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ルーゴン・マッカール双書 第19巻 章立て 登場人物 予備知識 訳の欠落
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抜粋集 - 第19巻『壊滅』

主人公ジャン

未来へと開かれた人生を生きることになる一族の中の数少ないひとり、ジャン・マッカール。その言動には人間に対する不屈の楽観が現れている。

だが俺は、政治など、共和制であれ帝政であれ、俺あそんなこといつだつてどつちだつて構はないんだ。そして今日も昔と同じく、俺が俺の畑を耕してた時にや、俺は決してたゞ一つのことしか願はなかったんだ。それは萬人の幸福、秩序、よい政治……勿論戦争なんて誰だつて厭にきまつてるさ。だがな、さうかといつてお前らを沮喪させ堕落させにかかる悪党どもを牢獄にブチ込むのは一向に差支へないことぢや、こんなにもうまくみんなが行つてゐるものを殊更。畜生! 諸君、お前らの血は、人がお前らにプロシヤ軍がお前らの國に侵入して来て、彼等を外に叩き出さねばならぬ時だといふのに、一めぐりもいないのか!
(第1部第2章、上74ページ)

ジャンはほんらい素朴な幸福を願う農民にすぎない。彼を兵役へと駆りたてるのは農民の単純な愛郷心なのである。

成程、軍は惨憺たる連敗を喫した。その點はたしかだ! しかし、だからと言つて味方は全部が全部死滅してしまつたわけではない。まだ残つてゐるものだつてある。そしてそれらの残党だけで結構家を復興するに十分だ。若しそれらが善良な奴で、しつかり働いて、儲けた所をすつかり飲んでしまふやうなことさへしなければ。一家の中でも、営々として働き、貯蓄にはげむなら、どんな逆境のたゞ中にあつても、難場を切り抜けることが出来る。人間はよしんば悪いことをしなくたつて時には横頬を張りとばされることもあるさ。それで反省もするものだ。だから、人間はどこかゞ腐れば四肢を切り取つてしまふといふのが眞理なら、それぢやあ一層のことコレラみたいなもので死ぬよりは四肢を斧で切り落してしまつた方が餘つ程ましだ!
(第2部第8章、下168ページ)

ジャンの農民らしい楽観。

これは、彼自身それと氣つかずにゐるのだが、この他人のために自分自身をも忘れてつくすといふことは彼の人格の全資質だつた。
(第3部第2章、下241-242ページ)

本作でジャンの性格が言及されている数少ない記述。

弱体フランス

普仏戦争におけるフランス軍の弱体ぶりを随所で指摘した本作は刊行当時、愛国者(自称)たちの憤激を買った。しかしゾラは単純な厭戦家ではなく、むしろ戦争に生命力の発露をも見出す立場だ。ときには戦わねばならないこともあると冷静に理解しているからこそ、大義なき戦争、ずさんな軍事、作戦の不備と、そこから帰結する避け得たはずの悲惨に対して激しい非難を浴びせているのである。

吾々は用意が悪かったのだ。劣勢な砲兵、効果的な虚言家、無能な諸将星。そして敵は、あれほど侮つてかかつた敵は、強く確固とし、完全な軍紀と戦術とを以て無数にあらはれたのだ。
(第1部第3章、上96ページ)

フランス敗北の必然性。

モオリスは自問してみた。そこには何等かの特別の生理状態があるのではないかと。心の苦悩によつて深刻にされた、皇帝がありありと悩んでゐる何かの病気がこの優柔不断の原因となつてゐるのではないか、戦争開始以来彼が示したところの、大きくなる一方の無能振りの原因となつたのではないかと。さうだとすれば萬事説明がつく。たゞ一人の人間の肉體の砂礫、そしてそのためにいくつかの帝国が瓦壊する。いかにもあり得ることだ。
(第1部第3章、上106-107ページ)

