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17世紀文学史

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 フランス文学の17世紀は、古典主義の時代である。16世紀ルネサンスの豊穣で混乱した文学への反動から、秩序と規律を重んじる高度に形式的な文学が発展する。その政治的背景にはルイ13世・14世によるフランス絶対王政の確立があり、カトリシズムの国教としての隆盛とジェズイットたちによる反宗教改革の気運の高まりが、これに歩調を合わせていた。古典主義の文学を担ったのは主に宮廷の貴族階級であり、趣味の洗練をめざすプレシュー(才子)、プレシューズ(才女)らがサロンに集まって才能を競った。
 しかし、やがて絶対主義の疲弊とともに自由で相対的な精神が目覚め、古代人近代人論争をきっかけとして、革命の18世紀の足音が聞こえ始める。
関連事項
17世紀作家リスト
17世紀文学年表
キーワード
バロック
三単一の規則
サロン
プレシオジテ
ビュルレスク
アカデミー
古典主義
自由思想家
古代人近代人論争
バロックから古典主義準備期へ(1598-1661)
 古典主義の開花に先立ち従来は前古典主義(pré-classicisme)と呼ばれて一括されていた17世紀前半は、近年、バロック(baroque)として独自の評価を与えられている。力強さ、残酷さ、壮麗さを特徴とするバロック文学の土壌の中から、やがてマレルブ、メーレなど古典主義の先駆者が生まれるが、とりわけ重要な存在がコルネイユである。
 17世紀の初めごろ、貴族のサロン(salon)を中心として上流社交界が成立し、才人・才女たちが集まって洗練さを競った。服装・礼儀作法・言葉遣いなどで自分たちを俗世間から区別しようとするこうした風潮をプレシオジテ(préciosité)という。これに対して、写実主義や俗悪さをめざしたビュルレスク(burlesque)と呼ばれる傾向も存在した。またルイ13世の枢機卿リシュリューは文学者たちの集まりに目をつけ、1635年、これに後援を与えてフランスの公的な言論機関として発足させた。これがアカデミー・フランセーズ(Académie française)である。アカデミーは文学作品の評価や辞典・文法書の編纂を任務とし、こんにちまでフランス文化を司る機関として機能している。
バロック
ヴィヨー(詩) サン=タマン(詩) アルディ(演劇)
古典主義の先駆 アカデミーとサロン ビュルレスク
マレルブ(詩) ヴォージュラ ソレル
メーレ(演劇) スキュデリー嬢 スカロン
シャプラン(演劇) デュルフェ 哲学
コルネイユ(演劇)   デカルト
最初の一冊
メーレ『シルヴァニール』
デュルフェ『アストレ』
スカロン『滑稽物語』
コルネイユ『ル・シッド』
デカルト『方法序説』
 そのほか、次の作家がいる。バロック時代の詩人としてマチュラン・レニエとトリスタン・レルミット。バロック演劇のロトルー。マレルブの弟子のフランソワ・メーナールとラカン侯爵オノラ・ド・ビュエイユ。サロンの文学者としてゲ・ド・バルザックとヴォワチュール。ビュルレスクに属するフュルチエール。

古典主義時代(1661-1685)
 太陽王ルイ14世の親政が始まる1661年を画期としてフランス絶対王権が最盛期を迎え、趣味と流行の中心としての宮廷で、古典主義(classicisme)の文学が花開く。古典主義は(1)理性の尊重(2)規則への服従(3)芸術効用説(4)古代文学の模倣などを特徴とし、特に演劇において三単一の規則(règle des trois unités, 一つの場所を舞台に、一日の間に、一つの主題で劇を完結させる)の遵守を厳しく要請した。モリエールラシーヌは、コルネイユと並んで17世紀を代表する三大劇作家と呼ぶにふさわしい。
古典主義  
モリエール(喜劇) 社交界の文学  
ラ・フォンテーヌ◆(小説) ラ・ロシュフコー公爵  
ラシーヌ◆(悲劇) レー枢機卿  
ボシュエ(説教) セヴィニェ侯爵夫人 哲学
ボワロー◆(批評) ラ・ファイエット夫人 パスカル
◆…古代派 ▲…近代派
最初の一冊
モリエール『孤客(人間ぎらい)』
ラ・フォンテーヌ『寓話』
ラシーヌ『フェードル』
ラ・ロシュフコー公爵『箴言集』
ラ・ファイエット夫人『クレーヴの奥方』
パスカル『パンセ』
 古典主義時代の宮廷人の理想は紳士(honnête homme)という語に集約される。その一方で、よき趣味(bon goût)の名のもとに霊感の自由を守ろうとする動きも存在し、のちの近代派を形成することになったことも見落としてはならない。ラシーヌが完璧な古典派であるのに対し、モリエールは比較的後者の傾向に近い。

哲学精神のめざめ(1685-1715)
 ルイ14世の厳しい治世がつづくなか、17世紀末には次第に国家の疲弊と国民の不満の高まりが目立ち始め、フランスは精神の危機を迎える。科学の進歩、デカルトやパスカルがもたらした批判精神のめざめが、やがて多様で相対的な考え方を生み、政治や宗教への批判を導く。この傾向を代表する文学的事件が古代人近代人論争(Querelle des Anciens et des Modernes)であった。近代作家の才能は古代人に優るか否かをめぐって、古代人を擁護する古典主義の作家たちと近代的作家たちが対立して二度にわたり繰り広げられたこの論争は、18世紀に入って近代派の優勢のうちに幕を閉じ、古代文学の束縛からの脱却がすすむ。これと並行するようにして、ベール、フォントネルなど聖書を信じない自由思想家(Libertins)と呼ばれる知識人たちが再び台頭してきた。
  リベルタン
ラ・ブリュイエール サン=テヴルモン
フェヌロン ベール
ペロー フォントネル
◆…古代派 ▲…近代派
最初の一冊
ラ・ブリュイエール『人さまざま』
フェヌロン『テレマックの冒険』
ペロー『童話集』
 古代人近代人論争の最初のものは1687年から1694年にかけて起こった。ペローが自作の詩のなかでギリシャ・ローマと比較して17世紀の作家を称賛したのがきっかけとなって、ボワローこれにが激しく反発した。第二回論争は1713年から1715年にかけて起こり、フォントネルの弟子ウーダール・ド・ラ・モットがダシエ夫人の散文訳『イリアッド』を縮約して発表したのがきっかけである。いずれも和解の形で決着がついたが、近代派の優勢は揺るがなかった。

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