あらすじ
生後まもなく捨てられて孤児となったアンジェリックは、9歳の冬、虐待する養父母のもとを逃げ出し、ボーモンの僧衣刺繍工ユベール夫妻に保護されてその養女となる。子に恵まれなかったユベール夫妻は、さいしょは粗野だったアンジェリックに対して惜しみない愛情を注いだので、6年後には、彼女は聖女への信仰と夢見がちな性格をもった、美しい刺繍女工に成長した。
16歳の夏、アンジェリックは川で洗濯物を干しているときに、ボーモン聖堂のステンドグラス職人をしているフェリシアンという青年と知り合い、恋におちる。しかしフェリシアンは実はボーモンの司教の息子であり、伯爵家の娘との婚約が取り決められていた。フェリシアンとアンジェリックはそれぞれ司教に嘆願して結婚の許しを請うが、容れられない。ユベール夫妻はアンジェリックが希望のない恋に深入りしないよう、策を弄して二人を引き離す。ある夜アンジェリックの寝室に忍び込んだフェリシアンは駆け落ちをほのめかすが、アンジェリックはあくまで司教の許しを求めてこれを拒む。しかし極度の心痛のため、彼女はその日から次第に衰弱していくのだった。
アンジェリックは重態となり、どのような慰めも甲斐なく死に瀕していた。彼女の臨終が迫り、終油の儀式に呼ばれた司教はついに結婚の許可を与える。ところが、儀式が終わり司教が彼女に口づけをしたとき、奇蹟が起こり、アンジェリックの病はたちどころに回復したのであった。
翌年、アンジェリックとフェリシアンは結婚式をあげる。しかしその式の最中に、アンジェリックは神秘的な歓喜に包まれ、花婿の腕の中でふいに消滅するかのように息絶える。
主な登場人物
アンジェリック・ルーゴン [Angélique Rougon] |
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本作の主人公。ピエール・ルーゴンの長女シドニーが生んですぐに捨てた女児である。9歳まで乱雑な環境で育ったにもかかわらず、ユベール夫妻のもとで非の打ち所のない清浄な娘に成長する。人間くさい双書の登場人物のうちで、もっとも聖性に近い存在と言えるかもしれない。かなわぬ恋のため衰弱していく姿は悲痛の一語に尽きる。 |
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フェリシアン [Félicien] |
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名門オートクール家の末裔、フェリシアン7世。聖職につくより芸術を好み、ありあまる財産を惜しみなく慈善に投じる、これまた文句のつけようのない青年。母は彼の出生とともに死に、これを厭った父によって里子に出されていたのだが、その美しい容姿には母の面影を残しており、今なお司教の心を悩ませる。 |
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ユベール [Hubert] |
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アンジェリックの養父。ボーモンの代々の刺繍工。アンジェリックと同様に夢想的な性格があり、娘と二人で他愛もない空想にふけっては現実家のユベルティーヌに冷水を浴びせられている、憎めないおじさん。妻との関係は良好であるが、子どもがいないことが唯一の悲しみである。 |
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ユベルティーヌ [Hubertine] |
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ユベールの妻。16歳のときユベールと知り合うが、司法官の寡婦であった彼女の母親が結婚に反対したため駆け落ちする。ユベールとの間にできた最初の子はすぐに死んでしまい、彼女はこれを祝福されなかった結婚のせいだと考えている。そのため身分違いの恋には反対で、アンジェリックにフェリシアンをあきらめさせようとする。 |
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司教猊下 [Monseigneur] |
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フェリシアンの父、ボーモンの現司教。フェリシアンの恋に反対するなど、いっけんしたところは堅物だが、実は彼自身がかつて22歳年下の娘と結婚している。息子を遠ざけていたのは愛する妻にあまりに似ていたからであり、聖職についたのも妻を失った悲しみからであった。つまり恋の悲劇をおそれるあまりの反対なのであり、決してわからずやではない。 |
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クレール [Claire de Voincourt] |
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ヴォアンクール伯爵夫人の娘で、フェリシアンの内々の婚約者。いわばアンジェリックの恋敵だが、作中にはほとんど登場しないので、美しい少女であるという以外なにもわからない。しかしアンジェリックの結婚式にはすすんで祝福の歌を歌っており、美しい声で皆を魅了する。要するに、悪い人じゃなさそうである。 |
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翻訳文献
本作には昭和4年の翻訳がある。古い文章であるが、それを別にすればなかなかいい翻訳である。
| 書名 | 訳者 | 発行所 | 発行日 | 訳文 | 備考 |
| 「ルーゴン=マッカール叢書」セレクション11 夢 | 木村幹 | 本の友社 | 2000/07/10 | C | 「『夢』に就いて」 昭和4年新潮社版の復刻 |
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訳文:A=現代的かつ平易・B=やや古いまたは生硬・C=非常に古い
関連事項
DATA:『夢』
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もっと双書を! ―次に読むべき巻
第14巻『制作』:アンジェリックの母シドニーを追う。
ルーゴン・マッカール家のなかではアンジェリックに近い親族は母のシドニーだけであり、しかもシドニーが主人公となる巻はないので、この巻と関わりのある作品はほとんどない。『夢』はかなり独立した作品なのである。シドニーについては第14巻『制作』の結末にちょっとだけ出てくるので、どうしても興味があれば該当箇所だけでも読んでみるのがいいかもしれない。でも、そうまでして追求するほど魅力的な人物ではないと思うが。子ども捨ててるし……。
第9巻『ナナ』:三人娘の比較。
第12巻『生きる喜び』:同じく。
アンジェリックはルーゴン・マッカール家第4世代、1852年生まれの三人娘のひとりである。そこでこの三人を比較する意味で、『ナナ』のナナや『生きる喜び』のポーリーヌと比較してみるのもいいかもしれない。もっとも、ナナの個性は強烈すぎるので、ポーリーヌとの比較のほうが面白かろうと思う。どっちも健気なコなんだけど、どっちが好みかは人により分かれるだろう。ちなみに、私は断固としてポーリーヌ派である。
第5巻『ムーレ神父の罪』:恋と信仰をテーマに。
恋愛と宗教の相克を描いている点では、『夢』のテーマは第5巻『ムーレ神父の罪』と一致する。しかし『ムーレ神父の罪』が神父セルジュの内面での信仰と恋の葛藤だったのに対し、『夢』では相思相愛の恋人同士に外部から障害がはいるという点で異なる。どちらかといえば『夢』のほうが安心して読めるだろう。