皇帝の惰弱が弱体フランスを象徴する。

 然るに、その夜、連隊の将校たちは何も食べずじまひであつた。命令の行違ひで、酒保の糧食運搬車は大輜重の後に随いて、道に迷つてしまつたに相違ない。兵隊はよし配給が行はれなくて困つたとしても、彼等は何とか彼とかして結局は食物を見つけ出して来るものだ。彼等は仲間同志扶け合つて、各分隊の兵士の間で食糧を頒ち合ふ。ところが将校は、各人独立に、自分で何とかしなければならないから、酒保が失敗をやつたが最後、施すべき手段もなく、ひもじい腹を喰いしばつて居なけりやならない。
(第1部第4章、上132ページ)

将校と兵卒の立場の違い。予想外の困難が生じたとき、たいていは兵卒のほうがしたたかなのである。

絶望の軍隊

敗北を宿命づけられた軍隊に巻き込まれた兵士たちの絶望と、支配力を失ったナポレオン三世の絶望とが交錯する。

お互い同士の間に何の鞏固な紐帯もなしに、大急ぎで再編されたこの四箇軍団、それはまさに運命の怒を宥めんと試みるために犠牲の祭壇に引かれ行く贖罪の羊群の如く、絶望の軍隊であつた。
(第1部第3章、上108-109ページ)

「絶望の軍隊」は本作のキーワードのひとつ。無能な将軍に率いられて無駄な行軍を続ける疲弊した軍隊の描写は第1部全体を通じて繰り返される。

これは罪の夜だつた。国民殺戮の忌はしき夜だつた。何故なら軍隊はそれ以来悲惨な状態に陥り、十萬の兵が殺戮に送り出されたのであるから。
 (…中略…)進め進め! 進軍! 後をも見ずに、雨の中を、泥の中を、絶滅に向つて、この苦悩の臨終(いまは)の帝國が最後の一枚(カード)を賭けるまで! 進め進め! 汝が國民の山と積まれた屍體の上に勇敢に死ね! 而して全世界を感動せしめよ! 若し汝、汝が子孫に之を傳えんとならば!
(第1部第5章、上172ページ)

双書の各巻にはそれぞれ特徴的な「叫び」が登場するものが多い。たとえば『ナナ』の「ベルリンへ!」、『ジェルミナール』の「パンをよこせ!」など。本作では「進め!」と「さよなら!」の二つがそれにあたる。

そして第百六連隊が愈ゝ、折柄の猛威を加へた豪雨を冒して高地を撤去してムーズ河に向つて非道な行軍を開始した時、モオリスは我にもなく皇帝の影を再び見た。デロッシュ婆さんの家の薄いカーテンの上に打沈んだ歩調で行きつもどりつして居た皇帝の影を。おゝ! この絶望の軍隊、王朝を救はんがためにのみ、定りきつた壊滅へと送りこまれる滅亡の軍隊! 進め! 進め! 後を見ずに、雨の中を、泥の中を、絶滅に向つて進め!
(第1部第5章、上179ページ)

「進め!」その2。

――絶望の軍隊、自棄の軍隊、燔祭に送られる贖罪の羊群は彼等の赤い血の流れでもつて、宿場々々で萬人の罪過を支拂つた。そして今や、名誉もなく首を斬られ、痰をひつかけられつゝ彼等がいさゝかも責にないこんなひどい懲しめの下に犠牲の羊として身を落して行くのだ。それはあんまりだ。彼は正義を渇望して、運命に復讐せんとの燃えるやうな衝動に駆られて怒りに激昂した。
(第3部第2章、下268ページ)

さんざん犠牲を払った後に、ほとんどまともな戦果もなく降伏したフランス軍に対するモーリスの怒り。

市民たち

戦争は軍人でない人々の運命をも大きく左右していく。

ねえ、シルヴィーヌ、若しあのプロシヤ兵の奴等が幸ひ僕を殺さなかつたなら、僕はもう一度お前と……ねえ! 僕たちは結婚しようよ、除隊になり次第。――オノレ
(第1部第7章、上248ページ)

