賢帝ハドリアヌスの生涯を乾いた筆致でつづった伝記小説。
"Mémoires d'Hadrien", 1951
『ユルスナール・セレクション1 ハドリアヌス帝の回想』(多田智満子訳、白水社、2001年)
【1】 ギリシア・ローマ文化に対する広い知識に基づいて多くの歴史小説を残したマルグリット・ユルスナールの代表作。作家が20歳のときに構想され、その後一時的な放棄の期間を経て48歳でようやく完成をみたこの作品によって、ユルスナールは一躍世界的名声を博した。 あらすじ 【3】 この作品を「皇帝の回想」という言葉で要約していいものかどうか、私は迷う。というのも、これは皇帝の回想でもあり、かつまた、そうではないものでもあるからだ。ハドリアヌスが皇帝であったという最も表面的な意味において、これは皇帝の回想である。しかしここで回想されているのは、皇帝という職務や肩書きに固有のことがらではない。たとえば戦争や政治も、たしかに登場するが、それはハドリアヌスという一人の人間の内面というフィルターをかけられたうえでのことである。若き日の野心、寵愛していた青年の死、後継者選びにまつわる悩み、そしてやがて来る死を受け入れるための心の準備。ハドリアヌスの回想がさまようのは、そういった個人的なことがらの上をである。問題になっているのは、たまたま皇帝として生きた、ひとりの男の精神の遍歴なのだ。これは皇帝の回想というよりも、生き、愛し、苦しんだある男の回想なのである。 【4】 ハドリアヌスの生涯が他のだれかの生涯と決定的に違うのは、皇帝として、ハドリアヌスは死すらも個人的な営みにはできないことである。ふつう、積み重ねられた歳月と経験は、人間に死を予感させ、内省と回想へ導く。その作業はその者を否応なしに自分自身へと向き合わせ、孤独の中へと閉じこもらせずにはおかないだろう。人はそのようにして次第に老いと死を受け入れるものだ。だが、ハドリアヌスには、そうした普通の過程をたどることは許されていない。彼には政務があり、軍事と人事の仕事がある。彼の悩み、彼の病気、彼の怪我は、ローマ帝国の関心事なのだ。ハドリアヌスに自殺のための毒薬を調合することを約束しながら、医師の義務に逆らうことができずに命を絶った医師オデオンのエピソードは象徴的である。皇帝には、自殺する自由すら許されてはいない。 【5】 大勢の取り巻きに囲まれているハドリアヌスには、孤独はある意味で強いられ、ある意味では拒絶されている。私たちはこの回想の至るところから、いつも人々に囲まれながら、しかも途方もなくいつも孤独であるハドリアヌスの姿を読みとるだろう。ハドリアヌスには、ただ自分の内省と回想によってしか、すすんで死や孤独と向き合い、これを受け入れるすべがなかった。だからこそ、ハドリアヌスの回想はいっそう濃く孤独の色彩を強めるのである。 【6】 崇拝を捧げられる人間は、捧げる人間よりもずっと孤独だ。他人の想いを背負って生きていかなければならないからである。皇帝の人生とはおそらく、そうした他人の想いをいくつとなく背負わねばならない人生だっただろう。少なくとも賢帝であろうとするなら、皇帝とは荷の重い仕事である。ハドリアヌスは皇帝というこの特殊な立場によって自分の人生を限定し、かつそれを受け入れた。それは、限られた状況のなかで自分の可能性をひとつひとつ限定し、結果はどうあれ、とりかえしのつかない一度きりの決断を積み重ねることを通じて、世界のなかに自分の痕跡を、また自分のなかに経験の痕跡を刻みつけていくことをすすんで受け入れられるような、そういう力のなせるわざである。それは「成熟と受容の力」であり、老いと死を平静に受け入れる者だけに与えられる力である。この伝記小説がもつ冴えわたるような明晰さと深さは、たぶん、ハドリアヌスのその深い成熟の力に負っている。 小さな魂、さまよえるいとおしき魂よ、汝が客なりしわが肉体の伴侶よ、汝はいま、青ざめ、硬く、露わなるあの場所、昔日の戯れをあきらめねばならぬあの場所へ降り行こうとする。いましばし、共にながめよう。この親しい岸辺を、もはや二度とふたたび見ることのない事物を……目をみひらいたまま、死のなかに歩み入るよう努めよう…… 【7】 回想の最後を締めくくるこの一文の存在感は圧倒的である。長い旅路の果てに、ようやく人生の荷を降ろそうとする人間の、静かな諦念と満足が込められたこの告白は、もはや皇帝のものではなく、死にゆく一人の人間の厳粛な知恵である。『ハドリアヌス帝の回想』はこのようにして、ローマ皇帝の回想録の形をとりながら、同時に人間の普遍的なテーマへと連なっていく、無類の伝記小説たりえているのである。 |
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