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ハドリアヌス帝の回想

賢帝ハドリアヌスの生涯を乾いた筆致でつづった伝記小説。
Marguerite Yourcenar "Mémoires d'Hadrien", 1951
ユルスナール『ユルスナール・セレクション1 ハドリアヌス帝の回想』(多田智満子訳白水社2001年)


【1】 ギリシア・ローマ文化に対する広い知識に基づいて多くの歴史小説を残したマルグリット・ユルスナールの代表作。作家が20歳のときに構想され、その後一時的な放棄の期間を経て48歳でようやく完成をみたこの作品によって、ユルスナールは一躍世界的名声を博した。
 本書は、ローマ皇帝ハドリアヌスが二代あとの皇帝とさだめた青年マルクス・アウレリウスにあててつづった回想録という形式をとって、かれの生涯を内面から照射する伝記小説である。当時の世界最大の帝国ローマの皇帝たる男からその後継者となるはずの青年にあてた回想と内面の告白という、ほんらいなら余人の立ち入ることのできない世界を、ユルスナールは淡々とした筆致で描き出してみせる。煩雑な抒情を排して事実の記録と最小限の感情だけを書きとめた、ひとつ間違えば退屈に流れかねないその文章は、死を間近に控えた壮年の男らしい突き放したような落ち着きの色をまとっており、その抑制された文体のゆえに却って、ときどき言葉短く表現されるハドリアヌスの感情に強い印象を与える効果を生んでいる。

あらすじ
【2】 60歳を迎えたローマ皇帝ハドリアヌスは、やがて皇帝を継ぐことを期待している17歳の若きマルクス(のちの皇帝マルクス・アウレリウス)にあてて、自己の生涯を回想した手記をつづる。
 トラヤヌス帝のもとで士官として活躍していたハドリアヌスは、皇后プロティナのとりなしと後援を得て、トラヤヌスの死後、新たな皇帝となった。貴族たちの陰謀を排して治世を軌道にのせたハドリアヌスは、宥和主義政策のもとにローマを統治しながら、各地を旅行し、行政組織の改革をすすめてゆく。
 同性愛の関係にあった寵臣アンティノウスを自殺により失ってハドリアヌスは深く嘆き、皇帝の後継者に別の寵臣ルキウスを指名すべきかをめぐって思い悩む。ルキウスが病で死んだ後、アントニヌスを次の皇帝に指名したハドリアヌスは、静かに死を待つ心境で回想を閉じる。

【3】 この作品を「皇帝の回想」という言葉で要約していいものかどうか、私は迷う。というのも、これは皇帝の回想でもあり、かつまた、そうではないものでもあるからだ。ハドリアヌスが皇帝であったという最も表面的な意味において、これは皇帝の回想である。しかしここで回想されているのは、皇帝という職務や肩書きに固有のことがらではない。たとえば戦争や政治も、たしかに登場するが、それはハドリアヌスという一人の人間の内面というフィルターをかけられたうえでのことである。若き日の野心、寵愛していた青年の死、後継者選びにまつわる悩み、そしてやがて来る死を受け入れるための心の準備。ハドリアヌスの回想がさまようのは、そういった個人的なことがらの上をである。問題になっているのは、たまたま皇帝として生きた、ひとりの男の精神の遍歴なのだ。これは皇帝の回想というよりも、生き、愛し、苦しんだある男の回想なのである。
 とはいえその内省の深さや、世界と人生を見る眼の「冷酷ではない冷徹さ」は、経験と歳月を重ねた老境の人間だけが到達しうる深淵を備えていることに変わりはない。だからもし私たちが、外見や肩書きによってではなく、このような深遠な知恵に達したもののことを「王者」と呼ぶことにするのならば、ハドリアヌスの回想は、やはり偉大な皇帝の回想だと言っていいのではなかろうか? 人類の青年期を輝かせた大帝国ローマの平和は、このような男によってこそ維持され得たのであった。