予備砲兵隊軍曹オノレのプロポーズ。しかし彼はこの二日後に戦死した。

 ――本當に私は戦争を憎みますわ、戦争なんて邪しまな忌はしいもんですわ……多分、単純に私が女だからさう思ふのかも知れませんけど。あんな殺し合ひなんて私をクワッとさせるわ。何故お互に説明し合つて了解し合はないんでしよ?
 正直者のジャンは、頭をこつくりして彼女に同意を示した。教育のない彼には、お互に話し合へばすべての人が了解し合ふくらゐ容易しいことはないと思つてゐた。しかし生じつか學問のあるモオリスは、戦争を必然のものと考へてゐる。戦争こそ生命そのもの、宇宙の法則と。正義だの平和の概念を持ち込む人間は、なんとあはれむべき人間ではないか。非情の自然そのものすら不断の殺戮の戦場に外ならないのに?
(第1部第8章、上282ページ)

アンリエットとモーリスの姉弟の戦争観の違い。

普段は慎ましやかな物静かな彼女ではあつたが、かうした際に忠實な妻としての役割に立ち返る勇氣は、あながちに向う見ずの暴挙ともいへまい。いや、夫の居るところに妻が居るのは當り前ではないか! 簡単なことだ。
(第2部第3章、上371-372ページ)

アンリエットの勇気。

どうして一日だつて空費してよからうか? 戦争があらうとなからうと、家は駸々乎としてその穂を伸し、人は営々として生き続けてゐるのだ。
(第2部第5章、下76ページ)

戦場のすぐ近くで何事もないかのように畑を耕している農民の姿がある。人間の争いを超えて未来へと続く大地への信頼を、本作ではこの農民が担っている。

愛國心、愛國心つて言ふが、俺らの方が餘つ程愛國者だぞ!……プロシヤ人に食料品をたゞ呉れてやるのが愛國者かい? 俺あ奴等にみんな支拂わせてやるだ……黙つて見てろ、今にわかるわい!――フーシャール爺さん
(第3部第4章、下326ページ)

プロシア人相手にあこぎな商売を続けるフーシャール爺さん。

浄罪の劫火

双書における『壊滅』はなにより、再生の歌を歌い始める前にどうしても通過しておかなければならない浄罪の道にほかならなかった。

いや、俺はどうしても行かねばならぬ……みんな俺を待つてゐる、若し俺が行かなかつたら俺は狂ひ死にしさうだよ。……お前には俺の中にたぎつてゐるものがわからないんだ、僕を静かに引留めておかうとするなんて。こんなことして終らせてしまつちやならないんだ、俺たちは復讐しなけりやならないんだ、誰に? 何に? あゝ! 俺にはわからん、だが要するに、こんな不幸に復讐しなけりやならないんだ、俺たちがなほ生きる勇氣を持つためには!――モーリス
(第3部第3章、下298ページ)

「不幸への復讐」のモチーフは『ナナ』『ジェルミナール』を経て本作にふたたび現れる。

かうして共通のものとなつて各人はさまざまの幻想に囚はれた。この緊迫は住民を狂乱状態に投じた。既に病的神経衰弱の状態である。傳染性の熱病は恐怖を信念のやうに誇張し、既に手綱を失つた人間獣をそよとの風にも駆り立たせるのだつた。
(第3部第7章、下424ページ)

プロシア軍包囲下のパリ市民。ここに言う「人間獣」の原語は"bête humaine"で第17巻の題名と同じ。

破壊の暗々裡の衝動は、彼の夢想の終りが近づくに従つて彼自身のうちにも高まつて来た。若し正義の、そして復讐者の思想が血の中で圧し潰さるべきならば、どうして一體、生活を一新したこの宇宙的転覆の一つの中にあつて変形せられたる大地は開かれるであらう! パリよ瓦解せよ、燔祭の巨火の如く燃え上れ! これらの悪徳と悲惨に降伏せんよりは、忌はしき不正に害されたる古き社会に降伏せんよりは! そして彼はまた別の大きな黒い夢を描いた。全市が巨大な灰燼と帰し、もはや両岸に燻ぶる燠の他なんにも残らないだらう、火によつてのみ癒される創痕、前例なきカタストロフ、そこから新しい人間が生れるであらうと。
(第3部第7章、下450-451ページ)

