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修道女

因襲に抵抗する少女の受難を描いて教会を批判した作品。
Denis Diderot "La Religieuse", 1760
ディドロ『修道女』(秋田谷覚訳極光社1992年)


あらすじ
【1】 三人姉妹の末に生まれたシュザンヌは、母の不義の子であったため、母からは疎まれ、父からは疑惑をかけられて、愛情のない家庭で育つ。姉の結婚を気づかってサント・マリ修道院に寄宿したシュザンヌは、両親が自分をそのまま修道女にしようとしていることを知って驚き、修道誓願の日に公然とこれを拒絶してセンセーションをまきおこす。
 自分の出生の秘密を母にはっきりと告げられたシュザンヌは修道院入りを承諾し、ロンシャンの修道院に入る。優しいド・モニ修道院長のもとでシュザンヌは修道女となるが、間もなく修道院長が死に、新しい修道院長となった冷酷なシスター・クリスチーヌによってシュザンヌは迫害される。修道院に対して起こした修道誓願撤回の訴訟の敗訴に至ってシュザンヌへのいじめは頂点に達し、唯一の味方であったシスター・ユルシュールをも失う。だが、ロンシャンの修道院を視察に訪れたエベール司教総代理がシュザンヌへの迫害を知ることとなり、シュザンヌはサン・チュートロープ修道院に移ることを許される。
 サン・チュートロープ修道院ではシュザンヌは院長のお気に入りになり、その愛情を受ける。だが、この院長は同性愛者であり、シュザンヌに対して肉体的な誘惑をしかけてきた。聴罪司祭ルモワーヌによってその危険を諭されたシュザンヌは院長を拒み、やがて院長は発狂する。ロンシャン修道院を相手取った持参金返還の訴訟に勝利したシュザンヌは修道院を脱走する。
 脱走したシュザンヌはパリを流浪したのち、洗濯屋の下働きに収まる。身分が知れて修道院へ連れ戻されることを恐れながら、シュザンヌはクロワマール侯爵に対して庇護を求める。

【2】 『ラモーの甥』で知られる18世紀フランスの哲学者、ドニ・ディドロの小説。
 以前私はディドロについて、実に不可解だと書いたことがあるが、本作を読んでその感をいっそう強くした。
 たとえば同時代のルソーやヴォルテールを読むとき、かれらの文章から私がまず受ける印象は、真摯、ということである。旧来の宗教を批判するときも、新しい社会について論ずるときも、ルソーやヴォルテールは常に真剣で、明晰である。感情的なところも理知的なところも両方あるけれど、いずれにしてもかれらは、いつも明確な意思、というか十分に身につけられた確信のようなものを持っていて、その文章は自信にあふれている。
 だが、ディドロは違う。たしかにディドロもまた、旧道徳のもたらす害悪を描き、修道院制度の弊害を訴えはする。そしてまた決して、明示的にふざけたり茶化したりしているわけではない。本作でもそうだし、『ラモーの甥』においてさえ、生真面目な「私」が一方に存在していることを忘れてはならない。しかし、それでいてディドロには、どこかおどけたところ、ふざけたところ、あるいはなんとなく自信のないところ、といったものが、その文章に表れているように私には思えるのだ。いうなればディドロには、ルソーやヴォルテールのようにラディカルに徹しきれないところがあって、それが、ディドロという人物をある意味で実に興味深い人格にしているのである。

【3】 まず、この作品『修道女』に、そもそも興味深い成立史がある。
 本作は修道女シュザンヌからクロワマール侯爵への、保護を求める手記という形式をとっているが、本来、ディドロは「手記の形式の小説」ではなく、実在する手記そのものを作り上げることを意図してこれを書いたのだそうである。クロワマール侯爵というのは修道院制度の弊害に理解のある、当時実在した人物で、田舎へ隠退してしまっていたのだが、ディドロはかれをなんとかパリに呼び戻したいと考え、そのために架空の修道女をでっち上げて侯爵に保護を求める手紙を書いた。ところが侯爵はディドロの意に反してパリへは出てこず、シュザンヌを家庭教師として迎えたいと申し出てきたため、ディドロはシュザンヌが死んで手記を残したということにして、本作を書きあげたのである。
 『修道女』はこのような奇妙な成り立ちを持つ作品なのであるが、その内容に立ち入ってみると、私の感じている「ディドロらしさ」が、よりいっそう明らかになってくる。特にロンシャン修道院でのシュザンヌへのいじめや、サン・チュートロープ修道院での院長との同性愛の描写において、それは著しい。
 たしかにそれらは、修道院批判になってはいる。また、クロワマール侯爵を納得させるために修道女の悲惨な境遇を克明に描写することが必要だという、実際的意図があったことも確かだろう。けれどもそれを越えて、シュザンヌの受難の描写には、明らかにディドロの個性というか、趣味が表れている。

【4】 修道着を取りあげられ、袋衣ひとつで生活させられるシュザンヌ。裸足で歩かねばならないシュザンヌに対して、廊下にガラスの破片をまき散らしておくいやがらせ。厠の戸に鍵をかけられて、やむなく庭へ出ていかねばならなかったこと。水を入れる容器さえ与えられず、井戸まで自分で飲みに行かねばならないこと。ろくな食事を与えられないこと。清楚でか弱い味方ユルシュールとのはかない交流。訴訟を起こした罰に、後ろ手に縄で縛られて反省を迫られること。首に縄をかけられて引きたてられ、祭壇の前で上半身裸にされ、自分で自分をむち打つことを命じられること。同性だけの閉鎖社会で起こりうる、ありとあらゆるいじめの実態の克明な記録。そしてサン・チュートロープ修道院長による愛撫の詳細な描写。院長がシュザンヌのどこにキスをしたか、院長の手がどこに伸びたか、シュザンヌの衣服がどう乱れたか。また院長の前のお気に入りであったシスター・テレーズの切ない嫉妬と絶望。
 露骨な性描写はまったくといっていいほど出てこないにもかかわらず、それらはまぎれもなく、エロティックである。いじめ抜かれる少女の感情を、当時47歳の男であったディドロが書き上げたのである。思わず、「あんたそれ、自分の趣味入ってるだろう」と指摘したくなるというものではないか。
 ディドロにはこのほかにも、やはりエロティックな小説で『お喋りな宝石』という作品があるらしい。ディドロに魅せられてしまった私は、現在その翻訳を探して奔走中なのである。

ノート
字数:2400
初稿:2000/08
初掲:2000/08/09
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DATA:ディドロ
DATA:『修道女』
極光社
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