フランス文学ヴィニー|サン=マール

サン=マール

ヴィニー [長編小説] Cinq-Mars, 1826

あらすじ

フランスに絶対王政を確立するために強引なまでの中央集権化政策を押し進める宰相リシュリューに対して、国王の新しい寵臣となった若き地方貴族サン=マール侯爵アンリ・デフィアは、王弟ガストンや敵国スペインと組んでリシュリュー暗殺の陰謀を企てようとする。その行動の底には一人の高貴な女性への秘められた想いがあった。

梗概

1639-1642年の「サン=マール事件」を題材にとった長編で、ロマン主義最初の歴史小説。絶対王権の成立に反発する青年貴族の反抗と挫折を、政治・恋愛・宗教など多様なドラマを絡ませつつ描く。ウォルター・スコットの影響を受けたこの作品は消え行く封建的な地方貴族へのオマージュであり、その叙述は事実というよりもフィクションに近い。

翻訳(訳年の新しい順)
編訳者 訳年 注記 文献
松下和則訳 松下和則 1970 筑摩書房『世界文学全集18 ヴィニー ミュッセ』 所収

 フランス・ロマン主義の四大詩人の一人に数えられるアルフレッド・ド・ヴィニーはその生涯において、完成されたものとしては三作の小説を残した。『サン=マール』(1826)、『ステロ』(1832)、『軍隊の服従と偉大』(1835)の三つがそれであるが、ヴィニー自身はこれらの三作を「幻滅に関する一種の叙事詩である」と要約している。1830年代フランスでは、物語の展開の面白さを重視したウォルター・スコットの影響のもとで、実在事件を主題や背景に据える「歴史小説」が流行した。1826年に発表された本作『サン=マール』はその先駆けともいうべきもので、フランス・ロマン主義最初の歴史小説と位置づけることができよう。

 ルイ13世治下の1639年、サン=マール侯爵アンリ・デフィア(Henri d'Effiat, Marquis de Cinq-Mars, 1620-1642)によって宰相リシュリューに対して企てられた陰謀事件を舞台とするこの小説は、絶対王政に反逆しながら挫折・幻滅してゆく情熱的な若い貴族の物語であり、そこには、軍人としての出世に挫折して人生に幻滅していったヴィニー自身の思いが投影されていると見られる。本作の描写があまりにもサン=マールに同情的で、史実に比して不当にリシュリューを貶めていると評される所以もそこにあるのであって、その点で、史実を踏まえつつロマン主義的な思想を表明した一種のフィクションとして本作を理解することが適切であろう。

サン=マール事件

 1639年から1642年にかけて国王ルイ13世の寵臣サン=マールによって企てられた陰謀事件。1620年生まれの美少年サン=マールは女に魅力を感じなかったルイ13世の愛人としてその寵を得て、たちまちのうちに高位についたが、やがて放蕩にふけり、宰相として実権を握っていた枢機卿リシュリューを失脚させようともくろむ。サン=マールは三十年戦争で交戦中だったスペインと密約を結び、国土の一部割譲と引き替えにスペインの兵力を借りようとするものの、陰謀に加わった王弟ガストンの優柔不断もあって決行に至らず、1642年6月、密約の証拠をリシュリューに握られて告発される。国王の命により、同年9月サン=マールは処刑された。フランス絶対王政の基礎を築いた功労者リシュリューの死はその三か月後である。

Ⅰ. サン=マールの出発(第1章)

 17世紀前半、ルイ13世治下のフランスは三十年戦争にあって、南仏ペルピニャンでスペイン軍と対峙する。このとき、優柔不断な国王を支える宰相・枢機卿リシュリューは宮廷における実権をわがものとし、フランス絶対王権の確立へ向けた努力を続けていた。だが、国王の権威の名のもとに自己に権力を集中させようとするその強引な政治手法は、伝統的な地方貴族たちの間に強い反感をも呼んでいた。

 そのような地方貴族のひとつ、ショーモンのデフィア家に、サン=マール侯爵アンリ・デフィアという名の青年がいた。スペイン軍との戦いのためにペルピニャンへ出征しようとするアンリは、そのときデフィア家に身を寄せていたマントヴァ公女マリ・ド・ゴンザーグと恋仲にあったのだが、イタリアの公女であるマリとフランスの地方貴族の次男であるアンリとではしょせん身分違いで、結婚の許される見込みはなかった。一家の友人で反リシュリューの立場を公言するバッソンピエール元帥が密告により逮捕されるなど不穏な空気が漂うなか、アンリはマリと将来を約して、重臣グランシャンとともに出発する。

Ⅱ. ユルバン・グランディエ事件(第2章~第6章)

 ペルピニャンへ向かうサン=マールの一行はルーダンの町にさしかかり、一つの宗教裁判のために町中が熱狂しているところに出くわす。それは司祭ユルバン・グランディエに対する裁判で、司祭が娘に恋心を抱きまた魔法を用いたとのかどで彼を告発するものであったが、実相は、リシュリューの反感をかったユルバンを陥れるために、その腹心である請願書審理官ローバルドモンとカプチン会修士ジョゼフ神父が企んだこじつけの糾弾であった。ユルバンへの恋心と嫉妬から彼を陥れる証言に加担した修道女ジャンヌ・ド・ベルフィエル(ローバルドモンの姪)が後悔して証言を撤回したにもかかわらず、ユルバンの拷問と処刑は強引に執行され、ルーダン市民の憤激をかう。この事件を目撃したサン=マールは市民の暴動に加わり、リシュリューへの敵対心をますます強めるのだった。