『ジェルミナール』の結末に匹敵するカタストロフと、モーリスを支配する破滅への熱狂的渇望。このあたりから火による浄罪のモチーフが展開していく。

 ――御覧! パリは燃えてゐる……
 時刻は九時半ごろだつたらう。炎々たる焔は天を焦し、ますます燃え拡つて行く。東の方、血に染みた小さな漂雲も今は消えて、天頂には漆を流したやうな暗天しかない。それに遠くの火焔が反射してゐる。いまや見遙かす地平線はすべて火の海である。しかし処々、特に勢ひよく燃え上るのが見える。噴火山のやうに紅蓮の焔を吐き出してゐる。その連続的な火の子が湧き上る黒煙と共に闇の中にとび散つてゐるのが見える。火炎はぐんぐん進んでゐるやうである。どこかの大きな森に火がついたらしい。一本々々巨木が燃え移つて行くらしい。大地そのものがこのパリの劫火に舐められて炎上してゐるやうだ。
(第3部第8章、下468ページ)

アンリエットが遠景から見るパリの炎上。

破壊のための破壊、爛れ切つた古い人間性を灰で覆い、清節無垢な、原始傳説さながらのこの世の楽天に満ちた新しい社会が芽を出すだらうとの希望のうちに、たゞ破壊を重ねるのだ!
(第3部第8章、下495ページ)

明白なカタストロフ願望。ちなみに小説ではパリに最初に火をつけたのは登場人物のシュトーということになっている。パリの生んだこのずる賢い卑劣漢の手で、パリは燃え始めたのである。

 ジャンは苦悩に満ちてパリの方を振り返った。この美はしの日曜日のこんなにも美しい日暮れ時に、太陽は斜に、地平線とすれすれに、なほ一時、燃えるやうにあかあかと広漠たる町を照し出してゐた。果てしなき海の上の、血の太陽とも言ふべき光景。無数の窓硝子は目に見えぬ息吹に煽り立てられたやうに燃え立つてゐた。屋根は石炭の海のやうに燃えてゐた。黄色い城壁の隔壁、高い記念碑は錆色に、黄昏の空に、急に燃えついた柴束のはぜのやうに燃えて居た。これぞ最後の火花ではないか、眞紅色の花束、パリ全市は古い乾燥した森の如く、火の子の飛沫となつて一挙に虚空に飛び立ちつゝ巨大な柴束の如く燃えてゐる? 火災は続く、焦色の煙が相変らず濛々と立ち上つてゐる、大きな喧噪が聞えて来る、多分銃刑にされたロバウ兵営の連中の最後の呻き騒ぎだらう。多分楽しい散歩でもした後、酒屋の門口に坐つて、戸外で食事をしてゐる女たちの歓喜と子供たちの笑ひさゞめく声だらう。荒された家々、大建築、打ちくだかれた街路、それほどの廃墟とそれほどの苦悩の中で、なほかつ生活は咆哮しつゞけてゐる。このパリを燠と化し去つた堂々たる日没の火炎の中で。
(第3部第8章、下510ページ)

モーリスが死んだあと、ジャンが眺めるパリの壊滅。しかしこの破滅的崩壊のただ中にあって「なお生命はとどろいていた(la vie grondait encore)」。

再生への歩み

灰燼の中から新しい生命が始まる。幾多の悲惨を産み出した第二帝政のパリは燃え尽き、生き残った者たちは未来へ向かって歩みを始める。

――なア、ジャン、お前は純朴でしつかりしてゐる……さあ! 故郷に帰つて鶴嘴を取れ、鏝を取れ! そして畑を鋤き返へし、家を再興しろ!……お前は俺をやつゝけてくれてほんとによいことをしてくれたよ、俺はお前の骨にこびりついた腫物だつたんだものなア!
 彼はますます熱に浮かされて起き上つて窓に肱つきしようとした。
 ――パリは燃えてゐる、何一つ残らなくなるだらう……おゝ! 何も彼も攫つてしまふこの焔、一切を癒す焔、さうだ俺はそれを望む! 大した仕事をしてくれたもんだ、……俺を下に降ろしてくれ、俺に人道と自由のために最後の仕上をさしてくれ……
(第3部第8章、下503ページ)

