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親密性の変容

恋愛感情の歴史的変遷と現代における特質を分析した、社会学の重要作品。
Anthony Giddens "The Transformation of Intimacy", 1992
アンソニー・ギデンズ『親密性の変容』(松尾精文・松川昭子訳而立書房1995年)


論旨要約
【1】 19世紀以降、産児制限の容認や家族規模の縮小によって、セクシュアリティは妊娠・出産といった女性の義務から独立・分化してきた。それは結婚を経済的必要性に基づくものでなくし、代わりにロマンティック・ラブの概念に結びつけていくことになった。
 ロマンティック・ラブの概念は、男女の結びつきの基礎を、物質的な要因よりも感情的なもののほうへ重点移動させていったため、男性による公的領域の独占を基礎として成立している社会に対する破壊的な力を潜在的に有しながらも、それが性的熱中の抑制や婚姻、母性の概念などと結びついている限りにおいて、なお男女間に従前の権力支配関係を維持させてゆく力学としても作用した。その例証が、「貞淑な処女」と「悪女・妖婦」との峻別であったといえる。
 しかしながらその背後では、こうした社会に対するより本質的な革命の下準備が、主に女性たちによって着実にすすめられてきた。それが促進された背景には、避妊法のさらなる普及、人工授精技術の発展、離婚の承認、男女平等の権利主張を現実に可能にする物質的条件の整備、といった要因によって、性と生殖がよりはっきりと分離するに至ったことがある。すなわちこの革命とは感情革命であり、個人が自由に塑型できるセクシュアリティの成立と、親密性の変容にほかならない。性の二重の道徳規範(男の不貞行為は容認されるが、女のそれは激しく糾弾されること)が解体し、女の子の多くが結婚前に性行為の経験を持っているという調査結果もまたそれを実証している。

【2】 こうして新たに成立しようとしている関係性とはどのようなものであるかについては、いわゆる「固着した関係性」や共依存に関する実践的自助運動の提示する洞察が、既存の関係性の病理の解明という側面から、多くの示唆を与えている。嗜癖からの脱却の支援を出発点としていたこの運動は、やがて、共依存とは、自分のなすべきことを他人によって決定されたがっていることであり、「必要とされていること」「愛されていること」に依存していくような態度のことであることを認識していった。固着した関係性に対する衝動強迫的な執着によって強いられてきた自分の役割を、自立と、他人への適正な信頼とに裏打ちされた新しい自己叙述に書き換えてゆくこと、すなわち「自己という再帰的自己自覚的達成課題」への取り組みによって、共依存は癒されていく。
 このようにして、変容した新たな関係性とは、両者の合意のみによって成立し、その合意がともかくも壊れていない限りにおいて存続し続けるような、純粋な関係性のことである。そのような関係性は、その存続を個人の選択に委ねていくため、征服・服従関係を解体していく。従って、婚姻制度によって女性への感情的依存を隠蔽されてきた男性にとっては、このような関係性の登場は、男根による女性支配を動揺させ、性的アイデンティティを脅かす脅威と感じられる。そのことへの男たちの激しい不安が、暴力性の発揮やポルノグラフィによる、男性権力の補強を要求している原因である。

【3】 いっぽう、勃起した男根による世界(母親)の支配・所有の機会を持つことのなかった女の子たちは、その代償として、感情的自立と、他人と気持ちを通じ合わせる技術に長じていく傾向があった。この能力のために女の子は純粋な関係性の主な担い手となりうるが、女の子のこの愛する能力による男性の理想化(父親)は、現実の父親によって必ず挫折させられるため、女の子は男性の理想化と、男性への絶望とを、交互に感じてゆくことになる。このため、女性の人を愛する能力は、男性に愛されたいという願望と渾然一体となり、男性への対等な権利要求と、権威をかさにきた男性への執着とが、女性の感情の中に同居するようになる。
 純粋な関係性を典型的に示している同性愛カップルの実態は、相互の合意による親密な関係性の構築が決して容易なものではないことを教えている。親密な関係性を築くために必要な自己投入と相手への信頼は、ときとして共依存の関係に陥ることがあるし、もし将来その関係が終了するならば、大きな精神的傷害をもたらすに違いないというリスクと不安をも伴っているからである。
 いっぽう、異性愛関係においても、親密な関係性の構築は容易ではない。女性は男性に対して平等な権利要求をなしつつ、感情的依存を利用した男性の「飼いならし」のためには、依然として権威的な男性を強く望み続けるであろうし、男性は女性への感情的依存を隠蔽しつつ平等な権利要求を拒みつづけることを放棄しようとすれば、男性性の権力を手放すよりほかにはないが、そのことは女性からの権利要求を誠実に受理しなければならないという、さらなる負担をもたらすことになる。女性も男性も、自身のうちにすでに複雑な感情的矛盾を抱え込んでおり、男女の間には深い感情の溝が存在し続けるのである。

【4】 性の解放が近代社会の抑圧機構を解体していくであろうというかつての展望にもかかわらず、とりたてて革命的な変動も経ずにセクシュアリティの自由放任が実現していることは、事態がそれほど単純ではないことを教えている。しかし、新たに成立しようとしている、自由に塑型できるセクシュアリティに結びついた純粋な関係性は、その手続的な面に着目するならば、たしかに、民主制の成熟に適合していくであろう。純粋な関係性は、人間同士の結合条件に対する各人の平等な参与(選挙権平等)、感情の自由な表明による関係性の調整(公開討論)、相互の信頼に基づいた、自己の行動の正当根拠の開示(説明義務)、といったものを必然的に含意しているからである。「生きることの政治」の場面において、それまで近代的理性により排斥されてきた「感情」は、一人ひとりがライフ・スタイルを決定していく際の倫理的判断基準として、こんご重要性を増してゆくであろう。

ノート
字数:2300
初稿:2000/05頃
初掲:2000/05/19
リンク
而立書房
参考文献・関連事項
コメント
 
本文=黒字 ・ 要約=赤字引用=青字

参考文献

  1. ライヒ『きけ 小人物よ!』(太平出版社、1970年)
    精神分析学者ヴィルヘルム・ライヒのメッセージ。本書で言及されている。

関連事項

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