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お喋りな宝石

エロティックな筆致で社会と学問を風刺した異色の小説。
Denis Diderot "Les Bijoux indiscrets", 1748
ディドロ『お喋りな寶石』(新庄嘉章訳大雅洞1951年)


【1】 私がつねづね読みたいと思っていた、ドニ・ディドロの小説。
 ディドロは『ラモーの甥』などで有名な18世紀フランスの啓蒙思想家だが、最近、私はディドロの名を思いがけないところで眼にした。それも、文学や哲学の本ではなく、よりによって経済書の中でである。

ディドロをめぐる前置き
 ディドロはあるとき、緋色のガウンを贈り物としてもらっていたく喜んだという。しかし、やがてガウンの見事さに較べて自分の書斎が貧相なのが気になり、ガウンに合わせて家具も次々と買い替えてしまった。そして気づいてみると、書斎は最新の家具に囲まれてかえって居心地悪くなってしまっていた……。これはディドロの『私の古いガウンを手放したことについての後悔』という題のエッセーだが、現代のある経済学者は、所有物の調和を求めて次々と物を消費してしまうことを、この話にちなんで「ディドロ効果」と呼んでいるのだそうである。
 私がこのことを知った経済書というのは、ジュリエット・B.ショア『浪費するアメリカ人』(岩波書店、2000年)という本である。これは現代先進国社会を席巻する依存症的な消費主義を批判し、「働きすぎと浪費の悪循環」からの脱却を提唱するというものだが、その第六章が「ディドロの教訓に学ぶ」となっていて、消費欲求の上昇を抑制することが説かれている。その導入として、上のディドロの話とディドロ効果のことが触れられているのである。この本の論旨はそれでまた非常に興味深いのだが、それはさておき、こんなところでディドロが出てくるとは私は思っていなかった。
 しかし考えてみると、現代の、それも文学や思想でなく経済学の論文に名前が出てきたりするのも、たしかにディドロらしいという気はする。ディドロの考え方には今日的なところが多分にあるし、また『百科全書』を持ち出すまでもなく、ディドロの業績はあるひとつの特定領域だけに限られない多面性をもっているように思うからだ。

奇書『お喋りな宝石』
【2】 そんなわけで、私はディドロというこのヘンテコで魅力的な作家に対する興味をあらためて強めたりしていたのだが、そのディドロが書いた作品のうちで、最もヘンテコで魅力的なもののひとつが、この『お喋りな宝石』であると言えよう。愛人ピュイジュー夫人のために書かれ、1748年に出版されたこの作品は、ディドロという作家の自由な想像力が発揮された、痛快な風刺小説である。一種の奇書と言ってもいい。時期的には無神論を掲げた『盲人書簡』(1749)と同時期、すなわちディドロがヴァンセンヌに投獄される直前の作品である。

 作品はいちおう小説の形式をとっており、全54章からなる。そのあらすじは以下の通りである。

あらすじ
 女性の下半身が口をきいて、その女性の情事を人前で洗いざらい喋ってしまう。

 以上。

 というのはまあ冗談だが、この作品にまず興味を持ってもらうには、これだけの説明でも十分だろうと思われる。よくそんな設定を思いついたものだよな、というのが正直な感想である。
 小説の舞台はアフリカのコンゴ国だが、世界紀元1500兆320万1年という途方もない時代が設定されており、一種のファンタジーとみなすことができる。またコンゴ国のモデルはフランスであると考えられるが、フランス国じたいはこの時代にもまだヨーロッパに存在することになっていて、廷臣セリムが訪れたりしている。

あらすじ(真)
【3】 舞台はアフリカのコンゴ帝国の首都バンザ、時は「世界紀元1500兆320万1年」または「コンゴ帝国紀元3兆9000億70万3000年」である。さきの皇帝エルクブゼドが死に、第1234500代皇帝マンゴギュルの治世が始まる。
 新皇帝マンゴギュルは治世に退屈し、寵姫ミルゾーザとの遊興にも飽いたあげく、宮中の女たちの情事を知りたがる。そこで仙人キュキュファを呼び出したところ、老人は彼に銀の指輪を与えた。その指輪は、だれか女の方に向けて宝石を廻すと、その女の宝石=性器が語り出すという効力を持ったものであった。マンゴギュルはさっそく宮中の女たちに指輪を試し、彼女らの生態をつぶさに知る。またその過程で、コンゴ国の組織・制度・風俗などが明らかになってゆく。やがて寵姫ミルゾーザや廷臣セリムも交えてさまざまな会話が交わされ、コンゴ国のこっけいな側面が次々と風刺の対象となる。

