SYUGO.COMカテゴリマップ
ルーゴン・マッカール双書 第19巻 章立て 登場人物 抜粋集 予備知識
特集 書評 講読ノートトップへ データベース

訳の欠落 - 第19巻『壊滅』

注意
このページには『壊滅』の一部分を訳出してある。訳出した部分は、戦争で身体に傷害を負った兵士たちのリアルな描写などであり、それなりにグロテスクな場面が多い。その種の描写に弱い読者や、「眼窩」「脳漿」「臓物」といった単語に不快感を刺激されてしまう読者は、無理して読まないでも作品の理解に支障はないものと思われる。

現在(2003年1月)、本作の翻訳としては1941(昭和16)年の古いものが存在するのみだが、この翻訳には全体を通じて九箇所、訳文の欠落した箇所がある。欠落部分は第二部から第三部に集中しており、その内容は戦場や野戦病院などでの傷を負った兵士のグロテスクな描写が大部分であるが、登場人物による戦争批判を含むものもある(下表参照)。

  場面 欠落箇所 削除された理由(推定)
(1) 戦場における赤十字の活動 第2部第5章(下巻41ページ) 描写がグロテスク
(2) セダンの野戦病院 第2部第6章(下巻88-89ページ) 描写がグロテスク
(3) 森の中の逃走 第2部第7章(下巻126ページ) 戦争批判
(4) バゼイユの死体運搬車 第3部第1章(下巻206ページ) 描写がグロテスク
(5) イリー高地の惨状 第3部第1章(下巻222ページ) 描写がグロテスク
(6) ルミリーの野戦病院 第3部第4章(下巻319-320ページ) 描写がグロテスク
(7) ゴリアートの処刑 第3部第5章(下巻378ページ) 描写がグロテスク
(8) ジャンの感慨 第3部第5章(下巻380ページ) 戦争批判
(9) 川の中の死体 第3部第6章(下巻404ページ) 描写がグロテスク

これらの欠落部分は翻訳書ではページの該当箇所が不自然に空白になっており、明らかにいちど全訳して活字を組んだ後で削除した(させられた)らしいことがうかがえる。この訳書の刊行は太平洋戦争勃発の11か月前であり、おそらく戦争の悲惨さのあまりに露骨な描写の部分は公刊できなかったのであろう。そこで、原文に照らしてそれらの欠落箇所を、以下に訳出しておく。なお、場合によっては前後の部分も含めて訳出したが、その場合、強調された部分が実際の欠落箇所である。

(1)戦場における赤十字の活動

戦場で負傷して倒れている兵を救出しようとする担架兵の活躍を描いた場面。負傷した兵士の描写が削除されている。

 モーリスは今度は担架兵に関心を持って、土地の起伏のなかで展開される彼らの探索活動を眼で追っていた。くぼんだ道の端、勾配の後ろに、応急処置のための移動救急部隊がいたはずだが、その隊員たちが高台を探索し始めていたのだ。彼らはすばやくテントを組み立てるいっぽう、いくばくかの工具、器具、布類など必要な物資を、有蓋荷車から荷ほどきしていた。それらの道具で応急処置を施すと、彼らは輸送車が手に入りしだい負傷者をセダンの方へ送り出すのだったが、その輸送車もじきに足りなくなりそうだった。そこには助手しかいなかった。頑なな、それでいて栄誉のない勇敢さを示しているのはとりわけそれらの担架兵たちだった。腕章とカスケット帽に赤十字のついた灰色の服装をして、弾丸の下を、人が倒れているところまで、彼らがゆっくりと落ち着いて現れるのが見られた。彼らは膝で這い、溝や生け垣やあらゆる土地の起伏を利用して、みだりに身をさらさないようにしていた。そうして地面に倒れている者を発見すると、彼らの困難な仕事が始まるのだった。というのも、そのほとんどは気絶しているので、負傷者か死人かを見分けなければならなかったからだ。ある者たちは俯せに倒れて、血の池の中に顔をつっこんで窒息しかかっており、別のものたちは、まるで土を食べてきたみたいに喉を泥でいっぱいにしていた。また別のものたちは腕と脚がこわばり、胸を半ばつぶされて、ごちゃごちゃに山をなして放り出されていた。担架兵たちはまだ息のある者たちを入念に引きずり出して寄せ集めると、その手足を伸ばし、頭を持ち上げて、出来る限りきれいにしてやるのだった。担架兵はみな冷たい水の入った水筒を持っていて、それを非常に大切に扱った。そしてしばしば彼らがこうして長いこと、負傷者を活気づけようとし、その眼が再び開くのを膝立ちになって待っているのが見られるのだった。

