千一夜物語 | 物語 | 千一夜物語(最外枠) | 次 |
|
|
あらすじ
その昔、サーサーンの諸王のうちのひとりにシャハリヤールという王がいた。隣国を治める弟シャハザマーンに久しぶりに会いたいと考えたシャハリヤールは大臣を遣わして弟を宮廷に招く。兄の国へ向けて旅立ったシャハザマーンは、旅の途中で忘れ物に気づいて自分の宮殿に戻ったところ、自分の妃が黒人奴隷と密通しているのを発見し、逆上して妃を殺してしまう。 シャハリヤール王の宮廷を訪れたシャハザマーンは浮かぬ毎日を送っていた。ある日、兄がひとりで狩りに行った後、シャハザマーンは兄の妃と黒人奴隷との密会現場を目撃する。自分の不幸も兄ほどではないと悟ったシャハザマーンは気を取り直すが、この態度の急変を不審に思った兄に問われて、目撃した内容を話す。シャハリヤールは狩りに行くふりをして妃の行動を確認した。 妃に裏切られて落胆した兄弟は宮殿を出て旅立ち、草原のなかの泉に着く。すると突然魔神が現れ、持っていた櫃から一人の乙女を出すと、その膝で眠り込んでしまった。乙女はシャハリヤールとシャハザマーンの兄弟に気づき、魔神の眠っている隙にやることをやった後で、身の上話を二人に語って聞かせる。婚礼の夜に魔神にさらわれてきた乙女は、こうして魔神の寝ている間にこれまで570人もの男たちと交わってきたのだった。 この話を聞いた兄弟は、自分たちの不幸もこの魔神ほどではないと知って元気を取りもどす。宮殿に戻るとシャハリヤールは妃の首をはね、その夜から、毎夜一人の処女をかたわらに侍らせてその処女を奪ったあげく殺した。それから三年、国に乙女はほとんどいなくなり、シャハリヤールの大臣は落胆していた。大臣の二人の娘のうち姉のシャハラザードは父の窮状を見て、シャハリヤールと結婚したいと申し出る。大臣は娘に「ろばと牛と地主との間に起こったこと」を話してこれを諫める。 だが、教養深いシャハラザードは一計を案じ、妹のドニアザードを連れてシャハリヤール王の臥床に侍る。その夜シャハリヤールが彼女の処女を奪うと、臥床のそばにうずくまっていたドニアザードが姉に物語をせがむ。折しも不眠に悩まされていたシャハリヤール王も許可したので、シャハラザードは次のような物語を話し始めた……。 解説
【傷心の兄弟】 ここではまずシャハリヤールとシャハザマーンの兄弟の性格に注目するべきである。妃に裏切られて落胆したのには同情する。その落胆のあまり王座を離れて旅に出てしまうと言うのも、ちょっと大げさじゃないかという気もするが、まあ共感しよう。しかし、そこから立ち直る動機がむちゃくちゃである。 「(……)〔鬼神〕の威力をもってしても、その身に、われわれよりもさらに災い多いことどもが起こったとあらば、これぞ、われわれの心を慰むるに足る出来事ではある。」(v1p22) とか言って、要するに自分より不幸なやつを見れば機嫌が直るというお調子者ブラザーズではないか。しかも、心慰められたはずなのにシャハリヤールなんかは宮殿に戻ってから毎夜処女を殺すことになるわけで、まったくもって意味不明といえよう。 【枠構造序論】 錯乱して毎夜処女を殺しているシャハリヤール王のもとへ行くとシャハラザードが申し出たとき、大臣の父親は娘を引き止めようとする。まあ、ほぼ確実に殺されることがわかっているのだから引き止めるのが当然なのだが、そのときの説得の仕方が、『千一夜物語』の基本構造を端的に代表していることに注目しておきたい。大臣はシャハラザードに対して、行くんじゃない、そんなことをしたら例の「ろばと牛と地主の間に起こった話」と同じようなことになってしまうぞよ、と言うのである。すると娘のほうが、それはどういった話ですか、と聞き返すので、大臣はそれを話し始める……。 こうして、殺されるかもしれないところへ行くのか行かないのか、という緊迫した話をしている時に、物語は突如として「ろばと牛と地主の間に起こったこと」へと脱線していく(それにしても唐突にろば)のであり、読者はここで大臣とシャハラザードのことはひとまず預けて、ろばと牛と地主の話に耳を傾けなければならない。『千一夜物語』ではこのように作中人物の語る話の中でその作中人物が別の話を語り、さらにその作中人物が……という具合にして、物語は幾重にも重層構造をなして展開してゆく。実際、たとえばこの最外枠たる「千一夜物語」のストーリーは最後の「大団円」に至ってはじめて回収されることになるのであって、従ってその中間をなすすべての物語は、語り手自身が身を置いている物語を一時保留にしてなされる点で、ある意味ではまさしく膨大な脱線、延々たる寄り道にほかならないとも言えるのである。「物語の中の物語」へと限りなく脱線と寄り道を繰り返すこの仕組みこそが、枠物語たるものの基本構造であり、『千一夜物語』を物語の無尽蔵な宝庫たらしめている秘密である。 そこで私たちはシャハリヤール王の宮廷の物語を保留にしたまま「ろばと牛と地主との間に起こったこと」へと進むことになる。題名からはわからないが、この挿話にはこのほかに地主の妻と、50匹の妻のいる雄鶏と、犬とが登場し、短い話のわりには随分と手が込んでいるので、気合いを入れて読まねばならない。 ところで、このような寄り道を終えてもとの物語に戻ってきたところで再び思い出さねばならないことは、そもそも何でそんな脱線をする羽目になったんだっけ、ということである。ときとして寄り道の物語が非常に長かったりするので読者はそれを忘れてしまいがちであるが、物語の構造的理解のためには、それを見失わないことが重要である。すると、そういえばシャハラザードが王の臥床に行くと言ったので、大臣が思いとどまらせるために「ろばと牛と地主の間に起こったこと」を話しだしたのであった、ということが思い出されるわけであるが、いったい、どうしてこの話を聞くとシャハラザードが思いとどまるであろうと期待されるのであろうか。「ろばと牛と地主との間に起こったこと」の結末に地主が妻をぶちのめす場面があるが、要するに、シャハリヤール王のところへ行くとこの話の妻のようにきっとひどい目に遭うぞ、ということをこの大臣は言いたかったようなのである。 たかがそれだけのことを言うためにこんなまわりくどい話を語ったのかおまえは、という気がするであろう。ろばと牛が話をするとか、雄鶏の妻が50匹とか、そんなことはあんまり関係なくて、単に夫にぶたれるから行くのをやめなさい、というだけのことではないか。そんなら簡潔にそう言えば済むのに、いったいろばの話になんの意味があったのであろうか。 こういう意味不明な脱線を強引にやってのけるところが、私たちにはとうてい理解の及ばない偉大なるアラブの精神なのであり、私たちは、この偉大なる精神の摂取に努めない限り、アラビア文学の精華たる枠物語『千一夜物語』を理解することはできないであろう。もはや何が言いたいのかわからなくなってきてしまったが、とにかくこの調子では枠がぜんぶ閉じるまでには膨大な物語が語られなければならないのであり、だから私たちは根気よくこの物語を読まなければならないことは確実なのである。要するに、アラブを甘く見てると痛い目にあうぞ、ということを私たちは銘記しておかなければならないのである。 さあれアッラーはさらに多くを知りたまい、さらに賢く、さらに力強く、さらに恵みふかくまします。 |
|
ホーム → 講読ノート → 千一夜物語 → 物語 [ 千一夜物語(最外枠) | 次 ] | |