【4】 この作品で最も重要な役割を果たすのが、キュキュファ仙人がマンゴギュルに与えた銀の指輪である。指輪には宝石がついているが、これを廻すことによって指輪は効力を発揮する。すなわち「女たちの宝石」にお喋りをさせるのである。

「この指輪をとくとご覧じろ。」と彼は皇帝にいつた。「これを指にはめるのぢや。そして眼ざす女の方に寶石の方を廻すと、女たちは自分の情事を、大聲に、はつきりと語り出すのぢや。さりながら女たちが口でしやべると思つてはならぬ。」
「では、いつたいどこで語るのだ?」とマンゴギュルは叫んだ。
「女たちは自分の内なる一番率直な部分、陛下が知りたいと思はれる事柄を一番よく知つてゐる部分で語るのぢや。つまり女たちの寶石が語るのぢや。」
(21ページ)

というわけである。ちなみにこの指輪には、小指にはめるとこちらの姿を見えなくする効果もあり、このおかげでマンゴギュルは至るところに忍び込んで宝石にお喋りをさせることができる。

エロティックな小説の側面
【5】 さて、これ以降の物語では、マンゴギュルが様々な貴婦人たちに向けて指輪を廻し、その情事を聞き出していくことになる。貞淑だと噂される貴婦人たちのその貞淑さの内実が暴き出されるという、ある意味ではお馴染みの展開となるわけである。しかし、ただ単に事実が明らかになるのではなく、指輪を向けられた貴婦人の宝石が本人の意思とは無関係に人前で喋りだして、その場の人々を当惑させたり憤激させたりするところに、指輪という設定の面白さが生きているのである。

社会風刺の側面
 宮廷の性風俗を風刺するこうした傾向のエピソードは「指輪の試み」と題され、54章中の26章を占めてこの小説の中心的な題材となっている。ところで、そのいっぽうで、この喋る宝石事件を通じて、あるいはこれとは特に関係なく、コンゴ国の社会事情や社会制度を風刺するというエピソード群が、この作品のもう一つの大きな傾向をなす。自分の宝石が喋り出すことを怖れた婦人たちが、宝石を黙らせるためにつける口籠(くちご)を争って求めたり、宝石が喋る原因をめぐって学者たちが珍妙な議論をやり取りする(これは明らかにアカデミーを風刺している)などといった事件が語られる。
 特に、旅行談という形をとって外国の習俗・習慣が紹介されたり、夢や幻覚を通じてなんらかの教訓が得られたりするという展開が目立つ。これらのエピソードのなかには、男女とも性器が人によって円柱形やピラミッド形などいろいろの形をしており、形の合う二人でなければ結婚を許可されないという国民の話など、笑いながら読むしかないようなものもあるが、ときに信仰の相対性を示唆する教訓や、古代派と近代派に分かれての演劇論なども顔をのぞかせ、ディドロの社会批判や芸術論の一端をうかがわせる。

【6】 いずれにしてもコンゴ国が当時のフランスの戯画であることは明らかであり、貴婦人たちの性風俗にせよ、社会の制度・習慣にせよ、そのままフランスの風刺になっていることは間違いがない。マンゴギュルがルイ15世、ミルゾーザがポンパドゥール夫人、セリムがリシュリューを下敷きにしていることは衆目の一致するところだと、訳者は解説している。ディドロが投獄されたのは『盲人書簡』の出版がきっかけだったわけだが、書簡というわりにはやけに難解で学問的な『盲人書簡』よりも、この『お喋りな宝石』のほうが、体制側に与える不愉快さという点ではまさっているのではないだろうか。

 なお、この小説の結末は次のとおりである。
 あらゆる貴婦人に宝石を向けてみて、本当に貞淑な女を一人も見出すことができなかったマンゴギュルは、ミルゾーザには宝石を用いないと固く約束していたにもかかわらず、ある日ミルゾーザが気を失っている機会に、彼女に向けて宝石を廻してしまう。彼女の宝石が喋ったことを聞いた後で、マンゴギュルは指輪をキュキュファ仙人に返す。
 さて、このときミルゾーザの宝石が何を喋ったのかは、読んでみてのお楽しみということにしておこう。

ノート
字数:3400
初稿:2001/11/04
初掲:2001/11/05
リンク
DATA:ディドロ
DATA:『お喋りな宝石』
大雅洞
参考文献・関連事項
コメント
 この作品を読むにあたり、上掲の翻訳書を太田浩一先生に貸していただきました。記して感謝いたします。
本文=黒字 ・ 要約=赤字引用=青字

参考文献

関連事項

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