フランス文学ジッド|贋金つくり

贋金つくり

ジッド [小説] Les Faux-Monnayeurs, 1926

あらすじ

母の不倫の子であることを知ったベルナールは、家出したことがきっかけとなって作家エドゥワールの秘書として働く。エドゥワールは、愛人に捨てられたことを夫に告白できずにいる旧友ローラの窮地を救おうとするが、ローラの愛人とはベルナールの親友オリヴィエの兄であった。エドゥワールの甥でもある文学青年オリヴィエは叔父への崇拝と愛情を胸に隠しつつ新しい文学雑誌の創刊に関わろうとしていた。だがその雑誌の出資者であるパッサヴァン伯爵はエドゥワールの文学上のライバルであり、偽造貨幣の流通組織にも関与していた。友人の孫の世話を頼まれたエドゥワールは、その少年ボリスをスイスから連れだし、私塾ヴデル・アザイス塾に入れる。オリヴィエの弟、パッサヴァンの弟など同世代の少年が集まるヴデル・アザイス塾を舞台に、虚像と実像とを使い分けながら、人々は複雑な関係を織りなしていく。

翻訳(訳年の新しい順)
編訳者 訳年 注記 文献
川口篤訳 川口篤 1962-1963 岩波文庫(全2巻) 上巻 下巻

 ジッドは道徳的欺瞞の拒否と自己の内的省察を極限まで追求し、その成果を作品に結実させていった。ジッドの小説には(1)恋愛感情や生命の感覚を追求した『狭き門』『背徳者』などの心理小説の系譜と、(2)『法王庁の抜け穴』に代表される諷刺小説の系譜とが相補いながら共存しているが、やがてかれは従来の小説概念を根本から覆し、(3)小説に固有でない一切の要素を排した、純粋小説の創作を試みる。ジッドは独自の分類法にしたがい、これら自己の小説をそれぞれ(1)レシ(récit)(2)ソチ(sotie)(3)ロマン(roman)と呼ぶこととした。

 『贋金つくり』は、ジッドの創作方法論を具体化し、以上のような基準に従ってロマンに分類された唯一の作品である。家出した青年ベルナールの体験と、小説家エドゥワールの精神的探求の過程を描き、「贋金つくり」の語に貨幣偽造組織と「自己の虚像を顕示する者」との二重の意味を含ませる。ジッドの創作の到達点ともいうべき本作は、プルーストの『失われた時を求めて』と並び、20世紀の小説観を転換させた重要な作品と言えよう。

登場人物一覧
名前 
アザイス老人アザイス塾創立者、エドゥワールの父の旧友。ローラの祖父。
アダマンティジョルジュの級友。ヴデル・アザイス塾生。フィリップ・アダマンティ。通称フィフィ、父は上院議員。
アルフレッド・ジャリー作家。『ユビュ・ロワ』の作者。
アルマンローラの弟、オリヴィエの親友。
アレクサンドルローラの一つ下の弟。植民地で商売をしている。
アントワーヌプロフィタンディウー家の召使。15年間仕えている。
ヴァンサンオリヴィエの兄。最近医学部の課程を終えた。
ヴデル夫人ローラの母。メラニー。
エドゥワールオリヴィエの叔父。オリヴィエの母の腹違いの弟。
オリヴィエベルナールの友人。オリヴィエ・モリニエ。
カルーブベルナールの弟。
コブ・ラフルールストルーヴィルーの友人の少年。ジャン・コブ・ラフルール。
ゴントランパッサヴァンの弟。パッサヴァン子爵。15歳。
サラローラの妹。
ジェルメーヌフィフィの女。
シャルルベルナールの兄。弁護士。
ジュスチニアン 
ジョルジュオリヴィエの弟。
ストルーヴィルーエドゥワールと同期のアザイス塾生。ヴィクトル・ストルーヴィルー。
セシルベルナールの姉。
セラフィーヌパッサヴァン家の婆や。
ソフロニスカ夫人ボリスを預かっているポーランドの女医。
デ・ブルッス『アルゴノート』の編集長。
デ・ブルッス夫人 
デュバック 
デュルメールユダヤ人。シディ・デュルメール。
バチスタン・クラフトボリスの同級生だった。
パッサヴァン伯爵ロベール・ド・パッサヴァン。30歳。
フェリックスローラの夫。フェリックス・ドゥーヴィエ。
プラリーヌジョルジュの女。
ブローニャソフロニスカ夫人の娘。15歳くらい、病弱。
プロスペル・ヴデル牧師ローラの父。アザイス老人の婿。
プロフィタンディウーベルナールの父、予審判事。55歳。アルベリック・プロフィタンディウー。
ペドロ自宅で賭場を開く。ピエル・ド・ブルーヴィル。
ベルナール 
ポーリーヌオリヴィエの母、エドゥワールの姉。
ボリスラ・ペルーズ老人の孫。ラ・ペルーズの倅とロシア娘の子。
マルグリットベルナールの母。
ミス・アバディーンサラの友人のイギリス娘。ヴデル・アザイス塾生。
モリニエオリヴィエの父、部長判事。オスカール・モリニエ。
ラ・ペルーズ夫人 
ラ・ペルーズ老人音楽教師。かつてエドゥワールにピアノを教えた。アナトール・ド・ラ・ペルーズ。
ラシェルローラの姉。
リュシアン・ベルカイユ 
レオン・ゲリダニゾルジョルジュやボリスと同級の塾生。ストルーヴィルーの従弟。
レディー・グリフィス通称リリアン。
ローラヴァンサンの愛人、既婚。ローラ・ドゥーヴィエ。
第一部タイムテーブル

