SYUGO.COMカテゴリマップ
前の書評 リスト 次の書評
特集 書評トップへ 講読ノート データベース

女の一生

冷徹なペシミズムの視点から貴族の娘の不遇な一生を描いた自然主義小説の傑作。
Guy de Maupassant "Une Vie", 1883
モーパッサン『女の一生』(新庄嘉章訳新潮文庫1951年)


【1】 本書は、19世紀フランスの自然主義小説家モーパッサンの代表的な長編小説である。モーパッサンはふつう短編小説の名手とされているが、日本では長編のほうがよく知られており、特に本作『女の一生』は有名である。

あらすじ
【2】 17歳で修道院を出た夢想的な娘ジャンヌは、父の知人となった好青年ラマール子爵ジュリヤンとロマンチックな恋に落ち、ほどなく結婚する。しかし、夢の早すぎた実現は、新婚のその日から、幻滅の痛みをジャンヌにもたらした。夫の冷淡な態度、女中との密通など、たび重なる裏切りによってジャンヌは傷つく。しかも離婚の望みは、ジャンヌの妊娠が判明したことで断たれてしまう。
 息子ポールが生まれたのちも、ジュリヤンの不誠実には変わりがなかった。夫婦で共通の友人となったフールヴィル伯爵夫妻との交際の日々にジャンヌはひとときの安らぎを見出すが、やがてフールヴィル夫人ジルベルトとジュリヤンとの間に不義が生まれる。これを知ったフールヴィル伯爵は怒り狂い、二人が密会していた移動小屋を谷底に突き落として二人を殺してしまう。
 夫の死後、ジャンヌは残された息子ポールに愛情を注ぐが、やがて中学校にすすんだポールはパリで放蕩に染まり、情婦とともに遊び暮らすようになった。金をせびる息子の手紙に応えながら、ジャンヌは孤独な日々を送る。やがて父の男爵が死ぬと、家の財政は急激に傾きだし、レ・プープルの別荘を手放さなければならなくなる。女中ロザリと再会し、バットヴィルの小さな家に居を移したジャンヌはひたすら息子の帰りを待ち望みつつ、残された愛情を孫娘に対して注ぐのだった。

自然主義小説としての『女の一生』
【3】 表題のとおり、またあらすじに見るとおり、本書の主題は貴族階級に生まれたある女の生涯である。裕福な家に生まれた夢見がちな少女が、結婚・出産を経るなかで周囲の人々に裏切られ、多くの幻滅を味わいながら年老いてゆくという展開は、ナチュラリスムの系譜の中に位置するものと言える。
 もっとも、同じナチュラリスムの作品であるゾラの『居酒屋』などと比べると、描写の迫力や結末の陰惨さといった点では、かなり和らいだ印象を与える。これには、本作が、主人公と舞台とを貴族階級の世界に置いていることに一因があるだろう。ジャンヌは結末においても女中とともにつつましく暮らすことはでき、子も孫もいて、それなりの財産も持っている。彼女の人生は不幸であるとはいえ、その境遇は、『居酒屋』のジェルヴェーズがたどった破滅には比ぶべくもない。
 しかしだからといって、本作がナチュラリスムの小説として力が弱いと考えるのは、誤りであろう。本作の結末が残酷であるのは、主人公の客観的な生活水準の低さによるよりも、現実とかつて抱いていたロマンチックな理想との落差の激しさによるのであり、またその落差がこの先もじわじわと広がっていくであろうことを予感させる結末によるのである。ゾラが好んで描いたような激しい貧困と堕落の代わりに、モーパッサンの作品には、真綿で首を絞めるようなゆるやかで憂鬱な不幸がある。このような種類の不幸が、あからさまな貧困よりも生温いと断言することはできない。崩壊から再生へ、といった展望を描きにくいだけに、むしろそれはいっそう希望のない、陰惨な不幸であるかもしれないのである。

