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ルーゴン・マッカール双書 第18巻 章立て 登場人物 株価の推移
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抜粋集 - 第18巻『金銭』

サッカールについて

金銭欲の権化たるサッカールは、その一方で強い情熱とエネルギーをも持った人物であり、ある種の魅力を放っていることは否定できない。その大胆な冒険者的情熱を本作の随所にうかがうことができる。

「大な仕事をしやうとするには、少しくらいゐの犠牲は仕方がない、大功は細瑾を顧みず、人心を驚倒しやうといふに、少し位人の足を踏潰したつてそりやア何も仕方がない………」――サッカール
(第4章、216ページ)

不正行為をカロリーヌに戒められたときのサッカールの返答。サッカールは多くの人を犠牲にしてゆくが、それは悪意があってというよりは、野心の前ではすべてが些末事になってしまうからなのである。

「(……)全體貴女は親父を買被り過ぎておいでなさる、終局には飛んだ業に遇ひなさるよ、親父の喰物にされて了ひなさるよ、屹度請合だ」
(第7章、413ページ)

息子マクシムが評するサッカール。マクシムはサッカールと距離をとっていて、サッカールでさえ息子から金は借りられないと観念しているほどである。サッカールの息子たる者としては賢明な態度といえよう。

「ねェ御覧なさい、貴女大概解つたでせう、親父の親父たるところは……、僕の親父は別に人並外れて惡い人ぢやない、ないがだ、金錢の事となると、肉身の女房にしろ子供にしろ、身邊のもの一切合切、親父は之を犠牲に供するのを敢てするです、金錢に比べると外のものは第二に置くです、エ? 解りましたか? 尤も親父が金錢を好くのは、世の所謂守錢奴のやうに好くのぢやない、穴藏へ仕舞つておいて悦ぶのぢやない、親父の好くのは金錢の力で贅澤や其他有ゆる權力能力が振舞へる、其力を有つてるから好くので、而して然うなると金錢の出どころや此を作る方法には別に厭目はつけないです、何でも金さへ作らへれば宜い主義なので、要之先天的禀性ですね、どうもはや仕方が無い、金錢の爲には眼中人間なし、僕であらうが貴女であらうが、誰彼構はず賣ることは屁とも思つてをらんのでさ、人間を品物と同様に心得てるのですから、金の爲には良心も無くなるんでさア、分別を忘れるんでさア、片時も金の夢想から離れない、要之一種の金錢狂ですね……」――マクシム
(第7章、415-416ページ)

マクシムのサッカール評、その2。見事に当たっている。

「(……)銀行が自分の株を有つとるといふのは、夫は株の値が下るのを拒ぐ爲だ、相場を支持してゆく都合上止むを得ず所有するのだ、(……)」
(第8章、463ページ)

自社株所有を正当化するサッカール。「止むを得ず」とか言ったって、商法違反なんだってば。

 サカールの性格は前に云つたやうなものであるが、偖て彼サカールは、かゝる性格の爲に、好い位置も拵へ得るが、又一方此が爲に、悉く失敗をするやうな機運をつくるので、要之短所長所と云ふのであらう、今彼は金は自在、何でも腹一杯にすることが出來るやうになつてるが、さて斯うなると、又他の慾念が生じて來て、何か珍らしい新しい、人の出來ぬことが行つてみたい、中々凝乎としてゐられない、そこで、何方へ其慾が向いたかといふと、御多分にもれずこれが女色の方へ向つたのだ、(……)
(第8章、486ページ)

けっきょく、その人並みはずれた金銭への情熱がサッカールの欠点でもあり魅力でもあるのであろう。

(……)カロリンは胸が凍着くやうな心持をしながら、歩行いてゐるサカールを看まもつて考へた、此男果して偉い勇者であるか、それとも一個の卑劣漢か愚者か悧巧者か、山師か詐僞師か、六箇月來、武器を褫奪された敗將みたやうに、全く無手にされて、此暗Kな牢獄裡に打込められて、其で相も變らず意氣軒昂、恐ろしい豪語を放つてゐる、全裡の冷たさうな四壁、鐡製の足も碌々伸ばされぬ小寢臺、素地の粗末な卓一脚、藁作りの小汚ない椅子二脚、娑婆では迚も住へさうもない此鐡窓裡に、今迄光り輝いた贅といふ贅を盡してゐた其身が、如何辛抱が出來るだらう、それが然も一向に、關せず焉と澄してゐる、とんと性格が譯らない!……。
(第12章、757ページ)