【4】 ハドリアヌスの生涯が他のだれかの生涯と決定的に違うのは、皇帝として、ハドリアヌスは死すらも個人的な営みにはできないことである。ふつう、積み重ねられた歳月と経験は、人間に死を予感させ、内省と回想へ導く。その作業はその者を否応なしに自分自身へと向き合わせ、孤独の中へと閉じこもらせずにはおかないだろう。人はそのようにして次第に老いと死を受け入れるものだ。だが、ハドリアヌスには、そうした普通の過程をたどることは許されていない。彼には政務があり、軍事と人事の仕事がある。彼の悩み、彼の病気、彼の怪我は、ローマ帝国の関心事なのだ。ハドリアヌスに自殺のための毒薬を調合することを約束しながら、医師の義務に逆らうことができずに命を絶った医師オデオンのエピソードは象徴的である。皇帝には、自殺する自由すら許されてはいない。

【5】 大勢の取り巻きに囲まれているハドリアヌスには、孤独はある意味で強いられ、ある意味では拒絶されている。私たちはこの回想の至るところから、いつも人々に囲まれながら、しかも途方もなくいつも孤独であるハドリアヌスの姿を読みとるだろう。ハドリアヌスには、ただ自分の内省と回想によってしか、すすんで死や孤独と向き合い、これを受け入れるすべがなかった。だからこそ、ハドリアヌスの回想はいっそう濃く孤独の色彩を強めるのである。
 とくに後半部分、寵臣アンティノウスの死から後継者の選択、そして死を迎え入れる心境に至るまでの部分は圧巻である。これはハドリアヌスが、内面の遍歴を通じて、一歩一歩死に向き合ってゆく過程の表現とも見えよう。この回想は、皇帝のつとめから逃れることのできないハドリアヌスが、それでも老いと死とを受け入れる力を見出すために、どうしても欠くことのできない通過儀礼だったのであろう。

【6】 崇拝を捧げられる人間は、捧げる人間よりもずっと孤独だ。他人の想いを背負って生きていかなければならないからである。皇帝の人生とはおそらく、そうした他人の想いをいくつとなく背負わねばならない人生だっただろう。少なくとも賢帝であろうとするなら、皇帝とは荷の重い仕事である。ハドリアヌスは皇帝というこの特殊な立場によって自分の人生を限定し、かつそれを受け入れた。それは、限られた状況のなかで自分の可能性をひとつひとつ限定し、結果はどうあれ、とりかえしのつかない一度きりの決断を積み重ねることを通じて、世界のなかに自分の痕跡を、また自分のなかに経験の痕跡を刻みつけていくことをすすんで受け入れられるような、そういう力のなせるわざである。それは「成熟と受容の力」であり、老いと死を平静に受け入れる者だけに与えられる力である。この伝記小説がもつ冴えわたるような明晰さと深さは、たぶん、ハドリアヌスのその深い成熟の力に負っている。

小さな魂、さまよえるいとおしき魂よ、汝が客なりしわが肉体の伴侶よ、汝はいま、青ざめ、硬く、露わなるあの場所、昔日の戯れをあきらめねばならぬあの場所へ降り行こうとする。いましばし、共にながめよう。この親しい岸辺を、もはや二度とふたたび見ることのない事物を……目をみひらいたまま、死のなかに歩み入るよう努めよう……
(312ページ)

【7】 回想の最後を締めくくるこの一文の存在感は圧倒的である。長い旅路の果てに、ようやく人生の荷を降ろそうとする人間の、静かな諦念と満足が込められたこの告白は、もはや皇帝のものではなく、死にゆく一人の人間の厳粛な知恵である。『ハドリアヌス帝の回想』はこのようにして、ローマ皇帝の回想録の形をとりながら、同時に人間の普遍的なテーマへと連なっていく、無類の伝記小説たりえているのである。

ノート
字数:2900
初稿:2001/12/21
初掲:2001/12/26
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DATA:ユルスナール
DATA:『ハドリアヌス帝の回想』
白水社
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