、モーパッサンの執筆経歴の中ではやや後期にあたる。長編としては『女の一生』(1883年)、『ベラミ』(1885年)、『モントリオール』(1887年)に次ぎ、『死のごとく強し』(1889年)、『わが心』(1890年)に先立つ。本作におけるピエールやロラン夫人の苦悩は真に迫っており、モーパッサンがこの作品あたりから心理主義への傾斜を強めたことを示している。
【3】 一般に自然主義の小説は、人間の醜い側面を臆することなく描き出すところにその最大公約数的な特徴があるが、ゾラが徹底して社会と人間の関係を問い、社会の悪を告発しようとしたのに対して、モーパッサンはあくまで人間心理の闇の側面を暴き出そうとした。物語には表面的に大きな変動が少なく、それほど激しい事件が起こるわけでもないのに、モーパッサンの作品にはペシミズムの空気が拭いがたく染み込んでいるのは、こうした傾向に基づくものであろう。
また、ロラン氏とロラン夫人は、
- 「悪人ではないが、結婚生活に安住し、無知で鈍感で無神経な夫」
- 「長年の結婚生活によって不幸になった女性」
という、モーパッサンが長短編を問わず幾度も描き出した、典型的な人格類型の見事な一例になっていることが注目される。不幸な女性に同情し、ブルジョワ的な結婚生活の欺瞞を暴いた点では、同時代の作家でモーパッサンに伍する者は数少ないのではなかろうか。
【4】 なお、上掲の訳書には「小説について」と題するモーパッサンの小説論も併録されており、彼の文学的立場を知る上で興味深い。特に批評家に対する皮肉は辛辣で痛快である。
ところで『マノン・レスコー』、『ポールとヴィルジニー』、(……中略……)、『居酒屋』、『サフォ』、等々並べた後で、なおもこんなことを、「これは小説ではない。これもちがう」というようなことをあえて書くことのできる批評家は、私の目から見ると、はなはだ達識をめぐまれたものと言うべきであるが、この達識たるや鑑識力の絶無というのと区別がつかないしろものである。
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彼ら〔批評家たち=引用者注〕はほとんどいつも見当違いにわれわれを叱りつけるか、ないしは留保ぬき、節度ぬきでお世辞を言う。
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