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ロックの娘

幻想と狂気の世界。モーパッサン中編の傑作。
Guy de Maupassant "La Petite Roque", 1885
ギィ・ド・モーパッサン『ロックの娘』(太田浩一訳パロル舎1998年)


【1】 モーパッサン(Guy de Maupassant, 1850-1893)の中・短編を集めた翻訳書。
 モーパッサンは360編に及ぶ中・短編を書いており、そのすべてを翻訳で読むことは現在、おそらく非常に困難であると思われる。本書は、これら膨大な数の作品から、中編ひとつと短編七つを選んで編集したものである。文庫等で刊行されているモーパッサンの短編集に比べると、本書はあまりその存在を知られていないようであるが、それら他の翻訳書には取り上げられていない作品も含んでおり、また平易で現代的な訳文により、モーパッサンの小説の世界を楽しませてくれる。
 狂気と犯罪を扱った「ロックの娘」と「モアロン」。皮肉の利いたコントの名編「修道院長の二十五フラン」と「ボンバール」。モーパッサンには珍しい自伝的作品「蠅」。そして女性の不幸のひとコマを描きながらその女性に対する共感と慈しみとを窺わせる、「持参金」「オトー父子」「マドモアゼル・ペルル」といった作品たち。このわずか八編の作品だけからでも、私たちはモーパッサンの多様な作風を窺うことができるのである。
 なお、私がフランス文学史を教わったのは、本書の訳者である太田浩一先生からである。

「ロックの娘」
(La Petite Roque, 1885)

あらすじ
【2】 ある夏、ルーイ=ル=トール近郊、ブランディーユ川沿いのカルヴラン村の森の中で、郵便配達夫メデリックは、強姦された少女の全裸死体を発見する。少女は水浴び中に襲われ殺されたらしいことが判明するが、衣服はどこを探しても見当たらない。ところが翌日、嘆き悲しむ母親の家の戸口に、少女の木靴だけが返されていた。
 予審判事による捜査にもかかわらず犯人はわからず、秋を迎える。死体発見現場の森の所有者である村長ルナルデは、なぜか森の木を次々と伐採させ始める。少女が見つかった場所の大木を切り倒すとき、監督していたルナルデは衝動的に倒れてくる木の下に歩み寄るが、あやうく一命をとりとめる。
 殺人の犯人はルナルデであった。川で水浴びをしていた全裸の少女を盗み見、衝動的に犯して殺してしまった日をルナルデは回想する。だが、やがてルナルデの前に夜ごと少女の幻影が現れて、彼を苦しめる。次第に狂気に取りつかれていったルナルデは、自分の罪を告白する予審判事あての手紙を書いて投函するが、すがすがしい朝の空気の中で、手紙を書くのに夢中でその夜は幻影が現れなかったことに気づく。ルナルデは回心して手紙を取り戻そうとするが、郵便配達夫メデリックに拒否されたため、絶望して飛び降り自殺を遂げる。

 謎の多い作品である。なぜ、ルナルデは木靴だけを母親に返したのか? また犯行後、ルナルデは何に苦しめられたのか? ルナルデを苦しめたのが罪悪感ではなかったことは作中から明らかである。ルナルデの前に現れる少女の幻影は、彼の罪を告発するわけでもなく、ただ現れるにすぎないのである。「彼が襲い、卑劣にも殺害してしまった少女にたいする、けものじみた愛と、はげしい恐怖感」(52ページ)との記述が、おそらく手がかりになるだろう。愛と恐怖、といういっけん対立するかに見える二つの感情は、なにものかに対する激しい執着である点で共通する。この二者の共存は、ルナルデにおいて、「殺人=悪」という道徳律を含めた日常性の崩壊と、狂気への傾斜とを示しているように思われる。

「修道院長の二十五フラン」
(Les Vingt-cinq Francs de la supérieure, 1888)