(2)セダンの野戦病院

ドラエルシュ邸に運び込まれたバゼイユ防衛戦の負傷兵の様子。

 扉の大きく開け放たれた広い乾燥室の中は、すべてのマットレスがふさがっているばかりでなく、部屋の隅に担架を並べるだけの余地もなかった。ベッドとベッドの間に藁床を敷いて、負傷者をたがいちがいにして間隔を詰めさせ始めていた。負傷者はすでに200人ちかくいたが、たえず新たに到着するのだった。大きな窓から差し込む清浄な光が、すし詰めにされたこれらの人間たちのあらゆる苦痛を照らし出していた。ときおり、激しい身動きとともに無意識の叫びがあがる。断末魔の喘ぎが湿った空気を通り抜けていく。実際かすかな、ほとんど歌うような呻き声は止むことがなかった。そして、より深い沈黙が生じていた。それは一種のあきらめに満ちた自失であり、看護人たちの足音とささやきだけが響く死の部屋の、陰気な消沈であった。傷が、戦場で大急ぎで手当てされたためにまだ肉がむき出しになっているものもあって、軍用外套の断片と破れたズボンの中で彼らを苦しめていた。砕かれて血のしたたる脚が、まだ靴をはいたままで投げ出されていた。膝と肘が、ナイフの一撃で断ち切られてしまったかのように、生気のない四肢をぶら下げていた。つぶされた手、もげ落ちて皮膚の切れ端でかろうじてつながっている指。無数の骨折した脚と腕が、苦痛のあまり鉛のように重たく硬化していた。しかしとりわけ憂慮されるのは腹部、胸部、そして頭部の損傷であった。脇腹がひどい裂傷で出血し、めくれ上がった皮膚の下にもつれた臓物が現れ、毀たれ粉砕された腰のせいで、狂ってのたうちまわったように姿勢がゆがんでいる。肺を貫かれると、あるものは傷が浅いのでそれと気づかないこともあるが、別のものはぱっくりと開いた割れ目から生命が赤い流れとなって流れ出る。だが視認できない内出血があると、とつぜん錯乱と陰鬱に陥って死んでゆくのだ。頭部を傷つけられたものはそれ以上に苦しんだ。砕かれた顎、血まみれでぐちゃぐちゃになった歯と舌、眼窩がえぐられて半ばこぼれ出た眼球、割れた頭蓋からのぞく脳漿。骨髄や脳に弾丸を受けた人々はみな、憔悴しきった昏睡状態のなかで死体のようになっていて、骨折したり発熱したりしている他の者たちが動き回り、低く哀願する声で水を要求しているのとは対照的だった。

(3)森の中の逃走

イリー高地での敗北と潰走の途中でジャンとモーリスが目撃した惨状。

 ああ! 瀕死の木々のざわめきのただなかで、この凶悪な林、虐殺の森は、傷ついた者たちの苦痛の呻きで次第に満たされていくのだ! コナラの木の足もとに、歩兵連隊の兵士が内臓をさらして、屠殺された獣のような叫びをたえず発しているのにモーリスとジャンは気づいた。もっと向こうでは、別の一人が燃え上がっていた。青いベルトが燃え、炎が髭にまで達して焦がし、それなのに腰がたぶん砕けてしまって動かすことができず、その男は熱い涙を流していた。それから、左腕がもげ、右の脇腹が腿のところまで裂けて、俯せに倒れた一人の大尉がいた。彼は肘をつかって這いながら、誰かとどめを刺してくれと、ぞっとするような甲高い哀願の声で頼んでいるのだった。ほかにも、さらにまたほかにも、ひどく苦しんでいる者たちがいて、草の生い茂った小道に無数に散らばっているので、通るときに踏みつけないよう注意しなければならなかった。だが負傷者や死者はもうどうでもよかった。倒れた者は打ち捨てられ忘れられた。振り返って一瞥することもない。それが運命だったんだ。ほかの奴のことだ、そいつが自分でどうにかするだろうさ!

