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アルマンス

恋愛小説家スタンダールの原点をなす初期の長編。
Stendhal "Armance", 1827
大岡昇平ほか訳『新潮世界文学6 スタンダールII』(新潮社1969年)所収(小林正・冨永明夫訳)


【1】 19世紀フランスの恋愛小説の名手スタンダールの初期の作品。『赤と黒』、『パルムの僧院』と並んでスタンダールの数少ない長編小説のひとつであり、この有名な二長編の原型をなすものとして興味をそそる作品である。また、主人公オクターヴの「秘密」をめぐる謎が作中では最後まで明らかにされず、さまざまな解釈を呼んで話題になった作品でもある。

あらすじ
【2】 王政復古時代、亡命貴族の息子であるオクターヴは、その美貌と、どこか陰気で風変わりな、人間嫌いの性格とのために、社交界で注目を集めていた。かれを溺愛する母マリヴェール夫人を除けば、オクターヴが信頼しているのは、親友のような関係にある従妹のアルマンスだけであった。アルマンスはロシア人の血をひいた貧しい娘であったが、思慮深く優しい性格で、その美質は誰もが認めるところであった。
 賠償法の成立によりオクターヴに巨額の財産ができると、彼に対する社交界の態度は一変し、オクターヴは一躍華やかな交際関係をもつようになる。しかし、いずれも金銭に執着しない性格のオクターヴとアルマンスとの関係は、これによって動揺し、二人は誤解とすれ違いを重ねる。
 自分が抱えている「秘密」(性的不能のことらしい)のため、決してアルマンスに恋をするまいと決意していたオクターヴは、才女ドーマール侯爵夫人から、「あなたはアルマンスを愛している」と指摘されて衝撃を受ける。折しも決闘によって重傷を負ったオクターヴは自分の死を予感し、最期のつもりでアルマンスに愛を告白するが、アルマンスの看護により一命をとりとめる。
 この頃アルマンスにも遺産が入り、身分上の障害がなくなったため、二人の婚約が成立する。しかしオクターヴはアルマンスを愛するがゆえに、自分が抱える「秘密」について思い悩むのだった。アルマンスはオクターヴの秘密を何かの犯罪歴のことだと考え、すべてを許し、愛すると確言したので、オクターヴは勇を鼓して告白の手紙を書く。
 オクターヴとアルマンスは、アルマンスの家の庭にあるオレンジの鉢の下に手紙を置く方法によって文通をしていた。二人の婚約を快く思っていないスビラーヌ(オクターヴの伯父)とボニヴェ騎士はこれを知り、アルマンスの手紙を偽造してオレンジの鉢の下に置いておく。それはアルマンスが女友達に向けて、こんどの結婚は義務感からするものにすぎないと告白する内容のものだった。オクターヴはこの偽手紙を発見して衝撃を受け、自分の秘密を告白した手紙を引き裂いてしまう。
 二人の結婚は予定どおり行われるが、自責感に苦しむオクターヴはギリシャへ旅立ち、病気を装って服毒自殺する。すべての財産をアルマンスに遺す旨の遺書が残されていたが、アルマンスは修道院に入った。

【3】 この物語の展開の骨格をなすのは二人の主人公の感情のすれ違いであり、その筋の運び方には、スタンダールの繊細な恋愛心理分析が発揮されている。のちの二つの長編に比べるとやや粗い面があるとはいえ、その微妙な心理の追跡はスタンダール一流のものであり、その意味で、本作は明らかに『赤と黒』や『パルムの僧院』の先駆をなすものと位置づけることができる。
 その恋愛心理分析の細やかさを説明するために、二人の主人公の感情の変遷を、物語の展開に即して整理してみることにしよう。

1.賠償法の成立によりオクターヴに巨額の財産がはいると、年頃の娘をもつ社交界の婦人たちはオクターヴをもてはやし始めるが、彼に対するアルマンスの態度は不思議と冷淡になる。

  • アルマンスはオクターヴを愛していたが、自分には財産がないのでもうオクターヴには相手にしてもらえないと思い、疎遠になった。
    (深く考えるたちなのね)
  • オクターヴは、急に財産ができて傲慢になったので、アルマンスに軽蔑されたと思い、悩んだ。
    (この人も深く考えるたちなのね)

2.オクターヴは苦しんだ末、自分は財産ができたからといって思い上がるような男ではない、とアルマンスに弁明する。アルマンスは「わたしは心からあなたを尊敬していますわ」と応える。

  • アルマンスはオクターヴの高潔さを悟り、貧しいくせに彼に恋心を抱いている自分を恥じて、このように応えた。
    (いや、そこまで気に病むことないんじゃないの?)
  • オクターヴはこの漠然とした言葉の真意をはかりかね、軽蔑の意味かもしれないと思って動揺し、自分の性格の欠点や「秘密」のため、「決してアルマンスに恋はするまい」と決意した。
    (だから、そんな深く考えなくっても……)