娯楽性
【4】 しかし本作を自然主義文学の中に位置づけるこうした視点は、興味深いものではあるが、本作を楽しむために必ずしも必要なことではない。小説にとって不可欠な娯楽性の側面において、『女の一生』はすでに間然するところがない作品だからである。
 コルシカでの新婚旅行、フールヴィル伯爵の朴訥な人柄と怒りにかられて妻を殺害する場面、新任のトルビヤック神父の偏狭な性格、子犬マサックルの誕生のエピソード、ジャンヌのパリ旅行など、どの場面も、読者に鮮やかな印象を残さずにはおかない。私たちは単純に、ハラハラと結末を気にしながらこの物語を読み継いでゆくことができる。読者を引きつける魅力にあふれた短篇の名手モーパッサンにとっては、この長編小説もまた一種の連続した短篇のようなものであったのであり、全体を通しての一貫したテーマの追求よりも、ジャンヌをめぐって展開される多種多様なエピソードこそが、本作を魅力ある小説にしているのである。(そして邦訳で読む場合には、むろん、上掲書の訳文の読みやすさがここに大いに貢献している。)

19世紀フランス文学史の縮図
【5】 ところで、ジャンヌという女の一生を描いた本作は、同時に、19世紀フランス文学の流れをそのまま反映していると見ることもできるように思われる。すなわち、修道院での禁欲生活からロマンチックな夢想へ、さらに幻滅、破滅、そして老いと貧窮へ、というジャンヌの人生は、そのまま、革命からロマン主義へ、そしてレアリスム、ナチュラリスムへと移ってきた19世紀フランス文学史の縮図なのである。
 たとえば、本作の最初のほうに出てくる次のような場面がある。

突然、子爵が彼女の手を握った。
「ねえ、ぼくの妻になってくれますか?」
 彼女はまたしてもうなだれた。そして彼が、「返事してください、お願いです!」と口ごもりながら言うと、そっと静かに彼の方に目をあげた。子爵はそのまなざしのなかに返事を読みとった。
(3章、61ページ)

 ジャンヌとジュリヤンの恋が成就するこの場面は、まぎれもなく、幸福な夢想に満ちたロマン主義的なものを感じさせる。ジャンヌの老年の不幸は、青春時代のこの幸福な夢があったからこそ一層際立つ。本作の残酷さはジャンヌの不幸な境遇そのものよりも「破れた夢の悲惨さ」を描いたところに存するのであり、本作がある女の「一生」を長年にわたって描き続けていることの狙いはそこにあると見ることもできよう。過酷な現実を直接えぐり出したようなゾラの作品群との好対照が、ここでもまた、見られるのである。

主題と特質――絶望か希望か?
【6】 さて、その人生の果てにジャンヌに残されるのは一人の孫であり、本書の結語は「世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね(On n'est jamais si malheureux qu'on croit, ni si heureux qu'on avait espéré.)」という女中ロザリの言葉である。これはラ・ロシュフコーの『箴言集』箴言572からとったものとされており、一般にはペシミズムの表明と考えられている。だが、ここでいう「ペシミズム」を、人生への絶望、というようにあまり単純に図式化するべきではないと私は思う。
 結語を文字通り読めばわかるように、人は望んだほど幸せではないとしても、思っているほど不幸でもないのである。現実とは、こういうものだ――モーパッサンの言おうとしたのは、要するにそういうことであって、そこからどのような結論を導くかは、読者次第なのだ。モーパッサンは、判断しているのではなく、指摘しているにすぎない。およそ価値判断を伴いようのないUne Vieという題名が、本書の主題を過不足なく言い当てているようにだと、私には思われるのである。

ノート
字数:3000
初稿:2001/02/15
初掲:2001/02/16
リンク
DATA:モーパッサン
DATA:『女の一生』
新潮社
参考文献・関連事項
コメント
 
本文=黒字 ・ 要約=赤字引用=青字

参考文献

関連事項

…サイト内へリンク …サイト外へリンク
ホーム書評 [ 前の書評 | リスト | 次の書評 ]ページプロパティ
ページの一番上に戻ります。 ひとつ上の階層に戻ります。