ロランの歌は、中世フランスの英雄たちの人生を描いた名叙事詩であり、この上なき生き生きとした臨場感に満ちた、見事な人間ドラマである。それは、今なお色あせることのない、多様な人間像の宝庫であると言える。
愛する甥の身の上を気づかい、壊滅的な戦場への道をひたすら急ぐ帝王シャルル。甥の亡骸を抱いて涙にくれる、その姿。
ロランの傍らにありて見事なる武者ぶりを発揮する知将、オリヴィエ。
大司教の身に鞭打ち、キリストの教えに逆らう異教徒を征討し続けてやまない、チュルパン。
愛する許婚者の死を聞いて、嘆き、そのまま失神して命を落としてしまう作中随一の華、オード姫。
いずれをとっても、読者たる私たちの感動を誘わぬはない。
そして何よりも、スペイン軍の卑怯な追撃からシャルル王を守らんとしてロンスヴォーの峠に孤軍奮闘、ついに力尽きて倒れてゆく、名将ロランの勇ましさ、そしてシャルルを呼ぶその角笛の音の、凄絶なまでのもの悲しさ。私たちは、ここに、千年の時を経てもなお人の心を揺さぶり涙を誘い続ける、見事なる英雄の生涯を看取することができるであろう。
『ロランの歌』は、中世フランスの武将たちの、主君に対する忠誠と、友との固い友情の絆を描いて、今もなお私たちに感銘を与え続ける、フランス文学史上屈指の雄編なのである。
ロランの歌が主題とするところが何であるかについて、わたくしたちは、深く思い悩む必要はない。なぜなら、わたくしたちがこの作を謙虚に、良識をもって読むならば、それはおのずから明らかとなってくるに違いないからである。
ロランの歌を一読された読者諸氏は、よもやこの作の基本主題について疑いを抱くことはないであろうと信ずる。それほどまでに、この主題は詩の全行にわたって明白に通底しているからである。
すなわち、ロランの歌とは、要するに、
「ロランが直情径行の単細胞くんだったので、みんなが迷惑した」
という話なのである。
シャルルもマルシルもガヌロンも、オリヴィエもオードも、ロランがいなければもう少し幸せだったんじゃないだろうか、と思わせるくらい、ロランの無鉄砲さに振り回されている。
特に悲劇的なのが、ロランの親友オリヴィエの身の上である。ロランの無謀なふるまいによって、ついに命を落としてしまうこの名将こそ、悲劇のヒーローといって差し支えない。
ロランとともに殿軍に残ったオリヴィエは、マルシルの大軍が襲撃してくるのを見て、シャルルに知らせて援軍をもとめるよう、ロランに提案する。ロランの持っている角笛を吹き鳴らせ、と言うのである。
「戦友ロランよ、いざ、君の角笛吹き鳴らせ。シャルルは聞かん、軍は引き返さん。」(1051-1052行)
非常にまっとうな言い分である。ところが、あろうことかロランは、ヤダ、と応えるのである。なぜかというのを聞いてみると、
「われ、うまし国フランスに、わが名声を失わん。」(1054行)
「むしろこのまま、デュランダルもて大いに戦わん。……誓って申す、彼等みな、討死せんこと必定なり。」(1055-1058行)
という。要するに、こんなんオレたちだけでじゅうぶん追い払えるもんね、このくらいで助けを求めてるようでは勇将ロランの名がすたるぜ、という自負である。自負というと聞こえがいいが、単に手柄狙いの功名心で戦況を客観的に把握できなくなっているだけである。
オリヴィエは、ここで援軍を呼んでも非難されるいわれはない、とロランを説得しようとするが、とうとう押し切られてしまい、ロラン軍は非常に不利な状況下で戦闘に突入する。
さて、ロランの自信がそのとおり真実であればよかったのであるが、実際にはそうはいかない。ロラン軍は次々と将を失い、敗色が濃くなってくる。
そりゃ、いくらなんでも負けますわな、2万と10万じゃ。
で、弱気になったロランはようやく援軍を呼ぶ気になるのだが、その時のかれの嘆きの叫びには、良識ある人ならば誰もがひっくり返るであろうこと請け合いである。
「あゝ、王よ、友よ、何故ここにはおわさぬぞ?」(1697行)
誰もが、思わずぽかんと口を開いてしまうであろう。
オマエが呼ばなかったからだろオマエが。
いったいこの男は、なぜこんな無謀な戦を戦わねばならなくなったのか、ちゃんと認識しているのであろうか。1058行の自信はどこへ行ったのでしょうか。
でも、まあとにかく、援軍要請の角笛を吹く気にはなるわけである。しかし今度はオリヴィエがこれに反対する。今さらそんなことをすれば却って恥辱だ、と言うのである。「われそれを言いしとき、戦友よ、君、なしくれざりき」(1716行)と責めて、「われ、いとしき妹オードに再会するを得ば、君、断じてその腕に抱かれて寐ることなからん!」(1720-1721行)と宣告する。妹との婚約は取消しじゃ、とまで言っているわけである。じつに無理のない言い分である。
しかし、この婚約解消の宣言に狼狽したのかどうかはわからないが、このときのロランの返事がまたもや噴飯ものである。
「何故、われに怒り抱くや?」(1722行)
ばかやろうもともとオマエがつまらん意地はったから2万の精鋭が全滅しそうなんだよわかってんのかコラ、とオリヴィエでなくても叫びたくなるというものである。ここまで見事に天然ボケだと、もはや感心するしかない。
じっさい、オリヴィエも怒って、「君が軽挙のせいなり」(1726行)と咎めて口論になるが、そこへ例の罰当たり司教・チュルパンが出しゃばって仲裁に入り、結局うやむやになってしまっている。オリヴィエの心中はいかばかりであったろう……。
で、オリヴィエは結局ロランより先に死んでしまうんですな。
こんなロランの親友では、普段からオリヴィエの苦労はどれほどであっただろうか。
まあ、一本気なロランと深謀遠慮のオリヴィエという組み合わせだからこそ親友になれたのかもしれないというのは、わかる気がするけれども。ロランみたいのが二人揃ったら、毎日殴り合いになってるに違いないものね。
もしロランが生きて帰れて、オードと結婚していたら、きっと兄妹二人がかりで、ロランを操るのに力を尽くしたのだろう。しかし実際にはオードもロランが遠因で死んでしまうわけである。賢将の兄と美人の妹、という絵に描いたような見事な兄妹なのに、ロランに振り回されてどちらも命を落としてしまうのがなんとも哀れである。
そういうわけで、読者は、クリスチャニスムとイスラミスムの対立とか、英雄ロランの活躍とかいったことに目を奪われて、この詩の基本テーマを見失うことがあってはならないのである。この詩の最大のテーマとは、もはや赤子が読んでも明らかであるように、
「ロランのような友人を持つと苦労する」
ということにほかならないのである。今では名前さえ不明となってしまったこの詩の作者が、わたくしたちに伝えようとした真理とは、実に、その一事に尽きるのである。
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