サッカールのせいで兄が服役することになってすら、カロリーヌはサッカールへの敬意を捨てきれないでいる。サッカールにある種の魅力があることは否めないのである。

「(……)此我輩は餘り情緒に走り過ぎる、確に然うだと自覺する、我輩が失敗した原因は他に無い、情に燃え易い性質にあるのだ、(……)」
(第12章、758ページ)

失敗の原因についてのサッカールの自覚。溢れるばかりの情熱と生命力を受け継いでいる点で、よかれあしかれサッカールはルーゴン家系の遺伝的嫡子なのである。

ルーゴン家の人々

本作では、登場機会の少ないルーゴン家の人々の消息を追うことができる。

「(……)兄の野郎此頃餘ッ程血迷つとる、あの政治の行様は何だ、大分攻撃を受けとるぢやないか、今に大反抗が起るから見るがいゝ、篦棒極つた話だ(……)」――サッカール
(第1章、14ページ)

兄ウージェーヌを評するサッカール。この兄弟はあまり仲が良くないらしい。

「(……)彼の位地に居れば株の相場に變動を起す事情なんぞ宜く解つて居らんけりやならん、宜く解つてをれば其を前以て我輩に洩してくれる位は仕てくれても宜のぢや、それが如何ぢや未だ嘗て其様な好意を我輩に示してくれたことはないでないか、(……)」――サッカール
(第6章、347ページ)

サッカールの兄に対する不満は多分に自分勝手なところがあるのだが、ウージェーヌの方もサッカールを厄介に思っているようである。

「(……)母が巴里で亡くなつた時に僕はプラッサンに居て、中學校に入つて居たんです、プラッサンにはパスカルつて醫師をしてゐる伯父が居て、僕の妹のクロチルドは其伯父の厄介になつてゐるんですが、其後僕は妹には纔一遍逢つたきりです」
「然矣左様、左様再婚したんです、或官吏の娘で名はレネーと云ひました、だが僕に取つては母といふのは名ばかりで、宛然仲の好い友達でした」――マクシム
(第7章、414-415ページ)

マクシムが語る、ルーゴン家のパスカルとアリスティドの娘クロチルドの消息。第20巻の伏線である。継母のルネとマクシムとの密通関係は第2巻で扱われた。

ヴィクトルは今はもう何國の果へ行つて了つたか、皆くれ行方は判らない、(……)と、斯ういふ返事なのである、(……)小さな狼を放したやうなもの、毒を含む其牙で無暗に人に噛付いて、遺傅の害毒を流して歩行く、争はれぬもの恐ろしいものと、カロリン嘆息をするばかり。
(第12章、780ページ)

16歳の野生児ヴィクトルはついに一度も実父サッカールに会うことなく、パリの闇の中へ消えていった……。おそらくパリの裏道をたくましく生きていくことだろうが、彼のその後を知るすべはない。

金銭と株式会社

本作は株式会社や証券取引を文学の題材としている点で斬新な小説であった。本作においてゾラの着眼が金銭をめぐる人々の欲望のあさましさに当てられていることは確かだが、それでも資本主義や株式会社の仕組みについて的確な知識を持ち、決して感傷的な金銭否定に終わっていないところにジャーナリスト・ゾラの面目がある。

「金錢は幾多の弊害を生ずといふ、それは無いから生ずるのだ、有つて之を運用すれば事毎に幸福の原因たらざるなしだ」――サッカール
(第2章、83ページ)

「無いから(弊害が)生ずる」というのはかなり強引な理屈だと思うが、こう大胆に言い切られてしまうと妙に説得力がある。

「(……)御覧なさい、世人は擧つて株式會社を罵つて、ヤレ賭博機關だの悪徒の集團だの、ヤレ殺人機關だの暗殺場所だのと、様々の惡口を云つてるが、若し株式會社の仕組が無かつたら如何でせう、鐵道も出来ぬし、近世大規模の諸企業も成立たぬし、世界は舊態のまゝで停止して了ふ譯だ、何故と云へば、一箇の資力では大事業を成就させることは出来ぬし、一箇人若くは數箇人が團結したからツても、進んで大事業へ手を出す危險を踏まうといふものはありはせん、目的が大きければ危險もそれに伴つて大きいのは當りまへ、計畫が大きければ様々な想像も起きてくる、富鬮だつても大鬮は少いが、當れば大したもの、即ちそこに人間の情熱が起つて来、生命が活動してくるのだ、(……)」
(第4章、213-214ページ)

