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抜粋集

文学と芸術

「ねえ、君、象徴派の大きな弱点は、一つの美学しかもたらさなかったことだ。大きな流派は、いずれも、新しい文体とともに、新しい倫理や、新しい明細書や、新しい一覧表や、新しい物の見方や、新しい恋愛の考え方や、新しい処生法をもたらした。ところが、象徴派ときたら、至極簡単だ。人生に対決することもなければ、理解しようともしなかった。人生を否定して、それに背を向けていたのだ。ばかげているじゃないか、そう思わない? 彼らは、食欲もなければ、美食さえきらった。われわれとは違うな……え?」
――パッサヴァン(第一部十五、上187ページ)

ジッドは象徴派の影響を受け、のちにそこから離脱した。象徴派に対するかれの見方を、パッサヴァンの口を借りて説明している興味深い部分。

「(……)自然主義者は、《人生の断片》ということを言った。この派の大きな欠点は、その断片を、常に同じ方向、つまり時間の方向に、縦に切っていることです。なぜ、横に、奥行に切らないのか? 僕は、全然切りたくないのです。解りますか、僕はその小説の中に、何もかも入れようと思うんです。」
――エドゥワール(第二部三、上246-247ページ)

ジッドは自然主義にも満足しない。エドゥワールの語るこの立場はジッドの小説観を反映している。

およそ芸術作品というものは、次々に起る幾多の細かな困難の解決の総和ないし成果に過ぎません
――エドゥワール(第二部三、上249ページ)

次々に起こる幾多の細かな困難の総和、それは本作の展開にそのままあてはまる規定である。

今までに私が書いて来た作品は、公園の泉水にでも比すべきもので、はっきりした、おそらく完全と言っていい輪郭を持っているが、中の水は淀んでいて、生命がない。
(第三部十二、下153ページ)

エドゥワールの日記より。「公園の泉水」というたとえはうまい。

宗教と信仰

彼らは自分の信仰に眩惑されて、自分を取巻く世界、自分自身に対しても、盲目になってしまう。
(第一部十二、上143ページ)

厳格な信心家アザイス老人をエドゥワールが評した言葉。

「(……)僕は、毎日肱つき合わせているあの醜悪無惨な人間どもを救うために、頼まれもしないのにキリストなる者が身を犠牲にしたなどと考えるのは、我慢がならないけれども、この賤民どもが腐って一個のキリストを産み出したと考えると、何か満足を覚えるし、一種の清々しささえ感じるんだ……もっとも、産み出すなら、もっと他のものにしてもらいたかったな。キリストの教えなんて、人類をいっそう泥沼深く沈めることにしか役立たなかったんだから。(……)」
――ストルーヴィルー(第三部十一、下146-147ページ)

作中随一のアナーキスト、ストルーヴィルーの思想。

「(……)神は、鼠をなぶる猫のように、わしらをからかっているのじゃ……そうして置いて、わしらにまだ感謝しろという。何に感謝するのだ? 何に?……」
――ラ・ペルーズ老人(第三部十八、下230ページ)

ボリスの自殺ののち、結末ちかくでラ・ペルーズ老人が吐露する反逆の心情。キリスト教信仰に対する皮肉や批判は、あまり目立たないが本作の随所に現れる。

感情と人生

マルグリットの方では、夫がきまって、人生の日常茶飯事から道徳的教訓のようなものを引き出さずにはおかないのをよく知っていて、たまらなくいやなことに思っていた。彼は万事を自分のドグマによって説明し翻訳するのだ。
(第一部二、上33-34ページ)

ベルナールの父である予審判事プロフィタンディウー氏の凡庸さ。ちなみに、プロフィタンディウーとは「神を利用する」の意。

『お前がしなかったら、だれがする? すぐしなかったら、いつできる?』
――ベルナール(第一部六、上78ページ)

本作中でもっとも決断力と行動力に富んだ、レアリストの青年ベルナールの信条。私はベルナールがいちばん好きだ。

家庭の影響に敗けまいとする子供は、それから逃れるために、新鮮なエネルギーをすり減らす。しかし、一面、子供の気に食わない教育は、子供に迷惑がられながら、彼を逞しく成長させる。最も痛ましい犠牲者は、阿諛追従の犠牲者だ。自分をちやほやしてくれる人を憎むには、よほどの性格の強さが必要だろう。
(第一部十二、上151-152ページ)

教育についてのエドゥワールの考え。これは、ジッドのテーマのひとつである偽善への反発にも関連しているのだろう。

こういう女は、ペラペラの布地で仕立てたような人間である。アメリカからたくさん輸出される。しかし、アメリカの特産ではない。財産、知性、美貌、備わらざるはないが、魂だけが欠けている。
(第二部七、上293ページ)

レディー・グリフィスについて。この文章は気に入った。女じゃなくてもいるよね、「財産、知性、美貌、備わらざるはないが、魂だけが欠けている」人間。

人によっては、これ〔感情の自己抑制=引用者注〕を得意にする者があり、そういう連中は、この自己抑制が、しばしば性格の強さというより、情感の貧しさによるものであることを、認めようとしないのだ。
(第三部十一、下138-139ページ)

自己の内面を赤裸に告白しつづけたきたジッドらしい、痛烈な指摘といえよう。

「(……)そこで、僕は考えたのです。掟なしに生きることを認めるものではないが、その掟を他人からあてがわれることも認めない僕は、どうやって掟を立てたらいいのか、と。」
――ベルナール(第三部十四、下177ページ)

こういう相対主義的な問題の立て方には好感がもてる。

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