3.二人が互いに相手を愛していることに気づいたマリヴェール夫人は、アルマンスに対し、「オクターヴはあなたと結婚したがっている」と話すが、アルマンスは自分には別の婚約者がいるからと嘘をついて断る。

  • オクターヴはアルマンスに対する気持ちを友情であると自分では信じているので、もちろん結婚したいなどとは言っていない。
    (イラ……)
  • アルマンスは財産目当てで結婚する女と思われたくないため、オクターヴへの想いを隠して申し出を断る。
    (イラ……)

4.ドーマール夫人はオクターヴに「あなたはアルマンスを愛している」と指摘する。

  • オクターヴは自分の気持ちに気づいて愕然とし、自分を軽蔑して、嫌われるためにわざとアルマンスに冷たくあたる。
    (……いい加減にしろ)
  • 急に冷たくされたアルマンスはショックを受け、自分に落ち度があったのではないかと思って悩む。
    (……やめろ)

5.クレーヴロシュ侯爵との決闘で瀕死の重傷を負ったオクターヴはアルマンスに愛を告白し、誤解が解ける。二人にとってもっとも幸福な時期である。

  • オクターヴはアルマンスが好き。(わかりやすくていいね)
  • アルマンスはオクターヴが好き。(わかりやすくていいね)

6.アルマンスに遺産が入り、アルマンスの婚約者候補としてボニヴェ騎士が登場する。オクターヴは健康を取り戻し、二人が会う機会は少なくなる。

  • オクターヴはボニヴェ騎士に嫉妬する。
  • アルマンスはドーマール夫人に嫉妬する。

7.オクターヴとアルマンスの婚約が成立する。アルマンスの信頼に応え、オクターヴは自分の秘密を告白しようとするが、偽手紙によってその機会は失われる。

  • アルマンスは「秘密」のためオクターヴが苦しむのを見てますます深く彼を愛し、優しく接する。
    (……)
  • オクターヴはアルマンスの心遣いがすべて演技なのだと信じ、彼女を犠牲にしている自分を責める。そして自殺する。
    (……)

 このように私が要約してしまうと、いかにも理路整然としてミもフタもないのであるが、この作品の心理描写は相当に繊細で込み入っており、細かくフォローしていくと私のシナプスが焼き切れてしまいそうなので、この程度にしておく。いずれにせよ、本書の微細にわたる心理描写を堪能するには、実際に読んでみるのに越したことはない、ということだけは断言しておきたい。
 またアルマンスの性格や振る舞いの描写は『パルムの僧院』のクレリアを連想させるところがあり、私はスタンダールの筆の巧みさに感嘆するとともに、ひとつの恋愛小説として、じゅうぶんに堪能することができた。

オクターヴの「秘密」
【4】 ところで、本作においてオクターヴにアルマンスへの告白をためらわせる大きな要因として、彼の抱えている「秘密」なるものがある。オクターヴはこの秘密を苦にして、アルマンスを愛する資格がないと思いこむのだが、この「秘密」とは一体なんであるのか、作品の中では最後まで明言されないのである。この点が、本作を一種難解なものとし、また読者がオクターヴの苦悩に共感することをともすれば妨げかねないものになっている。これは刊行当時の読者でも同じだったらしく、この作品は、当時ほとんど理解されなかったらしい。スタンダールが友人のメリメにあてた手紙の中で、これはオクターヴの性的不能のことであることが触れられており、これによって読者はようやく腑に落ちるという具合なのである。

結末
【5】 また、本作のように恋人同士の感情のすれ違いを扱った作品の場合、悲劇的結末に終わるとしても、最後に誤解が解けるかどうかが読後感を大きく左右するであろう。主人公の死で物語を閉じるにせよ、一瞬でも恋が実ったのと実らないのとでは、大変な差があるわけである。特にスタンダールの作品はことごとく成就しない恋の物語であるので(スタンダールの諸作品を見渡すとき、『パルムの僧院』の結末が無上のハッピーエンドに思えてしまうのはどういうわけなのか)、私としてはこれが常に気にかかるのだが、本作はその点、わずかながら救いがある。オクターヴは自殺に際して、自分の秘密を告白した引き裂かれた手紙と、アルマンスの(書いたように偽装された)偽手紙とを公証人に託しており、アルマンスはこれらを通じてすべての真相を知ったようにも思われるからだ。スタンダールの他の作品と同様、『アルマンス』でも結末と後日談はやけに簡略にまとめてしまってあるので確言はできないのだが、この点に、期待をこめてひとつの安息を見出しておきたい。

ノート
字数:3600
初稿:2001/05/17
初掲:2001/05/18
リンク
DATA:スタンダール
DATA:『アルマンス』
新潮社
参考文献・関連事項
コメント
 
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