SYUGO.COMカテゴリマップ
前の書評 リスト 次の書評
特集 書評トップへ 講読ノート データベース

カラマーゾフの兄弟

著者の抱くテーマを集大成した、ロシア文学屈指の大作。
Fyodor Mikhailovich Dostoevskii "Братья Карамазовы", 1880
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟(上・中・下)』(原卓也訳新潮文庫1978年)


【1】 私はドストエフスキーの長編を、『罪と罰』→『白痴』→『悪霊』と年代順に読んできたが、その次に手を出したのが本書『カラマーゾフの兄弟』である。この作品は、その長さだけでも、他の作品に比べて圧倒的だが、その質、完成度の高さの点においても、ドストエフスキー作品中、というより世界文学史上、群を抜いている。個人的には、私は『白痴』が好きなのだけれど、ドストエフスキーの最高傑作は何かと問われれば、公正にいって、『カラマーゾフの兄弟』を挙げないわけにはいかない。
 ドミートリイ、イワン、アレクセイの三兄弟はもちろん、アグラフェーナ、カテリーナ、リザヴェータ、ゾシマ、スメルジャコフなど、この作品には、ドストエフスキーがこれまでに描いてきた重要な人物類型がすべて集約的に登場しているという感じがする。

【2】 ドストエフスキーの作品はみなそうであるが、特にこの作品が追求しようとしているテーマはあまりにも広範で、もはや適切な批評の言葉もない。特に私の印象に残った点だけを挙げておけば、「息子による父親殺し」の事件が扱われるとともに、「子ども」についてかなりの分量の描写がなされていること、そして有名な「イワンの反逆」である。
 第二部第五編の「四 反逆」と「五 大審問官」の二つの章には圧倒された。神と信仰をめぐってイワンが繰り広げる長い弁論には、二十世紀末に生きる私たちがだれでも抱いているような宗教上の重要な問題の多くが、あらかじめ先取りされている。イワンの弁論には、門外漢を煙に巻くような無用な宗教用語も使われていないし、他方、神に対する頭からの否定もない。宗教論争によくありがちな、対立意見との議論を始めから拒否するような態度ではなく、イワンはあくまで日常の言葉を使って、神への信仰のもつ意味をぎりぎりまで突きつめていく。人間の悲惨と人生の不条理とをまっこうから直視し、子どもたちの無垢な魂が強いられる犠牲に憤り、いったい信仰とは何かと天に向かって問いかけるイワンの姿は、ほとんど英雄的でさえある。

「彼女が愛しているのは自分の善行で、俺じゃないんだよ」――ドミートリイ(上220ページ)

「でも、だれかが真実を言わなければならないんです……だって、ここではだれも真実を言おうとしないんですもの……」――アレクセイ(上363ページ)

「ええ、リーズ、さっきあなたは質問なさったでしょう、こんなふうに人の心を解剖しているのは、その不幸な人に対する軽蔑があるんじゃないかって。(中略)ああいう質問のうかぶ人は、自分も苦しむことを知っている人ですよ。……」――アレクセイ(上418ページ)

「お前はこの壁の中から出ていっても、俗世間でも修道僧としてありつづけることだろう。大勢の敵を持つことになろうが、ほかならぬ敵たちでさえ、お前を愛するようになるだろうよ。人生はお前に数多くの不幸をもたらすけれど、お前はその不幸によって幸福になり、人生を祝福し、ほかの人々にも祝福させるようになるのだ。……」――ゾシマ(中46ページ)

「行って、人々に告白なさい」わたしは言った。「何もかもやがて過ぎ去り、真実だけが残るのです。……」(中88ページ)

ノート
字数:1300
初稿:2000/01頃
初掲:2000/01/31
リンク
新潮社
参考文献・関連事項
コメント
 
本文=黒字 ・ 要約=赤字引用=青字

参考文献

関連事項

…サイト内へリンク …サイト外へリンク
ホーム書評 [ 前の書評 | リスト | 次の書評 ]ページプロパティ
ページの一番上に戻ります。 ひとつ上の階層に戻ります。