パッサヴァン、ヴァンサン、オリヴィエ

エドゥワール、ローラ、ベルナール

月曜

23:00頃

ヴァンサン、パッサヴァン老伯爵を問診

 

ローラの手紙発信(八)

火曜

3:00

ヴァンサン帰宅、待っていたローラと口論

3:00

オリヴィエ、ヴァンサンに愛人がいることを知る

水曜

 

 

20:00

パッサヴァン老伯爵、死

23:00

パッサヴァン邸にて(四)

24:00

パッサヴァン邸にて(五)

16:00

ベルナール、家出の決意をオリヴィエに告白(-18:00)(一)

プロフィタンディウーの一家、ベルナールの家出を知る。(二)

23:00

ベルナール、オリヴィエの部屋へ(三)

 

 

木曜

 

 

 

 

昼近く

リリアンとヴァンサン、起床(七)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16:00

オリヴィエ、パッサヴァン邸へ(十五)

 

パッサヴァンとストルーヴィルー密談

18:30

グリフィス邸にて、ヴァンサンとパッサヴァン(十六)

 

 ~三人の夕食(十七)

4:00

ベルナール起床、出発、回想(六)

 

エドゥワール、パリ行き急行の車中(八)

 

 ~ローラの手紙、日記再読

11:35

 ~パリ到着

 

エドゥワールとオリヴィエ再会(九)

正午すぎ

ベルナール、エドゥワールのスーツケースを入手(十)

 

 ~エドゥワールの日記を読む(十一・十二・十三)

 

ローラのホテルにて、エドゥワールとベルナール(十四)

 

エドゥワール、オリヴィエを訪ねるが会えず

 

ヴァンサン、ローラに封筒を渡すも拒絶される(十六)

 

 

19:00

ラ・ペルーズ宅訪問(十八)

引用/文学と芸術

「ねえ、君、象徴派の大きな弱点は、一つの美学しかもたらさなかったことだ。大きな流派は、いずれも、新しい文体とともに、新しい倫理や、新しい明細書や、新しい一覧表や、新しい物の見方や、新しい恋愛の考え方や、新しい処生法をもたらした。ところが、象徴派ときたら、至極簡単だ。人生に対決することもなければ、理解しようともしなかった。人生を否定して、それに背を向けていたのだ。ばかげているじゃないか、そう思わない? 彼らは、食欲もなければ、美食さえきらった。われわれとは違うな……え?」

(パッサヴァン)

第一部十五、〈川口篤訳〉上巻p.187

ジッドは象徴派の影響を受け、のちにそこから離脱した。象徴派に対するかれの見方を、パッサヴァンの口を借りて説明している興味深い部分。

「(……)自然主義者は、《人生の断片》ということを言った。この派の大きな欠点は、その断片を、常に同じ方向、つまり時間の方向に、縦に切っていることです。なぜ、横に、奥行に切らないのか? 僕は、全然切りたくないのです。解りますか、僕はその小説の中に、何もかも入れようと思うんです。」

(エドゥワール)