(4)バゼイユの死体運搬車

シルヴィーヌとプロスペルがオノレの遺体を探しに行くためセダンを通り抜けようとする。そのときに二人が出くわした光景。

 シルヴィーヌは再び彼を黙らせた。彼女は身震いした。燃え残った農家の道具置場で、二日来閉じ込められ忘れ去られていた犬が一匹、絶え間なく痛ましい遠吠えを放ち、それが恐怖を呼び覚まして、陰気な小雨の降り始めたどんよりとした空を渡っていった。ちょうどこの時、モンティヴィリエ公園の前でかれらはある光景に出くわした。それは列になった三台の大型のトラックで、死体をいっぱいに積んでいるのだった。この衛生トラックというものは、まいあさ前日の残り物をシャベルでかき集めてきて通り沿いを満たしているのだが、それと同じようにこのときは死体をいっぱいに積んできたところで、そこに投げ出していく死体が二人の行く手を阻んでいたのだ。そしてトラックはもっと遠くへ行くために車輪の大音響をたててまた出発し、この堆積があふれかえるまで、バゼイユ全体を駆けめぐるのだ。二人は通りの上で動くこともできずに、ごみ捨て場に、隣の死体の山に誘導されるのを待っていた。足がいくつか堆積からはみ出して空中に突き出されていた。なかばもげた頭が垂れ下がっていた。三台のトラックが水たまりのなかでがたつきながら再び動き出したとき、堆積から長く垂れ下がった鉛色の手が車輪にこすれた。この手はこうして少しずつすり減り、皮が剥けて、やがて骨だけになるまで食い荒らされていくのだ。

(5)イリー高地の惨状

シルヴィーヌとプロスペルが砲兵陣地に到着して、オノレの死体を発見する場面。

 彼女はふいにかすかな叫びをあげた。彼女は振り向いたところだった。まさに砲兵隊の陣地にいたのだ。すさまじい有様だった。大地震があったかのように地面はめちゃめちゃで、残骸がいたるところに散乱していた。縦横にひっくり返った死体は酸鼻な姿勢をとって、腕がねじれ、脚が折れ、頭が曲がり、大きく開いて白い歯を見せた口が絶叫のかたちをつくっていた。一人の砲兵伍長が、恐怖による麻痺で両手をまぶたの上にあてたまま、まるで見ることを拒むかのような格好で死んでいた。ある中尉がベルトの中に持っていた金貨が彼の血とともに流れ出て、臓物の間に散らばっていた。一方が他方に覆いかぶさるようにして、相棒たち、嚮導兵のアドルフと照準手のルイが、眼窩から飛び出た眼球を見せて、死の中でまでコンビを組んだとでもいうように、がっちりと抱き合って死んでいた。そうしてとうとう、びっこになった大砲の上に倒れているオノレが見つかった。戦場にいたときのように、脇腹と肩をやられ、美しい顔は無傷で怒りをたたえ、かなたのプロシア砲兵陣地のほうを永遠に凝視していた。

(6)ルミリーの野戦病院

戦後、アンリエットが勤めている病院での傷病兵の様子。

 戦闘があった十日後にはさらに、負傷したまま打ち捨てられ、片隅で見つかった死体が運び込まれてきた。その四人はバランの空き家にいて、何の治療も受けずに、どうやってかはわからないがおそらく近辺の人々の施しのおかげで生きていたのだが、その傷口にはうじ虫がいっぱいで、彼らはこの不潔きわまる傷が腐敗して死んだのだった。誰も打ち勝つことのできないこの傷口の化膿こそが、息を吹きかけてベッドの列を空にしてしまうのだ。扉から入るや壊死の臭いが鼻を突いた。排膿管が悪臭を放つ膿を一滴一滴排出していた。最初は気づかなかった骨片を摘出するために肉を再切開しなければならないこともたびたびだった。それから膿瘍が現れ、もっと先まで破る出血が起こった。疲れ切り、やつれ果て、顔を土色にして、悲惨な人々はこれらすべての苦しみを耐え忍んでいた。ある者は衰弱して息もせず、仰向けになったまま黒ずんだまぶたを閉じ、なかばすでに腐敗した死体と同じようになって日々を過ごしていた。いっぽう眠ることのできぬ者たちもいて、彼らは不眠症でそわそわと動転し、多量の汗でぐっしょりになって、あたかも破局の狂気が彼らをひっぱたいたとでもいうように興奮しきっていた。しかし暴れる者も穏やかな者も、ひとたび伝染性の発熱の震えにとらえられると、もうだめだった。圧倒的な毒がベッドからベッドへと飛び移って、勝ち誇るこの腐敗の波の中にだれかれとなく連れ去ってしまうのだった。

