「普通の人々」の卑小さとその克服を訴える情熱的・闘争的宣言。
"Rede an den Kleinen Mann!", 1945
『ライヒ著作集3 きけ 小人物よ!』(片桐ユズル訳、太平出版社、1970年)
【1】 ギデンズ『親密性の変容』の文献リストから探り当てた本。私は不勉強にも、ライヒという人のことを知らなかったので、この機会に調べてみることにした。 【2】 さて、そこで本書『きけ 小人物よ!』であるが、内容はまったく難しくなく、専門知識がなくとも読むことができる。私は予備知識もなしに読み始めたが、本書の情熱的な語り口に引き込まれて、いっきに読み終えてしまった。 あなたはえらぶことができた、イエスの偉大な素朴さ、またはパウロの、僧侶にたいしては独身を、あなた自身にたいしては一生の押しつけがましい結婚をとくおしえのどちらかを。あなたは独身主義とおしつけがましい結婚をえらび、愛だけでもってキリストをはらんだかれの素朴な母親のことを忘れてしまった。(13、113ページ) あなたは、ヒトラー主義者たちが何百万人の人びとを殺したあとでかれらを絞死刑にしたが、かれらが何百万人をころすまえにあなたはどうおもっていたか? 数ダースの死体があなたを考えさせるのにじゅうぶんではないか? あなたの人類愛をかきたてるには何百万の死体が必要なのか?(13、116ページ) 【3】 そしてかれは、猜疑と無力感とにかりたてられて争いを繰り返す人々に向かって、「人間であるという偉大さ」へと立ち返ることを訴えるのだ。安全保障に名を借りた元帥たちの火遊びは、ただ私たちが自分自身の仕事と愛に密着することで、やめさせることができるだろう、と。私たちを脅かすかに思える「各国の野蛮人」たちも、実は私たちと同じ「小人物」であるのにすぎないのだと。 インフラトス殿下や、きらめくよろいの騎士は、軍隊も武器ももてなかったはずだ、もしあなたがはっきりと、畑は小麦をうみだすためにあり、工場は靴をつくるためにあるのであって、武器のためではなく、畑や工場は破壊されるために存在するのではないということをはっきり知っていて、この真理のためにたちあがっていたならば。(22、187ページ) あなたはあなたの兄弟たちを知ることができるはずだ、日本や、中国や、そのほかの野蛮国における小人物たちを、そして労働者として、医者として、農夫として、父または夫としてのあなたのただしい意見を知らせることができるはずだ。そしてついには、ただ自分自身の仕事と自分自身の愛に密着することで、いかなる戦争も不可能にさせることができる、ということをかれに納得させられるはずだ。(22、190ページ) あなたの生活が良く安定したものになるのは、いきいきしていることのほうが安全保障よりもたいせつだとあなたがおもうようになったときだ。(22、194ページ) 【4】 こうして、ライヒの小人物に対する訴えかけは、総まとめをなす第23節の感動的な名文に収束してゆく。 あなたは偉大なのだ、おじいさんとしてあなたが孫を膝の上にだきあげてとおいむかしのことを語るときに、あなたがふたしかな未来を孫の信頼する子どもっぽい好奇心のまなこに見るときに。あなたは偉大なのだ、母親としてあなたが生まれたばかりの赤ん坊を眠らせるとき、また、目に涙を浮かべて、心からその子の未来の幸福を願うとき、また年月の一時間ごとに、あなたがこの未来をかれのなかにきずくとき。(23、199ページ) 問題になるのはたったひとつのことだけだ。自分の命をじょうずに幸福に生きるということ。あなたの心の声にしたがいなさい、たとえそれが気のちいさい人たちの道からはずれることであっても。かたくなったり、にがにがしくおもったりしてはいけない。生きることがときにはあなたを苦しめるとしても。(23、200ページ) |
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