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パリの胃袋

パリ小市民と中央市場の躍動に迫るルーゴン・マッカール双書第3巻。
Émile Zola "Le Ventre de Paris", 1874
ゾラ『エミール・ゾラ選集 「ルーゴン=マッカール叢書」セレクション2 巴里の胃袋』(武林無想庵訳本の友社1999年)


【1】 ルーゴン・マッカール双書第3巻。
 本書もまた私は本の友社の復刊本で読んだ。1931(昭和6)年の春秋社版、武林無想庵訳の復刻である。この武林無想庵訳『巴里の胃袋』は名訳であるとされているが、なにしろ訳文が古いので私には読み解くのが精一杯であった。とはいえ、それにもかかわらず中央市場の活気あふれる様子は伝わってきたので、やはり、名訳なのであろう。

あらすじ
【2】 1851年クーデターの際、無実の罪でギアナに流刑にされ、脱走してきた青年フロランはパリへ帰還して、農家の主婦マダム・フランソワや、画家をめざす青年クロードと出会った後、肉屋をやっている弟クニューの一家に身を寄せる。幼少時代の苦労を共にしたクニューはフロランを快く迎え、やがてフロランはパリ中央市場で海魚部監督官の仕事につく。
 メユダン家の次女クレールとの親交、マルジョランとキャディーヌの奔放な愛情など、人々の雑多な欲望が渦巻くパリを舞台に、フロランの生活は過ぎてゆく。だが、やがて旧友ギャヴァールに誘われてパリでの内乱の計画に参加し始めたフロランを、クニューの妻リザはうとましく思いはじめる。
 フロランが脱走してきた前科者だという噂が周囲に広まり、店の発展と家族の安泰を気づかったリザは、フロランとギャヴァールを警察に密告する。警察はフロランを反乱者と断定して不意をついて彼を逮捕する。この見せ物にしばらく熱狂した後、パリの人々はふたたび日常に戻る。

登場人物と舞台
【3】 まず、本作に登場するルーゴン家・マッカール家の人々を列挙しておこう。主人公フロランの弟クニューの妻リザは、アントワーヌ・マッカールの長女で、第7巻『居酒屋』の主人公ジェルヴェーズの姉にあたる。クニューとリザの間の子どもが、第12巻『生きる喜び』の主人公となるポーリーヌである。また、フロランがパリ帰還直後に出会うことになるクロード・ランチエは、ジェルヴェーズの長男で『居酒屋』にも登場し、第14巻『制作』において主役となる。
 本作はパリの中央市場(レ・アール)の描写で名高い。パリに持ち込まれ消費される雑多な物品を受け入れ、消化し、再配分する拠点となり、パリの胃袋にもたとえられるこの中央市場は、ゾラならではの具体的で正確な生活描写に力を得て、生き生きと表現されている。町の人々のせせこましい欲望、生活や商業の実態の記録としても圧巻であり、その点では、傑作『居酒屋』と並んで双書中無類の「パリの活人画」となっていると言えよう。

太っちょとやせっぽち
【4】 私が興味深かった点は、作中、クロードによってなされる「太っちょ」と「やせっぽち」の区別である。フロランに共鳴するクロードは、中央市場をめぐる人々を、個人のささやかな幸福だけに目を奪われて安易な日常に閉じこもる「太っちょ」すなわちプチ・ブルジョワ階級と、その雑多な社会で食いっぱぐれ呻吟する「やせっぽち」すなわちプロレタリア階級とに分類する。これによれば、リザやクニューの一家、マルジョラン、キャディーヌ、ラ・サリエットらは太っちょであり、クロード自身やフロランはやせっぽちであるとされる。また「やせっぽちの顔をしている太っちょ」ギャヴァールや、「太るためにはなんでもしでかそうというやせっぽち」マダム・ルクールやサジェ婆さんなどの変種もいる。そして、家庭の安泰を乱されないためフロランを密告し逮捕させるのは、「太っちょ」のリザなのである。
 ここには、単に商業的活気にあふれるパリばかりはなく、富裕層と貧困層が入り混じり、顕在化し始めた資本主義の矛盾の縮図となりつつあった19世紀後半のパリのあからさまな姿が浮かび上がってくる。フロランを密告して逮捕させた町の人々への憤りを込めた、クロードの最後のセリフ、

「正直な奴等と云ふものは下等なもんだ!」(第6章、339ページ)

は、この欲望の都・パリが、発展する商業の陰に、腐敗と堕落、搾取と混乱との因子をもまた隠し持ち、いわゆる「正直な市民」とは自己の生活の安泰のみに汲々とする偽善者にほかならないのだというゾラの認識を、はっきりと示している。リザのささやかな幸せが営まれるその同じパリは、その一面で、リザの妹ジェルヴェーズの堕落した生活(第7巻『居酒屋』)をもまた育んでいたわけである。

二面性
【5】 もっとも、ゾラがここで、悪徳の巣としてのパリを断定的に告発していると見ることは、性急に過ぎるだろう。中央市場の活気にあふれる描写は、ゾラ一流の群衆描写の手腕が早くも発揮されているし、そこには確かに生命の躍動が感じられる。こうした市場はまた、マダム・フランソワのような誠実な人物が出入りする場所でもあるのである。(クロードは、マダム・フランソワについては太っちょでもやせっぽちでもなく「ただ誠実な女」だと言っている。)また、同じようにこの欲望の都パリで育ちながら、(マッカール系の子には珍しく)徳を失わず、希望をもって生きる健康な人間に成長するのは、ジェルヴェーズの娘ナナではなく(第9巻『ナナ』)、リザの娘ポーリーヌなのであって(第12巻『生きる喜び』)、それはナナよりもずっと幸福だったポーリーヌの幼少期、すなわち安楽を求めるリザの利己心によって守られた彼女の生育環境と無関係には考えられないだろう。
 第5巻『ムーレ神父の罪』がそうであったように、本作もまた、二重の解釈を可能にする余地を残している。というよりも、それは、社会そのものが内包する複雑さの忠実な反映なのである。パリという社会、また中央市場という一つの小社会の、善と悪、美徳と悪徳、勤勉と怠惰――。ゾラが描こうとしたのは良かれ悪しかれ「人間と社会」なのであって、その着眼と観察の見事さが、ルーゴン・マッカール双書全体に流れる特長となっている。ゾラの作品から私たちが受け取るものは、「自然主義作家」という型にはまった位置づけから簡単に予想されるよりは、思いのほか深く、複雑であると言わなければならない。

ノート
字数:2400
初稿:2001/01/05
初掲:2001/01/05
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DATA:ゾラ
DATA:『パリの胃袋』
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