(7)ゴリアートの処刑

プロシア人スパイだったゴリアートはシルヴィーヌに復縁を迫り、従わなければシルヴィーヌがフランス義勇兵と連絡を持っていることを密告すると脅す。シルヴィーヌに知らされて危険を感じたもと義勇兵サンビュックと二人の部下は、シルヴィーヌの部屋に忍んで来たゴリアートを待ち伏せして捕らえ、殺害する。

 彼らはゴリアートの体を前に押し出した。サンビュックは静かに、そしてきっちりと実行した。大きなナイフのただ一振りがゴリアートの喉を真一文字に切り開いた。すぐに、泉のような小さな音をたてて、切断された頸動脈から血がバケツの中に流れ込んだ。彼は切り口を慎重に扱ったので、わずか数滴の血が心臓の圧力で噴きこぼれただけだった。縛っているロープがきつくて体がまったく動かないようにしてあったので、もし死がもっと緩慢であったら、痙攣すら見られなかったことであろう。一度の衝撃も、一つの喘鳴もしなかった。顔の上、激しい恐怖を刻まれたその表情の上よりほかには、どこにも断末魔のしるしを見てとることはできなかった。その顔からは少しずつ血が引き、肌が生気を失ってシーツのような白さになろうとしていた。両方の眼そのものも虚ろになって、濁り、消え入ろうとしていた。

(8)ジャンの感慨

ゴリアート処刑の直後。同じ家に住んでいるジャンが物音に気づいて様子を見にきたところ。

 このとき、ジャンが決心して彼女の部屋の扉をそっと開いた。農場の物音に気づいたわけではなかったのだが、行き来したり、大きな声がおきるのが聞こえたのでさすがにびっくりしたのだ。そしてそこに、彼女の静かな部屋の中で、シルヴィーヌが打ちのめされ、このような苦悩の熱狂に揺り動かされて、狂乱しすすり泣いていた。はじめジャンは彼女が歯の間から切れぎれに洩らすつぶやきがわからなかった。シルヴィーヌは残酷な光景を遠ざけようとするように、絶えず同じ仕草を繰り返すだけだった。ジャンは周囲を見回し、そして理解した。罠が仕掛けられたこと、喉を掻き切られた死体、母が立って、子どもがそのスカートにくるまり、父が喉を切られて血を流しているのに直面していることを。ジャンはすくみあがっていた。彼の農民と兵士の魂は苦悶にもだえた。ああ! 戦争、忌まわしい戦争なのだ、哀れな人々みなを残忍なけだものに変え、おそるべき憎悪の種をまき散らすのは! 父の流血に巻き込まれた子どもは民族の争いを保存し、のちに父方の家族の呪詛を浴びて成長して、きっといつか彼らを皆殺しにするのだろう。おぞましい収穫のための最悪の種まきだ!

(9)川の中の死体

戦後のセダン。12月になっているが、死体処理はまだ続いている。

人々は先日来、もう一つ悪臭の源を見つけていたのだった。それはムーズ河で、すでに200匹以上の馬の死体がそこから引き上げられていたのだ。おおかたの意見では、人間の死体はもうそこには残っていないはずだった。そのとき、注意して見つめていた田舎者の歩哨が、2メートル以上の深さの澄んだ水底で石のように見えていたものの正体に気づいた。そこは死者たちの寝床だった。腹を裂かれたために、鼓腸(腸内にガスが充満して腹部のふくれる症状=訳者注)によって水面に上がってくることのできなかった死体だった。ほとんど四か月も前から彼らはそこに、水の中、草の間にじっとしていたのだ。鉤をかけると腕や脚や頭が上がってきた。ただ流れの力だけが、ときおり手の一本をもぎ離して持ち去っていった。濁った水の中から大きな気泡がのぼってきて水面で破裂し、ひどい悪臭を大気中にまき散らした。

ホーム講読ノートルーゴン・マッカール双書第19巻 [ 訳の欠落 | 前へ | 戻る ]ページプロパティ
ページの一番上に戻ります。 ひとつ上の階層に戻ります。