【3】 パヴィイ親父はこっけいな踊りで仲間を笑わせるひょうきん者だが、ある時馬車から転落して脚を折る。入院した先でも修道女の看護婦や修道院長を面白がらせて気に入られる。親父が退院するとき、修道院長は餞別として25フランを彼に与えた。しかしパヴィイ親父はその25フランでブランデーを飲み、それから娼婦のところへ赴いて悪ふざけのあげくもう一方の脚を折ってしまい、すぐに病院に戻る。修道院長は何も知らずにまたパヴィイを歓迎するのであった。

 余計なことは考えずに、ただ楽しんで読めばよい作品である。

「持参金」
(La Dot, 1884)

【4】 公証人の権利を買ったばかりのシモン・ルブリュマンは、ジャンヌ・コルディエと結婚して30万フランの持参金を得ることになった。新婚一週間後、夫婦はジャンヌの持参金を持ってパリへ出る。乗合馬車に乗ってしばらくして、ジャンヌは夫がいつのまにか姿を消していることに気づく。ジャンヌに助けを求められたいとこのアンリは、シモンが持参金を持ち逃げしたのだとジャンヌに告げるのだった。

 余計なことは考えずに、ただドキドキしながら読めばよい作品である。最後で、捨てられたジャンヌに新しい希望がほのめかされているのが救いである。

「オトー父子」
(Hautot père et fils, 1889)

あらすじ
【5】 頑強な地主オトーは、狩猟の解禁日、銃の暴発事故で瀕死の重傷を負う。息子のセザールひとりを死の床に呼び寄せたオトーは、妻の死後ルーアンに愛人をつくっていたことを告白し、その後の彼女の世話と財産の分与を息子に託して息絶える。
 父思いの息子セザールは、動揺しながらも、その週の木曜日、愛人カロリーヌ・ドネを訪問し、義理の弟であるエミールとも対面する。オトーの死を伝え聞いたカロリーヌは激しく嘆き悲しみながらも、セザールに対しこまやかな気遣いを見せるのだった。
 翌週、財産分与の相談のため再びカロリーヌを訪ねたセザールは、カロリーヌの優しさに好意を抱く。セザールは父の残したパイプを借りて感動し、エミールとも親交を深める。カロリーヌは来週もまた訪ねてくれるようセザールを誘い、セザールは快くこれに応じる。

 カロリーヌの健気な様子が印象に残る。なぐさめにきたはずのセザールを、「どんなにつらくても、生きていかないわけにはいきませんわ。」(121ページ)と逆になぐさめたり、セザールが食事をとってきていないことにいち早く気づいたりと、なかなかほほえましい。そのため、息子が父の死後その愛人と親しくなってゆくという結末にも、不快さは感じない。

「モアロン」
(Moiron, 1887)

あらすじ
【6】 検事総長のマルロー氏は、モアロン教師事件について語った。
 信仰心にあつい教師モアロンの教え子が相次いで怪死する事件が起こる。捜査が進むうち、モアロンが子供たちに与えるお菓子にガラスや針を混ぜていたことが判明し、モアロンは死刑になるが、のちに皇帝の特赦により強制労働に減刑される。のちにモアロンは死の床でマルロー氏に犯罪の動機を語るのだった。殺人は、自分の三人の子どもを奪った神に対する復讐だったのだと。

 モアロンの犯罪が明らかになってゆく前半部分と、モアロンが特赦となり、死の直前にマルロー氏に告白する後半部分に分かれる。前半部分はミステリー仕立てになっており、これだけでも面白い。

「蝿 ――あるボートのりの思い出」
(Mouche, 1890)

【7】 セーヌ川でのボートのりに興じていた若き日の「わたし」たち五人の若者は、仲間のひとり「ひとつ目」の恋人で元気で型破りな娘、愛称「蠅」を、ボートの舵取りとして、仲間に加えた。「わたし」たち他のメンバーは、「ひとつ目」の眼を盗んで「蠅」と関係をもつが、「ひとつ目」はそうと知りつつ黙認する。あるとき「蠅」が妊娠したので、五人でその子をひきとることに決めるが、ボートの事故で「蠅」は子を流産してしまう。しかし、「蠅」は持ち前のユーモアのセンスで立ち直ろうとするのだった。