第二部三、〈川口篤訳〉上巻pp.246-247

ジッドは自然主義にも満足しない。エドゥワールの語るこの立場はジッドの小説観を反映している。

およそ芸術作品というものは、次々に起る幾多の細かな困難の解決の総和ないし成果に過ぎません

第二部三、〈川口篤訳〉上巻p.249

次々に起こる幾多の細かな困難の総和、それは本作の展開にそのままあてはまる規定である。

今までに私が書いて来た作品は、公園の泉水にでも比すべきもので、はっきりした、おそらく完全と言っていい輪郭を持っているが、中の水は淀んでいて、生命がない。

第三部十二、〈川口篤訳〉下巻p.153

エドゥワールの日記より。「公園の泉水」というたとえはうまい。

引用/宗教と信仰

彼らは自分の信仰に眩惑されて、自分を取巻く世界、自分自身に対しても、盲目になってしまう。

第一部十二、〈川口篤訳〉上巻p.143

厳格な信心家アザイス老人をエドゥワールが評した言葉。

「(……)僕は、毎日肱つき合わせているあの醜悪無惨な人間どもを救うために、頼まれもしないのにキリストなる者が身を犠牲にしたなどと考えるのは、我慢がならないけれども、この賤民どもが腐って一個のキリストを産み出したと考えると、何か満足を覚えるし、一種の清々しささえ感じるんだ……もっとも、産み出すなら、もっと他のものにしてもらいたかったな。キリストの教えなんて、人類をいっそう泥沼深く沈めることにしか役立たなかったんだから。(……)」

(ストルーヴィルー)

第三部十一、〈川口篤訳〉下巻pp.146-147

作中随一のアナーキスト、ストルーヴィルーの思想。

「(……)神は、鼠をなぶる猫のように、わしらをからかっているのじゃ……そうして置いて、わしらにまだ感謝しろという。何に感謝するのだ? 何に?……」

(ラ・ペルーズ老人)

第三部十八、〈川口篤訳〉下巻p.230

ボリスの自殺ののち、結末ちかくでラ・ペルーズ老人が吐露する反逆の心情。キリスト教信仰に対する皮肉や批判は、あまり目立たないが本作の随所に現れる。

引用/感情と人生

マルグリットの方では、夫がきまって、人生の日常茶飯事から道徳的教訓のようなものを引き出さずにはおかないのをよく知っていて、たまらなくいやなことに思っていた。彼は万事を自分のドグマによって説明し翻訳するのだ。

第一部二、〈川口篤訳〉上巻pp.33-34

ベルナールの父である予審判事プロフィタンディウー氏の凡庸さ。ちなみに、プロフィタンディウーとは「神を利用する」の意。

『お前がしなかったら、だれがする? すぐしなかったら、いつできる?』

(ベルナール)

第一部六、〈川口篤訳〉上巻p.78

本作中でもっとも決断力と行動力に富んだ、レアリストの青年ベルナールの信条。

家庭の影響に敗けまいとする子供は、それから逃れるために、新鮮なエネルギーをすり減らす。しかし、一面、子供の気に食わない教育は、子供に迷惑がられながら、彼を逞しく成長させる。最も痛ましい犠牲者は、阿諛追従の犠牲者だ。自分をちやほやしてくれる人を憎むには、よほどの性格の強さが必要だろう。

第一部十二、〈川口篤訳〉上巻pp.151-152

教育についてのエドゥワールの考え。これは、ジッドのテーマのひとつである偽善への反発にも関連しているのだろう。

こういう女は、ペラペラの布地で仕立てたような人間である。アメリカからたくさん輸出される。しかし、アメリカの特産ではない。財産、知性、美貌、備わらざるはないが、魂だけが欠けている。

第二部七、〈川口篤訳〉上巻p.293

レディー・グリフィスについて。

人によっては、これ〔感情の自己抑制=引用者注〕を得意にする者があり、そういう連中は、この自己抑制が、しばしば性格の強さというより、情感の貧しさによるものであることを、認めようとしないのだ。

第三部十一、〈川口篤訳〉下巻pp.138-139

自己の内面を赤裸に告白しつづけたきたジッドらしい、痛烈な指摘といえよう。

「(……)そこで、僕は考えたのです。掟なしに生きることを認めるものではないが、その掟を他人からあてがわれることも認めない僕は、どうやって掟を立てたらいいのか、と。」

(ベルナール)

第三部十四、〈川口篤訳〉下巻p.177

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