資本主義や株式会社の現代的意義についてゾラは基本的な理解を押さえている。こういうところが当時の文学者としては出色なのである。

噫矣金錢! 人を腐らせる金! 世を毒する金! 人を刻薄にして頭腦を凋萎せしめる金錢! 他人の善意好意を驅逐し信愛の情を傷ける金錢! 人間界の總ての殘虐の事汚穢の事、有らゆる罪、それは皆金錢が誘惑して來るのだ、何といふ恐しいものだらう!
(第7章、416ページ)

カロリーヌの慨嘆、その1。金銭の弊害を嘆く。

一方金錢は人を荼毒し世を破壊するものではあるが、他方では總ての社會的耕作の誘發物となつてゐる、成程金錢は糞土同様、不潔物には相違ない、併し此不潔物が無かつた日には、如何大事業を耕作しやう、如何立派な花實を結ばせやう、人と人との距離を近づけ世界を平和ならしめ得やう!……。
(第7章、424ページ)

カロリーヌの慨嘆、その2。金銭の功績に感じ入る。

「(……)三千六百萬の利益が有るツたつてそれは今期のことで、未だ勘定を了へぬ詰り豫算に過ぎぬのだ、それを確實的に考へる譯だから、言はゞ未成案といふもの、配當すべきものを配當とせずして銀行の當局者勝手に拂込金に充用するといふ、それも此も私は不當だと思ふが何うだらう、夫も宜いとしたところで、其配當なるものが、未だ確定的のものでない、未収入のものであつて、それを現實のものとして勘定の表面上振替へるといふことは、詰り虚僞假想の配當額を設けて人を欺くに等しいもの、不法と云はれても辯解の辭が無いではないか」
(第8章、457-458ページ)

サッカールの不正行為に対するジョルジュの抗弁、その1。まっとうなことを言っている。

「(……)君の豫算的の資産負債勘定を基礎に置くことは僕は飽までも不正と思ふ、未だ判りもせぬ勘定を、確實のものに見て計算したり、利益を此位だらうとだらう主義でやるそれは大會社の眞面目に行ふべき事ではないのだ、僕は東歐に於て銀行が經營する事業は一として有望ならざるなしとは云ふが、萬一何んな事があつて豫期の如くに効果を擧げ得ぬとも限らぬ、總て人事は常なきものである以上、未必の事は當にはならぬのだ、(……)」
(第8章、461-462ページ)

サッカールの不正行為に対するジョルジュの抗弁、その2。これまたまっとうなことを言っている。

(……)アヽ金錢の力でも儘にならぬか、コニンの奴、他の男には一文なしで身を任せるといふのに、此自分は馬鹿々々しいほど金を積んでも、まゝになることが出來ぬ嫌だといふ、苦手か、本意か、其意志を抂げさせるのは、我が力にも及ばぬか、金の力でも出來ぬのかと、金の力なら何事をも爲し得ると思つたサカール、心に猛り立つてみたが、どうも此上仕方が無い、(……)
(第8章、491ページ)

金の力の限界に言及した、本作中の数少ない箇所。サッカールは金銭欲とともに色欲も強いことになっているが、本作ではそれほどの印象は受けない。

(……)凡そ株といふものゝ値價は第一に其發行價額が基になる、それから其れに伴ふ利分がついて、加はつてゆく順であるが、此利分は其會社事業の盛衰と成功不成功に由つて定まるものだ、かゝる標準があつて後始めて相場は生てくるもので、無暗矢鱈に高低の出てくるものでない、(……)
(第9章、506ページ)

理性の人グンデルマンの理論。彼は万国銀行の近い破綻を予見している。

「(……)何の爲に一體貴郎は理屈に合はなくなるまで相場を引上げやうとなさるのでござんすか、高い値の出るのは結構な事には相違ありませんが、理屈も無い迄に高くするのは如何いふ御考でござんせう、(……)」
(第9章、572-573ページ)

カロリーヌ、サッカールをいさめる。しかしこのときにはもう抑制しようもない株価高騰が始まっており、破滅への道は着々と準備されていたのであった。

(……)實際言語は發しないで、只手眞似で話をしてゐるのである、其手の使ひかたは如何な風かといふと、自分の身體から手の先を向ふへ押やるのはオフアー即ち賣らうといふ意味で、手の先を自分の方へ向けて折曲げるのは引受けた買取つたといふ標法である、それから指を擧げて數を示すのは賣買する玉數を見せるので、買ふとか賣らぬとか諾とか不承諾とかいふ事は、頭で云ふことになつてゐる、(……)
(第10章、606-607ページ)