モーリスの遺言。浄罪にはモーリスの死という犠牲を必要としたのであろうか。

 ジャンは立ち上り難くさうにして立ち上り、
 ――さやうなら!
 床の上にアンリエットはじつと身を硬ばらせたまゝであつた。
 ――さやうなら!
 だがジャンはモオリスの遺骸に近よつて行つた。彼はじつと見詰めた。一層広くなつたやうに思はれるその額を、痩せた長い頬を、昔ながらの多少情熱を帯びたその虚ろな眼を。そこにはしかしもう発狂の色も消えて。彼は抱擁したいと思つた。彼の愛するこの男を、何度か彼がさういつて呼んだやうに。だがそれもやめた。彼は自分が自分の血に蔽はれたやうな氣がした。彼は運命の怖ろしさの前にたじろいだ。あゝ! 何といふ死に方、世界ぢうが転覆した下で! 最後の日、息を絶つコンミューンの最後の破片の下で、まだその上にこの犠牲が必要だつたとは! 哀れな生命は正義に飢ゑつゝ彼が描いた大きな黒い夢の最後の動乱のうちに行つてしまつた。この、焼けたパリの、鋤き返された浄化の畑の、破壊された古い社会の中から新しい黄金時代の牧歌が芽生えるだらうとの微かな希望を抱如いて。
(第3部第8章、下509ページ)

親友モーリスを失ったジャンの嘆き。

 この時、ジャンは異様な感に打たれた。この静かな入陽の中で、燃え上るこの都市の上に、オーロラがすでに上つたと思はれた。しかし何といつてもこれは一切の終焉であつた。運命の片意地、未だ嘗て一國民がこれほど大きな災害を蒙つたこともない位の災禍の堆積。打続く連敗に、地方は失はれ、幾十億の賞金を支拂はせられ、その上に最も恐ろしい内乱、血に溺らされた、街に満つる破壊と死人、これをすつかり復興するに更によけいの金と更により多くの名誉! 彼はつきぬ名残を残しつゝ千々に胸くだける思ひでモオリスとアンリエットと、そして暴風雨(あらし)の中に持つて行かれてしまつた彼の明日の幸福とをそこに残した。だが、いまだに燃えさかる猛火の彼方、こよなく澄み切つた静かな大空の底から、生々とした希望が蘇つて来た。これは永遠の自然の狂ひなき若返りである。永遠の人性の、希望し働くものに約束された一陽来復だ。毒ある樹液の故に葉の黄ばんだ樹枝を切り落した時、はじめてそこに再び新しい力強い茎を出した樹木如のく
(第3部第8章、下510ページ)

すべてを失ってもなお希望は新たに芽生える。ジャンが望んだのは「雷雨に連れ去られてしまった彼の幸福な明日(son heureuse vie de demain emportée dans l'orage)」だ。双書最終結語「生命(la vie)」への渇仰が、もはや抑えようもなく噴出している。

 噎びつゝジャンは繰返した。
 ――さやうなら!
 両手で顔をかくしたまゝアンリエットは頭を上げなかつた。
 ――さやうなら!
 荒された畑は荒蕪地になつてゐた。家は焼かれて地に伏してゐた。最も卑しい最も悲しめる者ジャンは行つてしまつた。未来に向かつて歩を続けながら。全フランスが更生するといふ大きな困難な仕事に向つて。
(結語、第3部第8章、下511ページ)

二つの別れの挨拶、「さよなら!(Adieu!)」と「じゃ、また!(Au revoir!)」は、本作においてしばしば対比的に使われている。「全フランスを再建するという大きな困難な仕事(la grande et rude besogne de toute une France à refaire)」に赴こうとするジャンはアンリエットにアデューで別れを告げる。

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