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夜の果ての旅

「呪われた作家」が独特の文体でつづる虚無と幻滅の文学。
Louis-Ferdinand Céline "Voyage au bout de la nuit", 1932
セリーヌ『夜の果ての旅(上・下)』(生田耕作訳中公文庫1978年)


【1】 20世紀フランスの医師でもあり、ナチス協力のかどで追及され不遇な生涯を送った「呪われた作家」セリーヌの、最初の長編小説。かれの自伝的要素の濃い独特の作品である。

あらすじ
 作者セリーヌの分身とも見える主人公フェルディナン・バルダミュの魂の遍歴を描く。愛国の熱狂にとらわれて兵役に志願した「ぼく」(バルダミュ)は、第一次大戦の現実を知って幻滅を覚える。兵役から戻ったバルダミュは、病院、コンゴーの密林、デトロイトの工場などを転々としながら、様々な人々と出会い、生きることの意味を探し求めるが、それを見出すことはできない。パリへ戻って医者を開業するものの、気運は上がらず、バルダミュの精神は彷徨い続ける。老婆を殺害しようとして失敗した悪友ロバンソンの失明、そしてその死に直面して、バルダミュは虚無の前に立ちすくむのだった。

 あらすじをなんとかまとめれば以上の如くだが、実際には本書は一貫したあらすじを持たない、破れかぶれのストーリーの小説である。ここに記録されているのは、混乱し、明確な目的を見失ったバルダミュという魂の彷徨であり、大戦という陰鬱な現実にひしがれて無力と倦怠の中をさまよう不安定な人間性が、本書のテーマとなっている。
【2】 世界大戦がもたらした社会と生活の混乱の中で、バルダミュは次第に「生きることの意味」を見失ってゆく。慈善に尽くすことで戦争への協力をしているつもりのアメリカ娘ローラ、歴史の教師で戦争と貧困とを告発するプランカール、姪のために密林での生活を耐え忍ぶアルシイド軍曹、娼婦をしながらもささやかな幸福を夢見るデトロイトの女モリー。バルダミュの生活に関わってくるこれらの人々は、それぞれの仕方で、自分の人生に意味を付与しようとして苦闘しているが、それらの人々との関わりも、現実に幻滅してゆくバルダミュをつなぎとめることはできなかった。バルダミュに最も深く関わってくるロバンソンは、貧窮から這い上がることを目論んである老婆の殺害を企むが、これに対してもバルダミュは、協力も反対もせず、ただ関わりたくないと思うだけなのである。
 ここにあるのは、打ちひしがれた人間の、文明社会に対するありったけの呪詛である。しかしそれでいて、その呪詛は、矛盾に満ちた文明社会の改革の方向へ向かうことはない。社会の変革を目指すほどにすら、バルダミュの生は意味を喪失してしまっている。これは社会からの限りない逃避行であり、いつ果てるとも知れない夜の中の陰鬱な旅の記録なのだ。

【3】 本書は、全編を通じての退廃的な雰囲気と、俗語を散りばめたその独特の語り口とが特徴的である。本文から、「夜」や「夜の果て」をめぐる印象的な部分を引用しておこう。

 こんなふうに夜の中へ追い出されてばかりいれば、それでもいつかはどっかへたどりつくにちがいないさ、と僕は考えるのだった。そいつがせめてもの慰めだ。(勇気を出すんだ、フェルディナン)気持を支えるために、僕はくりかえし自分に言って聞かせた。(いたるところでつまみ出されているうちに、おまえはきっと最後には奴らを、こういうろくでなしどもを一人残らず震え上がらせるこつを見つけるだろうぜ、この連中はすでに夜の果てにたどりついたのにちがいない。連中がそこへ、夜の果てへ出かけて行かないのは、そのためなんだ!)(上巻310-311ページ)

 僕にはわかった。もしモリーがいなくなるようなことになれば、僕もまた夜の仕事に雇われに出かけねばならないだろう。
 夜の果てる日などありはしないのだ。(上巻330-331ページ)

 彼もまた行き着く果てまで来てしまったのだ。もう何も言うべき言葉もなかった。わが身に起こりうる一切の事柄の果てに到達したときに完全に孤独になる瞬間があるものだ。この世の果てだ。悲しみまでが、自分の悲しみまでが、もはや何ひとつ自分に答えてはくれない、そうなればもう一度、引っ返さなくちゃならない、だれでもいい、人間たちの中へ。そのときは気むずかしいことは言っちゃおれない、なぜなら、泣くためにも、もう一度、振り出しに、人間たちのあいだにもどらねばならないからだ。(下巻129-130ページ)

 自分の生活に二度と直面せぬために、姿をくらます努力を試みてみたが、無駄だった、いたるところでたやすくそいつに出くわすのだ。自分に戻るのだ。僕の放浪(さすらい)、そいつはもうおしまいだった。ほかの奴らの番だ!……世界はもう一度閉ざされてしまったのだ! 果てまで来ちまったのだ、僕たちは! 縁日といっしょだ!(下巻365ページ)

【4】 その他、印象に残った記述。

 完全な敗北とは、要するに、忘れ去ること、とりわけ自分たちをくたばらせたものを忘れ去ることだ、そして人間どもがどこまで意地悪か最後まで気づかずにくたばっていくことだ。(上巻33ページ)

 軍人というものは人殺し以外のことにかけては、赤子も同然だ。軍人をまるめ込むぐらいわけはない。ものを考える習慣がないから、相手に話されると、それを理解するのにとてつもない努力を強いられるのだ。(上巻171ページ)

 僕らが一生通じてさがし求めるものは、たぶんこれなのだ、ただこれだけなのだ。つまり生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。(上巻334ページ)

ノート
字数:2100
初稿:2001/01/09
初掲:2001/01/09
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DATA:セリーヌ
DATA:『夜の果ての旅』
中央公論社
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本文=黒字 ・ 要約=赤字引用=青字

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