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危険な関係

書簡体で展開される恋愛心理小説の傑作。
Pierre Choderlos de Laclos "Les Liaisons dangereuses", 1782
二宮フサほか訳『世界の文学3 ラファイエット夫人 ラクロ』(中央公論社1964年)所収(伊吹武彦訳)


あらすじ
第一編 第1信-第50信
【1】 メルトイユ公爵夫人は、かつての愛人ジェルクール伯爵への恨みから、その婚約者セシル・ヴォランジュ(15)を堕落させようと画策し、色男ヴァルモン子爵の助力を求める。しかしヴァルモンは伯母ローズモンド夫人のもとに滞在し、その若き友人であるツールヴェル法院長夫人(22)を誘惑しようと策をめぐらしているところであった。だが、ツールヴェル法院長夫人に対して彼を中傷しているのがセシルの母であるヴォランジュ夫人であることを知ったヴァルモンは、ヴォランジュ夫人への復讐を決意し、メルトイユ公爵夫人との間に共犯関係が成立する。

第二編 第51信-第87信
 ツールヴェル夫人への誘惑にのりだしたヴァルモンは、困惑した夫人の拒絶と要請に応えるかのように見せていったんパリへ戻る。セシルはダンスニー騎士と恋に落ちていた。パリにて、メルトイユ夫人はセシルに、ヴァルモンはダンスニーにそれぞれ接近し、恋の相談役として信頼を得る。メルトイユ夫人の策略によりセシルとダンスニーの恋がヴォランジュ夫人に露見し、ヴォランジュ夫人はセシルを連れてパリを離れ、ローズモンド夫人を訪れる。ヴァルモンはダンスニーとセシルの取り持ち役としてこれに同行し、再びツールヴェル夫人とまみえる。

第三編 第88信-第124信
 ヴァルモンの執拗な誘惑に、ツールヴェル夫人の感情は次第に揺らぎ始める。いっぽうヴァルモンは、ダンスニーとセシルとの秘密の文通を仲介する役割を果たしていたが、ダンスニーに焦がれるセシルを説得して、セシルの部屋の鍵をヴォランジュ夫人から盗ませることに成功する。ヴァルモンはこの鍵を利用して、夜セシルの部屋に忍び込み、秘密を明かすと脅迫してセシルの身を奪い、妊娠させる。ツールヴェル夫人はヴァルモンの誘惑に屈することを恐れてパリへ逃れる。

第四編 第125信-第175信
 ヴァルモンはツールヴェル夫人を追ってパリへ戻り、改心を装って夫人との最後の会見の機会をつくる。ヴァルモンは夫人に対し、自分を受け入れるか、さもなければ自殺すると迫って、ついに夫人を征服する。他方メルトイユ夫人はダンスニーを誘惑し、セシルはヴァルモンの子を中絶する。だが、このころからヴァルモンとメルトイユ夫人の共犯関係にひびが入り始める。ツールヴェル夫人はヴァルモンから別れの手紙を受け取って錯乱して倒れ、セシルと再会したダンスニーはヴァルモンとのことを聞いて真相を知り、ヴァルモンに決闘を申し込む。決闘に敗れたヴァルモンはメルトイユ夫人の正体を示す書簡をダンスニーに託して死ぬ。ダンスニーに見捨てられたセシルは修道院に入り、ヴァルモンの死を伝え聞いたツールヴェル夫人も息をひきとる。ダンスニーの持つ手紙により明らかとなった事実によってメルトイユ夫人の名声は崩壊し、あまつさえ天然痘にかかった夫人は片目がつぶれて美貌を失う。ヴォランジュ夫人とローズモンド夫人の間に交わされる嘆きの手紙をもって、物語は幕を閉じる。

【2】 『危険な関係』は、18世紀フランスで軍人として活躍したラクロが残した、唯一の小説である。ラクロは、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌやマルキ・ド・サドなどと並んで、近年見直されてきている作家だそうであるが、その名を不朽ならしめた一編の小説『危険な関係』は、スタンダールにも大きな影響を与えたとされているように、才気あふれる若い男が美しい女性を誘惑していく手管を描写した、恋愛心理小説の傑作となっている。
 題辞によると、この悪徳の物語は「他山の石として」公表されたものであり、誘惑者の手口を暴き出すことによって美徳を説いているのだとされているが、はっきり言ってそれは嘘である。作品中、本当に生き生きとして魅力にあふれているのは、誘惑者であるメルトイユ夫人やヴァルモン子爵であることは、一読すれば疑問の余地はない。誘惑されるほうはせいぜい防戦するだけか、たまに主体的に動こうとして起こす行動も、そのことごとくが、誘惑者の罠に陥る結果となってしまう。ヴァルモンもメルトイユ夫人も最後には命を落としたり美貌を失ったりするけれども、それは悪人同士が仲間割れしたり作戦をとちったりした結果であって、悪行の報い、という印象は受けない。犠牲者が幸せを取り戻すわけでもない。

【3】 誘惑者ヴァルモン子爵は、「守るつもりさえなければ約束するくらい何のめんどうもないではありませんか。」(第66信)とか、「しかし一人の女が私によってでなく私にとっておしまいになることは忍びえないところです。」(第71信)とか、傑作なセリフをいくつも吐く畏れ知らずの怪漢であるが、その誘惑の手口が実にエキサイティングである。
 たとえば第二編のはじめで、ヴァルモンが法院長夫人に熱烈な愛の手紙を送ったことに対して、夫人はヴァルモンの過去の浮気性を咎め、軽率なことをしないようにたしなめる。ところが、これに対するヴァルモンの返事が実に人を食っている。私はたしかに昔は浮気性だったが、今ではすっかり目が覚めた、その証拠にただあなた一人をこんなにも愛しているではありませんか、と言うのである(第52信)。
 そりゃおまえ、ちょっと論点がズレてるんじゃないのか、と冷静な読者としては思うところであろう。おまえは浮気者だから信用できない、と言っているのに、あなたを愛しているからもう浮気者じゃない、というのでは、本当は答えになっていないわけである。
 それから、もう少しあとのほうでは、ツールヴェル夫人を動揺させるために恋情たらたらの手紙を貞淑な夫人に書き送っておいて、こんな不道徳なことを書かないでください、と非難されると、「心に思うことでなくていったい何が書けましょう」(第58信)などと平気で言ってのけるのである。
 ヴァルモン自身は、もちろん自分の言っていることに筋が通っていないのをわかっているのだが(「つじつまが合うところに情愛はないからです。」(第70信))、それを平気で誘惑の手段として使ってしまうところがこの男の愉快なイケナイところなのである。

【4】 こうした誘惑は、相手が社交界の取り澄ました貴婦人だからこそ功を奏する手口であり、また誘惑されたことで堕落し名誉を傷つけられたと思うのも貴族に特徴的な態度であることを思えば、その点ではやはりこの作品は、率直で功利的で才能あふれる人間が因襲と伝統を破壊していく、動乱の19世紀を予言するものと言えるだろう。「(今のままで)私は幸福です。幸福でなければならないのです。たとえこれ以上強い快楽があっても私はそれを望みはいたしません。」(第55信)というツールヴェル法院長夫人の返事には、夫人の貞淑さよりも、感情を扱い慣れていない人間の敗北の予兆を、私は読み取るのである。

ノート
字数:2700
初稿:2000/08
初掲:2000/08/07
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DATA:ラクロ
DATA:『危険な関係』
中央公論社
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