Ⅲ. サン=マールの台頭(第7章~第13章)

 前線ペルピニャンから遠からぬナルボンヌにあった枢機卿リシュリューは、意志の揺らぎやすい国王ルイ13世の権威を自己のもとに掌握しておくため陰謀を張り巡らせ、母后マリー・ド・メディシスの崩御を利用して国王の信任を騙し取る。いっぽう、戦線に到着したサン=マールは、友人の決闘に立ち会ってその勇気を示し(バッソンピエールを密告したローネーがこの決闘に敗れて死ぬ)、さらにスペイン軍との交戦で手柄を挙げてルイ13世の恩寵を得る。マリとの結婚のため高い地位に野心を抱くサン=マールは国王に取り入って権力を握ろうと決意するが、サン=マールの年上の親友ド・トゥは友人の野心に危惧を抱いて諫言する。ユルバンの死によって気の触れたジャンヌによって暗殺されそうになったリシュリューは、ローバルドモンとジョゼフがやりすぎたことを知り、またユルバン事件へのサン=マールの関与を知って、この新しい寵臣に警戒心を募らせるのだった。サン=マールは、貴族フォントライユやリシュリューのもと小姓オリヴィエ、ローバルドモンの出奔した息子ジャークなどを味方につける。

Ⅳ. 陰謀(第14章~第21章)

 2年後のパリ、王弟ガストンに与する一派とリシュリューを支持する者たちとの間に小競り合いが起こる。これは国王の主馬頭となったサン=マールが仕組んだ暴動で、リシュリューを失脚させる謀略に参加をためらっているガストンに、決断を促すためのものであった。サン=マールの側にはルーダンのデュ・リュード伯や弁護士フルニエ、恩師キエ神父らがつき、今また王妃アンヌ・ドートリッシュや王弟ガストン、ブゥイヨン公などを味方につけようとしていたのである。アンヌ・ドートリッシュの侍女となっていたマリは、キエ神父によってすでに秘かにサン=マールとの婚約を済ませていたが、その一方でポーランド国王との結婚話が持ち上がっており、サン=マールとの恋の成就が危ぶまれていた。

 サン=マールは、このときまで詳しい事情を知らなかったド・トゥを伴ってアンヌの寝室を訪れ、王弟や王妃の叛乱への協力を求めるが不調に終わる。サン=マールが叛乱のために敵国スペインとの同盟による内乱惹起すら考えていることを知ったド・トゥは、友人の真の目的がマリとの結婚であることを知っているため強く反対するが、結局は友情から協力を約束する。その後サン=マールはリシュリュー逮捕のために国王を説き伏せようとするが、惰弱な国王は決断を迷う。サン=マールはスペインとの密約を決意し、協定書をフォントライユとジャークに託す。ある日サン=マールとマリは教会で密会し、叛乱の企てやスペインとの協定、将来の結婚について語る。しかしこれらはすべてジョゼフ神父を通じてリシュリューに筒抜けになっていた。コルネイユ、ミルトン、デカルトなどが集う才女マリオン・ド・ロルムのサロンでサン=マールは檄を飛ばすが、そこに叛乱の失敗を予言する不吉な四行詩が何者かによって投げかけられる。サロンの片隅には若き枢機卿マザランの姿があった。

Ⅴ. 破局(第22章~第26章)

 協定書を携えたフォントライユとジャークはスペイン山中でローバルドモンが率いる追っ手に追いつめられる。協定書を預かって山中の小屋に逃げ込んだジャークはそこで父ローバルドモンと再会し、協定書を奪われて死ぬ。そのころ、パリの宮廷では、叛乱の失敗を確信した王妃アンヌが、サン=マールをあきらめてポーランド国王と結婚するようマリに勧めていた。マリの表情に融和を読み取ったアンヌは、彼女の心変わりを告げる手紙をサン=マールに送る。

 ペルピニャンでスペインと対峙しているサン=マールの軍中では、スペインとの密約が失敗したことがわかり、対リシュリュー叛乱の失敗の気配が濃厚になってきていた。そこに届いたアンヌの手紙がサン=マールの最後の意志を打ち砕く。病を抱えてナルボンヌにいたリシュリューはユルバン事件の関係者らを処罰しつつ、ルイ13世を籠絡して実権を再確保することに成功していた。サン=マールとド・トゥは、せめて友人の免罪を求めるため、互いにそうとは知らずにそれぞれ一人でリシュリューのもとに出頭し、逮捕される。サン=マールの陰謀事件はここに潰えた。

 サン=マールとド・トゥはピエール=アンシーズの城に監禁される。リシュリューを裏切って国王の寵を得たいジョゼフ神父が逃走の機会を提示するがサン=マールはこれを拒み、死刑宣告を受けて処刑場へ向かう。そのころ、何も知らされずにいたマリは、サン=マールが逃亡したと思いこみ、自分に居場所を知らせてこないのは彼の恋が冷めたからだと誤解して嘆いていたが、国王の言葉からサン=マールの処刑を知り、その場で気絶する。折しも枢機卿官邸の開邸を記念する祭典が催されるパリで、ミルトンはコルネイユと偶然に再会し、サン=マールの潔い刑死を知らせる手紙を見せられる。彼は野心に支配された権力者リシュリューを揶揄し、イギリスにもまた同じ運命をたどるであろう男(クロムウェル)がいると洩らすのだった。

Ⅰ~Ⅴの区分および各区分の小見出しは当サイトによる。

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