取引所での売買方法の慣行。こういう具体的な記録は現代でも興味深い。

生命を作る金、生命を奪う金

ゾラは本作において金銭のなかに、人々の生命を作り出す側面と、人々を破滅させる側面の双方を見出していると言えるだろう。それは『生きる喜び』や『大地』などでも繰り返されてきた、盲目的で強いエネルギーへの信仰に連なってゆくのである。

(……)自分は彼を思つて居る、思つてるどころか愛してゐる、併し其愛してゐるのは、淫慾の爲ではない、其剛毅其勇敢、其慈悲其熱誠のためである、彼が奮闘活動の人物で、現に東歐に新世界を開發し、生を作る其事業から、寧ろ心に慕つてゐるのだ(……)
(第7章、430ページ)

サッカールへの尊敬と愛情を捨てきれないカロリーヌの胸の内だが、ここにある「生を作る」というのは本作の結語にもなっている重要なキーワードである。

 群集は相變らず喧噪を極めてゐる、サカールを目懸けて押してくる、此にサカールは氣を入れ替へやうと、頭を擧げて二階の廻廊を見上げると、メシエエン婆が其脂ぎつた大な圖體を、手摺の所から現はして、下の戰場を睥睨してゐたので、サカールは懸けてゐた腰を思はずも起立つた、メシエエンは相變らず古いK革の大鞄を側へ置いたきり、恰かも食に餓ゑた烏が軍に従つて虐殺の來るのを待構へて思ふ存分腹を肥さうとしてゐる風で此戰の場から眼を離さず、死骸の臭を嗅付けて、二足三文に下つた株を、ウントコサ鞄に詰込んで、持つてゆかうとしてゐるのだ。
(第10章、651-652ページ)

本作中随一の名場面であろう。株価大暴落の瞬間、呆然と立ちつくす関係者の頭上で、下落したクズ株を安く買い集めていこうと機を窺っている、黒い服をまとったメシャン婆さんの姿は、まさに屍肉に群がるカラスを連想させる。ちなみに、メシャン(Méchain)という名前は「意地悪な(méchant)」という語によく似ている。

(……)アヽ何といふ神變不思議な力があつて、此黄金の塔を一朝に押建てゝ、押建てたかと思つたら又一朝にして倒して了つたのだらう! それを建立した手で又自分から狂人のやうに猛り立つて、柱一本殘さず毀して了つた! 何といふ道理だらう? 到るところ悲痛の叫び、到るところ財産が人と共に奈落の底へ沈む音響、(……)此度の金事件で路頭に迷つて瀕死の境に沈んで了つた、最後の結果は即ち死! マゾーは爲に短銃で頭腦を碎いて、身を滅して了つたのだ、其腦漿や血汐やは、定めてパリの此處彼處へ迸射することだらう!
(第11章、709-710ページ)

金銭の力で破滅した人々を思う、カロリーヌの慨嘆。しかしここではもはや金銭の弊害よりも、その圧倒的な力に対する怖れとも尊敬ともつかぬ厳粛な感情が表明されている。

(……)此何一つない情けない獄房、人間社會から遠く隔離された監禁室に、彼女は何だか横溢する一個の動力があるやうな氣がしてならぬ、活々した生氣が漲つてゐる氣がしてならぬ、光明ある前途が、此剛情我慢精悍有爲の人を迎へてゐるやうな氣がしてならぬ。
(第12章、766ページ)

勾留されながらなお再起を試みる「横溢する一個の動力」のごときサッカールに対するカロリーヌの驚嘆。このカロリーヌの想念からもわかるように、ゾラは金銭欲を害悪一辺倒のものとしては見ていない。

カロリーヌは、それでも晴ればれとしていた。白い髪の冠の下で、彼女の顔は依然として若々しく、まるで毎年四月になるたびに古い大地の中で若返っているかのようだった。サッカールとの関係がもたらした不面目な思い出を、また同じように愛を汚したあのおぞましい恥辱のことを、彼女は思った。金銭が生みだした汚辱と犯罪との責めを、いったいどうして金銭に負わせることができるだろう? 生命を作り出す愛が、少しでもきれいになるというのだろうか?
(第12章、朝倉秀吾訳)

結語。飯田旗軒訳は結語部分の訳をちょっと端折っているので、やむを得ず私が訳した。「四月」や「大地」への連想は『ジェルミナール』や『大地』に見られた希望の芽生えを想起させる。原文の結語は「生命を作る」となっており(qui crée la vie?)、双書全体の最終結論を暗示している。

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