 本作はモーパッサンの自伝的要素の強い作品と言われているが、なにより、主人公の「蠅」の個性が際立っている。

 美人とはいえないが、かわいい子だった。これといって欠けているものはないのに、どこか未完成な印象を与える顔、と言ったらいいのかな、たとえば絵かきが夕食後のブランデーとタバコのあいまに、カフェのテーブルクロスにさっと走り書きしたような、そんな顔だったよ。ときとして自然はこんな女をつくるものさ。(149ページ)

 というような記述だけでも、屈託のないお転婆娘の輪郭が浮かび上がってくる。また、蠅といえば、「ロックの娘」の中で、「人の肌にとまった蠅というのは、なんともきれいなものじゃありませんか」(22ページ)という医者の発言があったのが思い出される。
 流産の後、「また、べつのをつくってあげるから」と言われて「ほんとうね?」と問い返す蠅に、一同がいっせいに応えるというオチもおかしい。

「ボンバール」
(Bombard, 1884)

【8】 道楽屋のシモン・ボンバールはトゥルーヴィルで出会ったイギリスの未亡人ケイト・ロバートソンと結婚し莫大な持参金を得た。夫人に頭があがらないボンバールは、雇った女中ヴィクトリーヌと階段の暗がりでこっそり浮気を重ねる。ある晩、ヴィクトリーヌが妙に元気だったが、翌朝、ボンバール夫人は、ボンバールがその時ヴィクトリーヌに渡した金貨を取り出して、澄まし顔でヴィクトリーヌに渡すのだった。

 オチのボンバール夫人の取り澄ました様子は、おかしいのかそれとも怖いのか、少々迷ってしまうところである。

「マドモワゼル・ペルル」
(Mademoiselle Perle, 1886)

あらすじ
【9】 わたしは1月6日の御公現の祝日に、父の知人であるシャンタル氏の家を例年どおり訪問した。
 夕食の後、公現祭の王さまにわたしが選ばれる。女王を指名するよう催促されたわたしは、シャンタル氏が娘の結婚を念頭に置いているのに気づいて慎重になり、シャンタル家の家事管理人である老嬢マドモワゼル・ペルルを女王に指名する。つつましやかなペルル嬢が恥じ入るのを見て、わたしはペルル嬢に関心を持つ。
 わたしはシャンタル氏にマドモワゼル・ペルルの身の上を訊ねる。シャンタル氏は、彼が15歳のとき、捨て子の女の子が彼の家に引き取られたいきさつを語った。その少女、マリー・シモーヌ・クレールが、長じて聡明な女性となり、シャンタル氏の母から「真珠(ペルル)」の愛称で呼ばれるようになったのだ。
 マドモワゼル・ペルルの若き日の美しさをなつかしく語るシャンタル氏に対して、わたしは、シャンタル氏が彼女を愛していたのだと指摘する。シャンタル氏は感極まって泣きだした。わたしがマドモワゼル・ペルルにこのいきさつを語り、シャンタル氏の気持ちを伝えると、マドモワゼル・ペルルもまた卒倒してしまう。わたしは後悔の念と共に、やるべきことをやったという満足感をもって、シャンタル家を立ち去るのであった。

 この作品も「オトー父子」同様、最後に希望を残しているところに好感がもてる。

ノート
字数:4300
初稿:2000/12/10
初掲:2000/12/10
リンク
DATA:モーパッサン
DATA:『ロックの娘』
DATA:『修道院長の二十五フラン』
DATA:『持参金』
DATA:『オトー父子』
DATA:『モアロン』
DATA:『蝿』
DATA:『ボンバール』
DATA:『ペルル嬢』
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