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生涯と年譜 - ミュッセ

 1810年パリの政府高官であった父と文芸に理解のある優雅な母との間に生まれたミュッセは、幼少よりその才覚を発揮して神童の誉れを得る。当初は法律や医学を学んだものの、やがて詩作に天分を見出し、ユゴーやノディエなどロマン派の詩人たちのサロンに出入りしながら才気にあふれる詩を発表していった。遊蕩生活に明け暮れロマン派の「恐るべき子ども(Enfant terrible)」ともてはやされるが、ロマン派を諷刺する一面も見せ、ユゴーらとは一定の距離をおきつつ、詩や戯曲の分野でゆたかな才気を結実させていった。

 1833年から1835年にかけて、六歳年長の作家ジョルジュ・サンドとの激しい恋愛と破局を経験したミュッセは、絶望と孤独に沈む厭世的な詩人へと成熟を遂げる。苦悩と憂愁の陰をを色濃く落とした『夜』『思い出』のような長詩、ロマン派演劇の最高傑作とも称される戯曲『ロレンザッチョ』、サンドとの恋の記録であり「世紀病」の一典型を示すとされる手記『世紀児の告白』など、すぐれた創作を1841年までの時期につぎつぎと発表する。

 その後、初期の戯曲が再評価され、いくつかの中・短編小説を書くが、放恣な生活がたたって健康を害し、孤独のさなか、1857年に46歳の早すぎる死を遂げる。ペール・ラシェーズのミュッセの墓石には、哀歌『リュシー』の一節が刻まれた。

いとしき友らよ、われみまからば/墓にやなぎを植ゑたまへ。/わが愛づる、涙にぬれしその葉むれ、/青青とやさしき色をたたふれば。/そのかげは、わが眠る/地をおほひてかろやかならむ。
(澤木譲次訳、翻訳文献5、18-19ページ)


ミュッセ略年譜
年齢事件主な作品
18100歳12月11日、パリに生まれる。 
18111歳  
18122歳  
18133歳  
18144歳  
18155歳  
18166歳  
18177歳  
18188歳  
18199歳アンリ四世校に入学。 
182010歳  
182111歳  
182212歳  
182313歳  
182414歳  
182515歳  
182616歳  
182717歳大学入学資格試験。 
182818歳音楽・絵画を学ぶ。
セナークル、サロン・ド・ラルスナル等に出入り。
 
182919歳  
183020歳『ヴェネチアの夜』不評『ヴェネチアの夜』
183121歳  
183222歳父死去。
ユゴーと不和。
『杯と唇』
183323歳ジョルジュ・サンドとの交際始まる。
「両世界評論」誌に寄稿を始める。
『マリアンヌの気紛れ』
183424歳 『戯れに恋はすまじ』
183525歳サンドとの関係、破綻。『夜』(-1837)
『バルブリーヌ』
183626歳女優ルイーズ・ルブランと交際。
ロマン派を攻撃。
『世紀児の告白』
183727歳エメ・ダルトン(のちに兄の夫人)と交際。『二人の愛人』
183828歳内務省図書館の司書官職につく。『フレデリックとベルヌレット』
183929歳女優ラッシェルと交際。 
184030歳病にたおれる。『悲しみ』
184131歳 『思い出』
184232歳 『白つぐみ物語』
184333歳ユゴーと和解。
神経発作頻発。
 
184434歳  
184535歳レジオン・ドヌール勲章を受章。『ミミ・パンソン』
184636歳  
184737歳  
184838歳女優アラン・デプレオーと交際。
司書官職を剥奪さる。
 
184939歳女優オーギュスティーヌ・ブロアンと交際。 
185040歳 『カルモジーヌ』
185141歳  
185242歳アカデミー・フランセーズ会員に選出。
詩人ルイーズ・コレと交際。
『アルプスの思い出』
185343歳文部省司書官となる。
文相フォルトゥールの依頼により戯曲を書く。
『ほくろ』
185444歳  
185545歳 『驢馬と小川』
185646歳  
1857-5月2日パリで死去、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬。 


なお、ミュッセとジョルジュ・サンドの恋愛を描いた映画として『年下のひと』がある。

『年下のひと』(1999年フランス)
監督:ディアーヌ・キュリス [Diane Kurys]
主演:ジュリエット・ビノシュ [Juliette Binoche] / ブノワ・マジメル [Benoît Magimel]
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